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【行動心理】結婚が激ムズになった経緯 (2/2)

### 注意 ###

この記事は、結婚の歴史的経緯と変遷を踏まえ、現代人の結婚、および結婚生活がどうしてしばしば激ムズになってしまうのか、現代ではどこにでもいる異常独身男性がまとめたものです。面白〜い生々しい話は出てきません、すみません..。

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前回(「【行動心理】結婚が激ムズになった経緯 (1/2)」)は、結婚制度が当初は資源の分配と紛争の平和的回避を目的にしたものだったのが、19世紀以降に愛に基づいたものに変遷していった歴史的経緯を振り返しました。

今回は、愛に支配された現代の結婚が抱えるリスクと、それを乗り越えるための考え方を俯瞰していきます。

自己実現の手段としての結婚

前回の記事では、愛は自分と対になるパートナーと結ばれる力として解釈されており、故に、人は愛によって誰かと結ばれて初めて「完成する」、という考えが生まれたことを説明しました。

この考え方自体は現代にも残っています。すなわち、

結婚して理想の自分に近づく

という、結婚制度が自己実現の手段になっていったのです。

結婚は(当然)1人ではできませんので、相手が必要になります。無論、自分が心から愛せる人を探すわけではありますが、結婚が自己実現の手段になると、必然的にそれに伴うパートナー探しも自己実現の一環になります。

そしてパートナー選びや結婚が自己実現の一環になると、結婚生活は愛だけでは維持できなくなってくるのです。

以下のスライドはネットに落ちてたのを拾ってきたモノですが、どんな夫婦が理想か箇条書きでまとめてあります。

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この④お互いを高め合える夫婦、というのは、前回の記事を読んでくださった方なら非常に現代的に感じられると思います。

「互いを高め合う」というのは、結婚に自己実現を求めている潮流の端的な表れでしょう。経済的合理性に重きを置いていた政略結婚が主流の時代からは想像もつかない方向へ、現代の結婚の考え方は変わっていきました。

もし、結婚生活で「夫(妻)を愛しているが、この生活はつまらない」と感じたら、現代の夫婦は離婚を選ぶかもしれません。

また、結婚という自己実現の手段が自分の実現したい自己と相反するような場合(仕事に集中したい等)、愛する人はいても、自己実現の手段として結婚は魅力的でないのでしないという人もいるかもしれません。

結婚と窒息

結婚は当初、資源の分配等の経済的なニーズによって成されていました。

19世紀になってくると結婚は、家が選んだ相手ではなく、愛によって自分が選んだ相手とするものになりました。

現代では、もちろん結婚は愛する人同士でするものではありますが、それによって理想の自分に近づくという自己実現の手段としても見られるようになりました。

こうした変遷を振り返ると、1つ似てる概念を思い当たる人もいるかもしれません。はい、欲求段階説ですね。

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(https://beehave.infodex.co.jp/entry/yotsumoto-maslow)

マズローの欲求段階説は、人間の基本的欲求を図のような5階層に構成したもので、低次の欲求からスタートして、その欲求が満たされると、一階層上の欲求に関心が移っていく...という有名なやつです。その真偽は置いておいて、結婚に対する考え方の歴史も、この欲求段階の山を下から上に上がっていっているように見えます。

最初は、性的に惹かれあった2人が子孫を残したいだけだったのが(生理的欲求)、2人は夫婦になることでパートナー探しの争いから卒業し(安全の欲求)、夫婦として社会の一員になり(社会的欲求)、愛し愛されるという精神的充足感を求めるようになり(承認欲求)、ついには結婚によって理想の自分になりたい(自己実現の欲求)...というとこまで来たと考えることもできます。

以下のTED talkは2013年のものですが、ここでも結婚に求められるものが多すぎる件についてユーモアを持って語られています。一部引用です(和訳は自分が文脈を考慮して作りました)。

