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この駅が語ること

時折、隣町のスーパーマーケットへ電車で買物に出かけます。

ここに行くと有機米が手に入るので、リュックサックをしょって、いざ!


このスーパーは、ありがたいことに駅ホームの反対側にあるので、とても行きやすい。



それもそのはず、この建物は、戦前・戦中、駅として使われていたのです。


スーパー正面入口あたりの外壁は、当時の面影を残しています。



買物の帰り、電車を待っていると、ホームに立つオベリスク風の碑が、しぜんと目に入ってきます。



何度も見ている碑文ですが、待ち時間があると、やはり、繰り返し読んでしまいます。



この
ヴッパタール・シュタインベック駅
(Wuppertal-Steinbeck)からは、
1941年から1942年にわたり、
1000人以上のユダヤ人市民が
強制的に連れ去られた。
こうして、彼らは、
確実な死へと
送り出されていった。

訳:Reiko


史実が、淡々と記されています。

1941年から1942年という時代は、

ナチスが政権を握り、全体主義の嵐が吹き荒れ
ユダヤ人やその他の少数民族が迫害された

その真っただ中。


読む度ごとに、

強制される

ことの恐ろしさをひしひしと感じ、心が震えます。


選択の自由がない


状態です。


命を奪われる前に、人としての尊厳を剥ぎとられ、この駅から連れ去られた幾多の人々の顔が浮かび上がってきて、彼らの苛酷な運命が、心に迫ってくるのです。


上記碑文の反対側には、ユダヤ人市民が連れていかれた先の地名が、列記されています。


イスピカ
リッツマンシュタット
ミンスク
リーガ
テレージエンシュタット

これらの地には、ゲットー、または、強制収容所がありました。


碑文を読むと、

普通の人が、狂気へと暴走したナチスの時代
普通の人が、その狂気の波にのまれていった時代


が、浮き彫りになってきます。


そして、残りの二面には、このようなことばが刻まれています。

犠牲者に
追悼の念を


生存者に
警告を



近ごろは、この碑の前に立つと、

警告

の文字が重い。


現在のドイツ国内外の情勢が、脳裏に浮かぶからかもしれません。


例えば、

ドイツ国内では、右翼政党(AfD)が、支持率を伸ばし、地方議会入りしている州もある。この政党は、明らかに人種差別、反ユダヤ人を打ち出している。


国内に受け入れる難民が増加するにつれ、様々な社会問題が起こっている。

独裁制に賛同する有権者が、倍増している(2年前比)。


約2年半前、ロシアがウクライナに侵入して引き起こされた戦争は、いまだに収拾がついていない。





今、普通の人であるわたしに、何ができるのでしょうか。


何を選択していくか


この自由は、わたし達に残されています。


命を支えるものは何かを


感じとり、考えて、選び、実践していくこと。
どんな小さなことからでも。


その自由があるかぎり、人としての尊厳も守っていけるのでは。

そのためにも、

身辺に起きていることを意識していきたい。

自分の心の中をも、みつめていきたい。


意識していけば、
自らの心に狂気の芽が出そうになったとき、
気づくことができる。



気づいたら、きっと、

命と尊厳のための選択肢

が見えてくると思うから。


Reiko







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