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ドストエフスキー『罪と罰』⑬

シリーズ↓


 ラスコーリニコフが水を飲んで昏倒してから、4日間が経ちました。目を覚ました彼の周りには、ナスターシヤやラズミーヒンがいます。彼が寝てる間にゾシーモフというラズミーヒンの友人の医者に診てもらっていたようです。

「四日間というもの、ほとんど飲まず食わずだったんだぜ。いやもう、お茶をスプーンで飲ましてやるさわぎさ。ゾシーモフに二度来てもらってね。」

 ところでこの医者のゾシーモフ、日本語に訳すと”延命君”となるらしいです。笑えますね。

 ラズミーヒンはおかみさんに出された食事を食べながらこう言います。

「こいつはみんなパーシェンカ(主婦のなれなれしい呼び方)、つまり、きみんとこのおかみさんのおごりでね、実によくしてくれるんだな。もちろん、ぼくから頼んだりしないが、かといって、断るでもなしさ。」

 コミュ力に自信ありの男、ラズミーヒン。この明るさが、基本的に暗めな(というのも安易な表現ですが)この小説のバランスをとっていますね。


 そのあとラズミーヒンはラスコーリニコフの服装を整えるためにいくつかの古着を買ってきて、また部屋に戻ってきました。ゾシーモフもやってきて、軽くラスコーリニコフを診た後、ラズミーヒンと話します。

ラ「ぼくに言わせりゃ、いい男となりゃ、それでもう立派な主義でね、それ以上は何を知ろうとも思わないのさ。ザメートフ(※予審判事、ラズミーヒンの知り合い)はすてきな男だぜ。」
ゾ「適当に私腹も肥やすしね」
 「私腹を肥やそうと知ったことかい! だいたい私腹を肥やしたからどうだと言うんだ!」
ラズミーヒンはちょっと不自然なくらいかっとなって、いきなり大声をあげた。
「ぼくはだな、やつが私腹を肥やしているのを誉めあげたわけじゃないぜ。彼は彼なりにいい男だ、と言ったまでじゃないか。だいたい、あらゆる点からふるいに掛けていったら、いい人間なんてどれほど残るもんか。いや、ぼくは確信するな、そうなったらぼくなんか、臓物いっさいこみで、玉ねぎの丸焼きひとつくらいにしか踏んでもらえんよ。しかも、きみをロハでおまけにつけてだ!……」

 ラズミーヒンの人間観がうかがえます。同時に、ドストエフスキーの”進歩派”への懐疑的な視線も感じます。あらゆる点で人間をふるいに掛けたら、自分とゾシーモフを合わせても焼き玉ねぎ一個分くらいの値打ちになってしまうよ――面白い言い方です。


 この二人の話は老婆殺害事件に移り、現在捜査線上にミコライというペンキ塗りの男が犯人として挙がっていることが明かされます。この男はザライスク群という分離派教徒の村の出身で――つまりこの点でラスコーリニコフ(割崎英雄)と類似したところがあるのですが—―当然犯人ではないのですが、警察に疑われているのです。

 そうした話がされていたところに、一人の男がやってきます。妹の婚約者のルージンがやってきたのです。

 短いですが、今回はこれだけにさせてください。というのも、「です・ます調」で書くのがたるくなってしまったのです(身勝手の極意)。

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