So we come to one person, and we basically are asking them to give us what once an entire village used to provide. Give me belonging, give me identity, give me continuity, but give me transcendence and mystery and awe all in one. Give me comfort, give me edge. Give me novelty, give me familiarity. Give me predictability, give me surprise. And we think it's a given, and toys and lingerie are going to save us with that. ---Esther Perel(私たちが現代においてパートナーに求めるようになったもの、それは昔は村全体が与えてくれたものでした。私たちはパートナーに求めるのです、「 帰属感をくれ、身分をくれ、継続性をくれ、さらに超越性と神秘性もくれ、そして畏敬もだ。安らぎも、焦りも、新たなものも、馴れ親しんだものも、予測可能なものも サプライズも全て!」当然のように求めるのです。大人のおもちゃとランジェリーでセックスの快感を継続すれば何とかなるものでしょうか?)

この記事では結婚が自己実現の手段になっていることを非難したいわけではありません。

あくまで、そういう潮流が歴史的には比較的最近生まれてきたのだ、ということを知っておくと、「成長できない、理想の自分になれない結婚なんて止めちまえ」といった、自己実現できなければ結婚なんて意味がないという考えにも距離を取り、より現実的で、継続性のある関係をパートナーと築くことができるかもしれません。

実際、現代の結婚には「窒息のリスク」があると指摘する人もいます。ノースウェスタン大学の社会心理学者エリ・フィンケルは、上述の結婚の欲求段階化に言及し、「マズローの欲求段階説は、登るべき山と見ることもできる。結婚において、もちろん2人の自己実現に繋がれば素晴らしい景色を望むことができるだろう。しかし山の山頂への道のりは険しく、空気がどんどん薄くなっていき、準備なく挑むと窒息してしまうだろう。結婚すれば自然と自己実現できるという期待は現実と反している」(のようなことを)述べています。

この記事で一貫して述べてきたように、結婚を自己実現の手段と見る人が増えるということは、パートナーに対する期待も増えるということです。

前述の社会心理学者エリ・フィンケルは、偉大な彫刻家ミケランジェロが、ただの岩石からダビデ像を作り上げたように、現代の人々はパートナーに「本当の、理想的な自分を、現在の自分から見出してくれる(彫刻家的な)存在」になることを求めているようだ、と述べ、その現象をミケランジェロ効果と呼んでいるそうです。

政略結婚がメインだった時代は最も経済的合理性のある人がパートナーとして理想だったのに、現代の理想のパートナー像はそれとは全く違いますね。

無論、19世紀以前は不可能だった夫婦の高みに現代なら到達でき、過去のいずれの結婚よりも幸せになる可能性を秘めているのですが、「結婚で自己実現ができて当たり前。パートナーに理想の自分を見つけてもらえて当たり前」と何も努力をしないと、期待と現実のギャップが大きすぎて結婚生活に危機が迫るのかもしれません。

具体的なタイミングの例としては、第一子出産後に結婚生活の危機が訪れる夫婦は多いようです。もちろん、はじめて子供が生まれるというのは素晴らしいことですが、一方で、約33.5時間(注:個人差があります)が追加で子供の世話関連に取られることになる、と推定されています。

この33.5時間をどう、自己実現に生きている現代人が捻出するかですが、多くの人が「睡眠を削る」「夫婦の時間を削る」などで対応します。そのためにパートナーが必要としている感情面、精神面におけるサポートができず、夫婦の絆に影響するケースが少なくないようです。

Love Hack

結婚への高すぎる期待をどう現実的なものに調節し、夫婦の長期的な関係を良いものにしていくのか?

