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物、人、学び

「いつかこれ、使えるだろう」

物を捨てられない人は多い。
私も、どちらかといったら
物を捨てられない派にいる。

年末の大掃除、だの
引っ越しの準備、だの
完全に壊れたから、だの

そういった強い理由があれば問題ない。
でもなにかしら理由がないと捨てない。
捨てられない。

心で声がする。

「もったいない、もったいないぞ」
「今は使わないけど、置いておけ」
「他の人が欲しがるかもしれない」

理屈よりも呪いに近いような声を
ぼそぼそと、でも聞こえる声量で
嫌らしい陰口のように言い続ける。

その声の主が自分だからたちが悪い。

たまに、そんな自分が嫌になって
自分に反発するように物を捨てる。
やかましい小言を無視して捨てる。
「うるさいな、知ったことか」と。

多分私は物を捨てるという行為に
けっこう強い罪悪感を抱いている。

昔かろうじて観ていたテレビでは
たびたびゴミ屋敷を取上げていて

「近隣住民から迷惑の声が多数なのに
どうして家の主はなにもしないのだ!」

という論調で屋敷の主を攻撃した。

理屈は分かる。
社会の一員として迷惑をかけない。
それは誰が見ても明らかな回答だ。

でも私は屋敷の主を攻撃できない。
ひとつボタンをかけ違っていれば
私は屋敷の主にいつでもなりえる。
そんな思いが常に付きまとうから。

・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・

物を捨てられないってことと
人間関係を崩せないことは似ている。

学校で会うから、いい顔しよう。
私の友達だから、いい顔しよう。
知り合いだから、いい顔しよう。
初めて会うけど、いい顔しよう。
とりあえず全て、いい顔しよう。

いい顔には自信がある。
相手が嫌がることをしなければいい。
相手が嫌がることを引き受ければいい。
そんなの簡単じゃん。
それだけで嫌われないんなら、やるでしょ。

そうやってみんなにいい顔をしているけど
なぜか私の周りには人が寄ってこない。
人気者はいつだって我が強い人だ。
我がままで周りを振り回す人。

なんでだよ!

いい顔している私が人気者であるべきだろ。
たしかに私は周りに嫌われていないけども
人気者のように好かれているわけじゃない。
友達はぼちぼちいるけど、親友はいるのか?

なんだよ、いい顔するって、イイコトだろ?

学校の先生だって、親だってそう言ってた。
いまさらこの『いい顔』を辞めれるもんか。
嫌われて陰口を叩かれるなんて絶対にイヤ。

いい顔を辞められない。

どうでもいい人が薄い関係でまとわりつく。
気が付けば私の周りはそんなのばっかりだ。

私がその人になにかをしても返ってこない。
私が一方的になにかを差し出すだけの状況。
なんだよこれ。なんで私は報われないんだ?

ていうか、私が好きな人は、どこにいった?

・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・

本当に好きな物と
本当に好きな人がいる人生を送るには
なんでもかんでも増やしすぎないこと。

増やしてしまっても捨てる勇気を持つ。

勇気が出なかったら仕組みで解決する。

仕組みが分からなかったら学んで得る。

だから、私たちは学ぶことが大事です。


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