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クズの真理


自分をクズだと認めたら、驚くほど楽になった。

それは、“わたしは愛されない”という観念を握りしめているということに気付いた瞬間だった。

“わたしはクズです。”と何度も心の中で言ってみた。

全く不快感がない。

ん?なんでだ?

じゃあこれは?

“わたしには価値があります。”

こっちの方が不快だ。 

あたりまえのことを言わされてる感。


もう一度、

“わたしはクズです。”

うん、いい感じ。


そして、その後に続くのは

“でもあんなこともこんなことも出来ます。”


え!わかってるやん!そうなんだよ!

できることいっぱいあるんだよ。

自分に、普通に出来ることがあること、

その凄さに気付く。



でもさ、無理に

“わたしには価値がある”って

ただ漠然と言ってみても、何かあとの言葉に詰まるよね?

本来の自分から目逸らしてない?

世間の常識みたいな価値にふりまわされない?

そんな自分以外の人間の価値観に

無理して合わせに行って、

価値があるって言い聞かせてる時点で、嘘だよね。


だってわたし、クズだけど、

そこがかわいいんだもん。

それも含めて完璧なわたしなんです。


“えぇ、わたしがクズですけど、何か?”

今、そんな感じです。


だって、よく考えてみて。

星屑もクズでしょ?


クズ仲間、クズだらけのこの世界。

みんな誰もがクズだと思います。


だってクズの成分て、光だよね?

細かい細かい粒子になってる

砕け散った光。

光かどうかさえも見分けがつきにくいのが、

クズなのです。


自己肯定感を上げるとか、

人の役に立つとか、

別にそんなことに価値ないよ。


クズならクズなりに輝くことに、

あなたの命は悦ぶ。


クズな一面も含めて、完璧なわたし。


クズであると認めれば認めるほど、

わたしの魅力が浮き彫りになる。


クズは個性。


これが、真理だ。


これが、自由だ。


だから、これからも、生きてる限り、

脱げるところまで脱ぎまくる。


そう言えば、『くず』っていたね。

思い出して検索したら、出てきた動画。


みんな、いろんなことを超えて

それぞれに輝いてる。


これからも、言葉の意味設定は

自分で決める。

それが、無闇に流されないということ。



屑 … 廃棄される、価値のない物質。未使用の、役に立たないか無用として廃棄された材料。残りが使用された跡に残される何かの小さな部分。取り除かれるべき無価値のまたは危険な素材。


クズ、それはたしかに、あなたの一部。

輝きは無駄の中に。



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