もうこの記事に何度か出てきている社会心理学者エリ・フィンケルは、結婚生活をうまくやっていくためのいくつかのコツ(Love hack)を紹介しています。

1:根本的な帰属の誤り(Fundamental attribution error)に気を付ける

根本的な帰属の誤りとは、

個人の行動を説明するにあたって、気質的または個性的な面を重視しすぎて、状況的な面を軽視しすぎる傾向(Wikipedia)

という認知バイアスです。

これは、我々の脳は、例えばパートナーが用事に遅刻したとき「こいつは自分勝手なやつだし、今回の自分との用事も大切に思ってないんだな...」と思いがちなので、「遅刻したのは、何かそうならざるを得ない状況があったのかもしれない...」と意識的に読み替える必要があるということです。

もちろん、暴力をふるってくるなどになると、自分の生命が危険ですので相手の状況とか考えずに逃げましょう。

2: 夫婦の相性は成長するものだという認識をする

夫婦(パートナー)の相性は固定であると暗に信じている人は多いようです。

こぅ、自分と相性抜群の誰かがこの世のどこかにいて、出会ってしまえば後は天国みたいな、運命論的な考えは、正直自分のようなですね、努力したくない人にとっては非常に都合のいい甘美なアイデアなのですが、実際のところ人間はよくできていて、任意の2人の相性をお互いの努力で改善していくことができるのです。

運命論的な考えだと、夫婦の喧嘩やいさかいは相性が悪いサインになり、その時点で「あぁっ、この人は私の運命の相手ではないのだわ...」と思いがちですが、それらを通してお互いの認識の違いだったりコミュニケーションの齟齬を把握し、より良い関係性に繋げていこう、という認識でいた方が建設的ですね。

3: ソーシャルポートフォリオの拡充

「ソーシャルポートフォリオとはなんぞ?」という人も多いかもしれませんが、これは要は投資のポートフォリオの考え方を人間関係に拡張したものです。

時代的になんらかの投資をしている社会人の方は多いと思いますが、多くの方は日本年金機構の基本ポートフォリオの考え方などを参考に、日本株X割、米国株Y割、債券Z割みたいに分散投資をされているでしょう。特定の金融商品に全ツッパしないのは、(全てを失う)リスク回避のためです。

現代の高すぎる結婚への期待は、パートナーへの要求項目が多すぎ、感情的、精神的に依存することへ繋がるリスクがあります。要は投資ポートフォリオとしては、単一銘柄株に全ツッパしているようなものです。相場がいいときはウハウハですが、相場が悪くなると人生苦しいです。損切りも考えたくなります。

ソーシャルポートフォリオの拡充というのは、特定の人間に依存しない、悩んだ時に相談できる相手がパートナーでなくても良いし、精神が不安定のときに頼れるのがパートナーでなくても良いという考え方です。

結婚していても、勤め先や古い友人、地域の人たちとの良好な繋がりを維持することの重要性は、独身時代と変わらないかもしれません。特定の人物に自分が依存することは、特に寿命が伸びて人生山あり谷ありいっぱいの今の時代、リスクが大きすぎます。「(夫なら、妻なら)...すべきだ!」という考えは、実は多くは歴史的根拠に乏しいし、柔軟性に乏しく、継続性のある結婚生活には繋がらないので注意する必要があります。

同意された非一夫一妻制はアリか

あまり日本では話題に上がっていない印象ですが、ソーシャルポートフォリオの拡充の考え方を進めると、

感情的、精神的サポートをパートナー以外に求めて良いなら、恋愛や性的な関係性もパートナー以外に求めて良いのでは?

という発想は避けられません。

最早ここまで来ると「結婚って、なに...?」となりますが、自然界では一夫一妻制(monogamy)の動物だけではなく一夫多妻制(polygamy)の動物もいますし、人間の世の中にも複婚を認めている国もあります。

もちろん、同意なしにそういった行為に及ぶと不倫になり結婚生活に大きな傷を与えるわけですが、仮に、夫婦間で性生活に不満があるような場合、夫婦でパートナー以外との性的な関係を持つことを認め合うconsensual non-monogamyという考えもアメリカではあるようです。

物議を醸すこと間違いなしの考えですが、いずれ日本でも出てくるかもしれません。

引用

When Did Marriage Become So Hard?

https://www.ted.com/talks/esther_perel_the_secret_to_desire_in_a_long_term_relationship?language=en

根本的な帰属の誤り

日本年金機構の基本ポートフォリオの考え方

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