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Short Story「どうぞのおじさん」 

アーケード街に佇む
老舗の眼鏡売り場にて
鼈甲柄の縁眼鏡を手に取る

似合うかしらとかけてみるものの
鏡を見るといまひとつ

眼鏡を外そうとした、その時

「どうぞどうぞ」と

お地蔵さんみたいなおじさんが
優しい笑顔で手招きする

ここの店主ではないようで
一体誰なのだろうか

そこには全く怪しげな雰囲気はなく
いんちき臭い感じもしない

「どうぞどうぞ」とそれしか言わない

その言葉に
見事に引き込まれていく

とことことついて行くと
小さな家がぽつん

「どうぞどうぞお上がりなさいな」

中には
古びたブラウン管テレビと
野良ねこが眠る炬燵がひとつ

「どうぞどうぞお座りなさいな」

おじさんは
熟したみかんと甘いのとしょっぱいあられを
召し上がれと言わんばかりに
お盆いっぱい運んできた

「どうぞどうぞお食べなさいな」

おじさんは
猫をさわさわ撫でながら
よく分からないテレビを観ている

祖父母の家のようで
まるで違う空間

「温もっていきなさいね」と言って
おじさんはお茶を啜った

「どうぞどうぞ」と
私にもお茶を淹れてくれた

よくよく見ると茶柱が一つ立っている

「いいことありますよ」と
おじさんは微笑んだ

どれくらいそこにいたのだろうか
よく覚えていない

ただ、おじさんは最後に言った
「いつでもどうぞ」と

いつの間にか
私は眼鏡売り場の前に戻っていた

あの眼鏡は消えていて
他のものも試したものの
あのおじさんは現れなかった

ちょっぴり残念だったけれど
また出会えると信じている

"どうぞのおじさん"





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