過去でも、未来でもなく、今

 ひきこもり支援を行い、これまでの支援を文章にまとめるに辺り、私の中で浮かんだキーワードは「今」でした。「今」という単語が浮かんだ理由は2つありました。

 一つは、ひきこもり支援を通して私自身が感じたことに由来します。ひきこもりの相談に訪れるのは多くは家族。なかでも母親。これまで本人に関わってきたものの、上手くいかず。キッカケを受け、私のところに来ます。キッカケとは何かといえば、親の退職、失業、病気など。それをキッカケにこのままでは将来が困るとの思いから相談にきます。家族が心配なことは、今後のこと、将来である以上、私のところに来た家族は、私に将来の心配を話し続けます。

 一方、本人はどうかと言えば、今の状態に至った原因探しをします。過去の親の対応、小中学校、高校、大学の教員の対応、職場の人間関係など。過去の話をし続けます。それが何年、何十年前であっても、今、起こっているかのように話し続け、そこからなかなか動けずにいます。


 将来と過去。一見すると、正反対のように見えて、家族も本人も、今の状態を見ていない。私はそう感じました。将来と今、過去と今が繋がっていない。今と繋がっていない以上、話は現実的でなく、次の動きに繋がっていかない。そう思いました。

 そして、私が「今」という単語が浮かんだ二つ目の理由は、家族や本人の話を聞いた私自身の気持ちの持ち方に由来します。私が「今」がないと感じていても、家族は将来を、本人は過去の話をし続けるため、私自身が話を聞くのが辛くなっていきました。将来も、過去も、私にはどうしようもありません。将来について、家族は心配かもしれませんが、どうなるのかは誰にも分かりません。過去についても、本人にとっては生々しい記憶かもしれませんが、私はその場にいた訳ではなく、一緒に原因探しをすることもできません。また、仮に原因が分かったとしても、過去は戻らず、どうすることもできません。私がひきこもり支援を行う以上、将来も、過去も私にはどうにもできない。であれば、今のことだけを扱うことにしようと私は思いました。

 分からない未来でも、戻らない過去でもなく、今を認める。そこからしか、ひきこもり支援は始められない。ひきこもり支援を始め、月日が経過した今、改めてそう感じました。 

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