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オルテガ『大衆の反逆』① (大衆とはなんぞや)

 今回から、オルテガの『大衆の反逆』について、引用しつつ書いていこうと思う。実はまだいろいろな記事が未完成なのだが、それにもかかわらず次々と新しいことについて書こうとしてしまうのは、ひとえに私の飽きっぽい性格のせいだろう。この「飽きっぽさ」、言い換えるなら「(別なものへの)好奇心」は、「世人」の性格の一つであるとハイデガーは言う。「世人」とは現存在の頽落したあり方だが、今回出てくる「大衆」は、「世人」と近い関係にあると言える。

 とはいえ、「世人」と「大衆」は同じものではない。「世人」は日常的な(つまりふつうの)現存在のあり方だが、オルテガの「大衆」には明確に「劣ったもの」というニュアンスが込められているからだ。

 しかしまた重要なことは、この「大衆」は本書では明確には定義されておらず、ふんわりとした概念にとどまっているということである。「大衆」の特徴については様々なことが述べられるが、「こういうカテゴリーの人が大衆なんです」というように分類して、それを高みから批判するようなものではない。「大衆」は社会的(経済的)地位の低い人を意味する言葉ではない。それはむしろ精神的なあり方に関するものであり、近代のほとんどの人間に関係する概念と言える。

 今の時代に、自分を「大衆」だと自認している人、あるいは逆に「エリート(オルテガ的に言えば貴族)」だと自認している人はどちらもそう多くないと思う。ちなみに自分を「成功者」だと思っている人はそれなりにいるだろうが、この場合の「エリート」とは社会の指導者層や富裕層にいるということではなく、高貴な精神をもっているということである。

 しかし、「大衆」や「エリート」を自認している人が少ないというのは、それらのカテゴリーの人々が消滅したということではなく、ただそれらの精神的なあり方が見えなくなってしまったということではないだろうか。それはつまり、オルテガの危機の叫びにもかかわらず、「大衆」は社会全体を圧倒的に覆ってしまったということかもしれない。

 少し先走りすぎてしまったが、本文に入っていこう。ちなみに、結構な分量のある「フランス人へのプロローグ」には触れないことにする。というか読んでない。私はフランス人ではないので。


 ではまず一番最初の文を見てみよう。

それが良いことか悪いことかはともかく、現在のヨーロッパ社会には一つの重大な事実がある。それは、大衆が完全に社会的権力の前面に躍り出たことである。大衆はその定義から見て、自分の存在を律すべきではなく、またそもそも律することもできず、ましてや社会を統治することもできないのだ。この事実は、ヨーロッパが今や、民族、国家、文化として被りうる最大の危機に見舞われていることを意味している。これは、歴史上何度も起こったことであり、その相貌ともたらす効果についてはすでに知られている。すなわち「大衆の反逆」と呼ばれるものである。

『大衆の反逆』岩波文庫 p.63

 つかみはバッチリといった感じだ。オルテガの文章は勢いがあって読みやすいし面白い。ただ、「それが良いことか悪いことかはともかく」などと言っているが、「最大の危機に見舞われている」ならどう考えても悪いだろ!と突っ込まずにはいられない。

 また、「大衆はその定義から見て」とあるが、そもそも定義を示していないのにそんなこと言っていいんかい……と思ってしまう。まぁ好意的に(そして真面目に)解釈するなら、あえて定義をしなかったのだろう。つまり、大衆という言葉は誰もがある程度の意味をすでに心得ているはずなので、そのことを利用しつつ、いわば外堀を埋めるイメージでじんわりと「大衆の反逆」という現象を示す方針だと思われる。オルテガが「大衆」「反逆」「社会的権力」などの言葉を政治的な意味のみで捉えられるのを避けようとしていることからも、このことがうかがえる。もしかしたらハイデガーの言う「現象学的方法」のようなものかもしれない。ちょっと記憶が曖昧なのだが(!)、「そのものを、そのものの方から示す」というようなやり方、つまりそれが「何であるか」ではなく「どういう風にあるか」という視点で存在者を解明していくやり方、ということだ。

 ところで今、ウィキペディアでオルテガを検索したら、こんな文章が出てきた。

フッサール実在論的現象学の方法を用いた「生の哲学」を展開し、(ハイデッガーに先駆けて展開された)原始実存主義や、ディルタイクローチェとも比較される歴史主義などといった彼の諸思想の基礎となった。

ウィキペディア オルテガの項

 やっぱり現象学的方法は関係していたのだ! 「原始実存主義」というのはちょっとよくわかんない(サンドウィッチマン)けど、ハイデガーも絡んでるし私の言っていることもあながち間違いじゃないのかもしれない。ふと思ったけど、19世紀末から20世紀初頭らへんのヨーロッパの思想ってめっちゃアツい気がする。たぶん近代化とそれによる混乱が思想を導いていったのだろう。そしてそれは世界大戦につながっていくのだが。

 全然進んでいないけどここまでにする。この「大衆の反逆」、学術論文じゃないせいか、いい意味でゆるく書かれていてめっちゃ面白い。
 たとえば、「驚くこと、奇異に思うことは理解の始まりとなる。それは知性人特有の態度でありスポーツだ。これはサッカー選手にはわからない楽しみである。知性人のしるしは、この驚いて大きく見開かれた目にある。それゆえに古代人たちはいつも目を見開いている鳥、すなわちフクロウをミネルヴァのお供にしたのだ」みたいなことが書いてある。サッカー全盛の現代でこんなこと書いたら大問題である。

 


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