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長谷川貞夫さん「田中章夫先生」

このnoteは長谷川貞夫さんがFacebookに投稿された文章ををまとめたものです。

初めて日本語をコンピュータで全文を仮名文字にした田中章夫先生について。

1.昭和47年頃、田中先生は東京都北区にある、国立国語研究所のコンピュータ部門の責任者でした。
私が田中先生にお会いして、その日本語を全文カナ文字にする紙テープを頂いてそれで実際に点字プリントをしました。
プログラマーは当時、東京大学点訳クラブの点有会に所属していた辻畑好秀さんでした。

2.この田中先生による、カナ文データから点字への変換結果は文部省の『教育と情報』昭和51年11月号にあります。
点字は、目で読めるように、点字プリンターで印刷する時、カーボン紙を挟み、点字が黒くなるように工夫しました。
この時の日本語原文は尾高朝雄先生の『多数決と民主主義』だったように覚えています。
これは、当時中学校の国語教科書に載っていたものです。
具体的に点訳された一部分は、原稿文字数の関係で非常に短い物でした。カナへの変換結果とその点字の一部分は次のようでした。『タスウ ケツ ノ ゲンリ ニハ イロイロ ナ コト ガ、…』
のような文章でした。
あくまでも以上は、私の記憶の範囲で書いていますが、田中先生によるカナ文字変換結果と黒い点による点訳結果の方法は理解して頂けると思います。

3.国立国語研究所コンピュータ課の、電子計算機による研究は国立国語研究所報告に掲載されています。
そこには、多くの人による多数論文がありますが、そのうち私が利用させて頂いた物は『漢字かなまじり文を全文カナ書き、ローマ字書きに変換するシステムについて』(田中章夫)でした。

4.当時の国立国語研究所のコンピュータは、HITAC−8300だったと聞いています。内蔵メモリーは、30キロとの事でした。当時日本で最大のHITACシステムは、東京大学の8800でした。それを、全国の大学などが通信端末で利用していました。
私が国会図書館で利用したのは、8400でした。それらに比べると国語研究所の8300はいかにも小規模な物だったと想像されます。
私の想像ですが、磁気テープ装置すら付いていなかったものと考えられます。

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