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迷惑をかけまくれ! 〜人はみな、迷える惑星〜


満月の夜、猪が若干興奮したような荒ぶった文章になっていますが、後半に進むに連れて落ち着いて来ますので、ご容赦ください。


見せかけだけのオトナな対応がきらいです。

そこに何の生産性も感じません。

建前を口にできません。

身体が全力で拒絶反応してしまいます。

過剰な賞賛もきらいです。

冷静かつフラットな視点が抜け落ちているような気がします。

体調を崩してから、それがより顕著になった気がします。

何でもハッキリ言うわたしを、繊細な人たちは敬遠するのかと思ったら、意外とそうではなく、むしろ逆でした。

肝が座ってるとか、怖いもの知らずとか言われることがありますが、実態はものすごく繊細な人間だと思います。

ものすごく繊細だから、ものすごく正直かつ大胆になれる、それが真理だと思っています。

どこまで言いたいことを言えるか、みたいな、チャレンジをしがちです。

社長に嘆願書を送ったこともあります。

直属の上司に吠えたことは数知れず。

別に闘いたいわけではなく、必要ならば伝えたいことは遠慮はしないというスタンスです。

それで働きづらくなったことはありません。

むしろ、今この瞬間の自分はこうなんだということを堂々と隠さずに晒すことで、一時的に窮地に追い込まれても、結果的には環境が整うことの方が多かったです。

物事がうまくいかないのは、自分を責めている時だけです。

なぜ、唐突にこんなことを言い出したかと言うと、友人とのやりとりで、言いたいことを言えてない!とモヤモヤした瞬間があったからです。

言えない理由は、いろいろあります。


相手を傷つけてしまうのではないか。

嫌われてしまうのではないか。

負担をかけてしまうのではないか。

そもそもこんなわたしは受入れてもらえないのではないか。


よくある言い分ですね。

でも、そんなことを思ううちに、これって相手のことを見下してるが故に生まれる思考だよなってことに気付き始めます。

信頼していないのです。

そもそもその人と関わると決めた自分さえ信じられていない。

無意識に、相手はこんなわたしを受入れることはできないだろうと、どこかで思い込んでしまっているのです。

これが得意技、自分責めの極致です。

本当に見下しているのは、自分自身です。

そんな迷いの最中、内側から声が聞こえてきます。

『思いっきり相手に迷惑かけまくるつもりでやれ!』ってね。

その瞬間、ハッとしました。

そして、ちゃんと関わる覚悟とともに、思いっきし迷惑かけまくってやる!と肚が決まりました。

これまで、余計な気を遣って選んでいた言葉の数々を捨てました。

飾りの言葉を省きました。

今この瞬間に生まれる自分の嘘偽りない感情やパッションを何より優先しました。

自己防衛の極みで、つまらない正論を盾にしてきてむかついたから、死ぬほどむかつくと言いました。

相手が頭で話すたび、わたしは自らの感情を晒しぶつかりました。

一度晒すと、迷惑とか迷惑じゃないとか、それがいかにちっぽけな概念だったのかに気が付き始めます。

瞬間に生まれてくる生々しいエネルギーを出すか抑えるか。それは自分を生きるか殺すか、と同レベルの行為だとわかります。

わたしはもう自分を殺さないって決めたんだ。

ただただ自分の感覚に忠実に、意図的に、その場に自分を溶かすかのごとく、晒しまくりました。

頑固でも抵抗でも拒絶でもありません。

わたしは内から溢れてくるエネルギーに思考はいっさい乗せず、頭は使わず、感覚的な状態を研ぎ澄まし続けました。

わたしはわたしの感覚が訴えるものを、全力で受容し、違和感そのものをできる限り単刀直入にぶつけました。

その行為はまるで、自分の芯が自分の中に溶け広がっていくようで、それはやがて全体になり、絶対的に揺るぎない、揺るがない変幻自在のアメーバのようなものに変わっていきました。

そこまで辿り着いたとき、わたしがわたしから溢れる現象に抵抗せずに在れたとき、その場をすべて包括するエネルギーになることがわかりました。

自分を愛し抜き、守り抜いた瞬間でした。

もはや、相手は関係なくなりました。

理屈で抵抗したところで、それは所詮小手先のオナニー。何にも太刀打ちできない的外れな行為であることが理解できました。

翌日、その友人からメールが来ました。

心身の調子がスッキリしていること、自分が頭でっかちだったこと、違和感をそのまま伝えてもらえたことへの感謝が綴られていました。

不思議と、うれしいとか感動するとか、そういう気持ちは全くなく、お互いが本来の在り方に回帰するために、自然な現象が起こっただけ、そんな感覚でした。

はっきり言えることは、小手先のオナニーではなく巡り合うセックスが出来たのだとわかりました。(ここで言うセックスとは、純粋なエネルギー交流の例えです。)

わたしがわたしで在り続けることを諦めなかったら、ちゃんと人と繋がれることを再認識しました。

もちろんここまでできるのは、大切な人、関わっていきたい人に限定されるものであって、誰彼構わずやれることではありません。

ただ、人間関係に滞りが見え、暗雲が立ち込めるときは、間違いなく自分が意味のない我慢をしているときだと腑に落ちました。

我慢やモヤモヤのエネルギーは、そのまま、目の前の現象に現れるだけであって、そこには、やはりなんの生産性もなかったのです。

自分を殺すことは相手も殺すこと、自分を晒すことは、相手にもそうさせること、対峙している以上、同じ感覚やエネルギー状態になってしまうのは避けられないことなのです。

だから、共倒れになる前に、自分を守る、自分を愛す、自分を生きることができれば、目の前にいる人たちにも、その尊くしなやかなエネルギーを渡すことができ、守り愛していけるということです。

内側からの『迷惑をかけまくれ!』という導きに、ただ従ってみた先には、俗に言う迷惑なんていう現象は発生しないという事実だけがありました。

何かをする前に、惑い迷っていただけのことでした。迷子の惑星、とも言えるかな。

とにかくただ、頭や心、身体中に抱えている想い、想念が、そこに滲み出ているだけだった。

それにもし、相手が「迷惑だ!」って思ったとしたら、きっとすでにその場から逃げ出しているでしょうから。だって、惑い迷えるのは、その人本人だけだもの。要するに本当のところ「迷惑」とは、自分自身の身の内に起こる惑い迷えるという現象のひとつに過ぎないということです。

人も惑星も、干渉して初めて、違う波が、何かが、生まれるんだから。そう思ったらとてつもなく必要な行為だよね。迷惑をかけまくれ!ってそういうことだよね。

人はみな、迷える惑星なんだ。言葉の由来をそこに設定しちゃったら、「迷惑」の概念、変わっちゃいますね。

またひとつ、誰かが作った概念から、抜け出しました。

いい気持ちがするかしないか、違和感があるかないか、その感覚に素直に従うことがまずは重要なことであって、自分を苦しめるくらいなら、そこにわざわざ名前を、概念をつける必要なんてないのです。

いちいちグラデーションの中の瞬間の色を取り出して、“これは何色です”とか、言ってる間に色は変わってる。

言葉は自らを安心させるために、使えばいい。

楽しませるために、使えばいい。

そのために、必要な表現を学び追究し、創作し、また人と繋がり、輪を広げていくことが自然。

すべての道具は使い方次第なのです。

あなたが、わたしが、生きやすいように、心も身体も思考も感覚も、言葉も、絵筆も、使いこなせるようになること。

持っているものすべてを自分仕様にしていくこと。

それが本来の創造の世界です。

だから、何がなんでもまずは自分自身からなんだよ。

言葉のない世界に潜って、振動と音と光の感触を思い出して、芯に触れ、解き放たれる必要があるんだよ。

それはきっと、お母さんの子宮から、生まれてくるときの感覚だよ。

生まれてこれた以上、ほとばしるエネルギーの核は、もうすでにあなたの中にあります。

それを体感できたら、言葉に自分をねじ込むんじゃなくて、そのエネルギーに見合う言葉を、表現を、見つけ出して、カタチ作っていくことで、世界が広がる。

自分が世界になる感覚。

やがては自分がなくなる感覚。

それは、エネルギー体が大きくなればなるほど、自分だけじゃないことに気が付き、ただ動かされる感覚に身を委ねた、より深遠な創造過程に入っていくからだと思う。

アメーバの拡大。

これからは、きっと誰もがそうなれるんだよ。

だから、迷惑かけまくれ!

愛のアメーバでどんどん浸食してやれ!

わたしは今、ひとつの体験を通してそんな風に思えてきています。

そして、これからもそうします。

そう在りたいです。

詳細な感覚を忘れないうちに、勢いで書いちゃってすみません❤︎ 

ついつい猪突猛進して、息切れしてしまいます❤︎

最期までお読みいただき感謝します✨

2021年も共に楽しみましょう❤︎


概念が変わる瞬間。
すべてを自分仕様にしてゆく。
2021年はもっと自由だ。






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