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2013年の作文・10月

2013.10.1
ドストエフスキー『地下室の手記』(安岡治子・訳)光文社古典新訳文庫を読んでいる。ぼくが大学生の時に読んだのは、新潮文庫の江川卓・訳だ。こちらは昭和44年12月30日発行である。不思議な縁だ。ぼくは昭和44年12月生まれ。「ぼくは病んだ人間だ……ぼくは意地の悪い人間だ。」という書き出し。主人公は「ぼく」である。安岡治子・訳は2007年5月20日発行である。「俺は病んでいる……。ねじけた根性の男だ。」という書き出し。主人公は「俺」である。『地下室の手記』は、「Ⅰ 地下室」と「Ⅱ ぼた雪に寄せて」の2部構成。Ⅰの方で主人公は40歳のおっさん。そのおっさんが回想するⅡでは24歳の青年である。主人公が20年前を振り返るという構成と、今のぼくが大学生の頃を回想するということとが完全にリンクする。こうした読書体験はまことにエキサイティングである。ぼくは、強く勧めたい。20代の頃に『地下室の手記』を一度読んで、40代になったらもう一度読め! この2度は、他の本では意味が薄れる。『地下室の手記』だからいいのだ。地下室の住人は2度ベルを鳴らす。ここで一人称について、少し考えて見たい。ぼくは話し言葉では「私」と「俺」と「ぼく」を使い分けている。仕事では「私」を使い。家族の前では「ぼく」で、友人と話すと「俺」になる。このブログでは、極力「ぼく」で統一している。意識的に、である。詩を書くときもほとんど「ぼく」である。「ぼく」には少年が住んでいる、と勝手に思っているからだ。詩を書くのは少年だ。ぼくの中でそういう偏見があるのだ。そして、それは甘えているのだ。甘えられる存在が聴き手にいることが前提にあるから「ぼく」を使う。それに対して「俺」は少し大人びている。大人が使うオレを模倣しているのだ。「俺」は虚栄を張っている。男を意識している。しかし、あくまでもプライベートの領域に留まる。それに対して、「私」はパブリックの領域に入る。社会人としての意識が働いている。そして「私」には性別がない。まとめよう。「ぼく」は知的である。「俺」は性的である。「私」は霊的である。ぼくの中の「ぼく」と「俺」と「私」を端的に表現するとこうなる。だから、江川卓・訳で読む印象と安岡治子・訳で読む印象は必然的に違ってくる。その違いを楽しむのも読書の悦楽の一つだ。
 
 
2013.10.2
雨の水曜日だったので、朝からずっと「雨のウェンズデイ」を聴いていた。ヘビーローテーションのすえに眠りこけてしまった。昼に起きて、雨の中を夫婦で出かけた。長靴をはいて傘をさし、一駅歩いて、中国料理のレストランに入った。二種類の定食を二人で分けて食べた。もの足りなくて焼きそばを追加した。焼きそばがおいしかった。デザートに杏仁豆腐。杏仁って何? いままで疑問に思わなかったが、ふとこの味は何から作るのか知りたくなった。調べると、杏仁(きょうにん)というアンズの一種をすり潰して苦味を抜いて甘くした薬膳料理だったそうな。そうか、言われてみるとくすりっぽい。しかし、最近はアーモンドエッセンスで味付けしたものが市販されているらしい。アーモンドか。きょうのは本物だったような気がするけど。ドストエフスキイの『地下室の手記』には、リーザという娼婦が出てくる。主人公と彼女とのやりとりが、この小説のクライマックスだ。主人公は、勢い余って友人から借りたお金で売春宿に行き、リーザを買ったあと、なぜか彼女に説教をする。なんの資格があってそんなに偉そうなことを言うのか読者には全く理解できない。それがまた滑稽でおかしいのだが、その口上があまりにも饒舌で長いので、読んでいるとどんどん引き込まれてしまう。そして、なんかすげえこと云っているじゃないかと次第に感心してしまう。主人公は、ほんとはすごく立派な人間なのかも知れないと思わせる。ところがその期待はすぐに裏切られるのだ。人間を性善説で見ている人は、きっとこの人物を許せないだろう。しかし、性悪説で見ている者にとって、この人物が救い主にさえ見えてくるにちがいない。希望はあるのか、それとも絶望か、ドストエフスキイはいつもぼくらを迷わせる。そのゆさぶりに一種の快感が伴ってくる。そして病みつきになる。
 
◆リーザ  2013.10.2◆
 
ぼくがぼくの街に出ると
女が売っていた
でもぼくはそれを買わなかった
なぜなら
ぼくのなかの男を売るための準備が
ぼくにはまだできていなかったから
 
 
2013.10.3
20代の時には読み飛ばしていたけれど40を過ぎて次の一文を読むと腸がねじれるくらい笑ってしまう。
 
《俺は今、四十だが、四十といえば全生涯だ。もう大変な本物の年寄りだ。四十を過ぎて生きるなんざ、みっともないし、最低だ、人の道にもとる! 四十過ぎて生きるなんて、いったいどんなやつだ? 正直に誠実に答えてくれ。俺が答えてやるよ。それは愚か者とろくでなしさ。俺はあらゆる年寄りに、敬うべき、銀髪の馥郁たる芳香を放つすべての老人に面と向かって言ってやる。全世界にずばりと言ってやるんだ! 俺がこんなことを言う権利を持っているのは、俺自身が六十まで生きながらえるからだ。七十まで、いや八十までも、長々と生きるからだ! ……ちょっと待った! ひと息つかせてくれ……。》
──ドストエフスキー『地下室の手記』(安岡治子・訳)光文社古典新訳文庫、13頁より
 
読み比べをしてみよう。次の文は同じ箇所の江川卓・訳である。
《ぼくはいま四十歳だが、四十年といえば、これはもう人間の全生涯だ。老齢もいいところだ。四十年以上も生きのびるなんて、みっともないことだし、俗悪で、不道徳だ! だれが四十歳以上まで生きているか、ひとつ正直に、嘘いつわりなく答えてみるがいい。ぼくに言わせれば、生きのびているのは、ばかと、ならず者だけである。ぼくは世のすべての老人たちに、面と向ってこう言ってやれる。尊敬すべきご老人方、銀髪をいただき、ふくよかな香りをただよわしているご老人方を前に置いて言ってやれる! 全世界に向って言ってやれる! ぼくにはこう言うだけの権利がある。なぜなら、ぼく自身、六十までも生きのびるだろうからだ。七十までも生きのびるからだ。そうとも、八十までだって、生きぬいてやる!…… いや、ちょっと待ってくれ! ひと息つかせてくれたまえ……》
 
「ぼく」と「俺」の違いや、テンポなどが異なっているが、伝わってくる内容は一緒である。映画のリメイクみたいなものだ。新しい訳の方が、若い世代の人たちには分かりやすいだろう。ぼくは、江川さんの訳を最初に読んでいるせいか、「ぼく」の語りの方が、味わいがあっていい。でも「俺」の方が笑えるのではないかとも思う。「ぼく」の方が、湿気が多い。「俺」にすると軽さが出る。
 
 
2013.10.4
(気分がのらない。一回休み)
 
 
2013.10.5
1.父が喜寿を迎えた。今も現役でじぶんの好きな仕事をしている。社会正義に目覚め、世直しのために言論戦を展開している。語学が堪能で、世界中に友人を作り、日本との架け橋になってきた。父はぼくをタイに連れて行ってくれた。父はぼくをアメリカに連れて行ってくれた。子どもが三人、孫が五人、妻一人。みな元気である。背中で、生き様を見せている。高血圧、糖尿、脳梗塞、大きな病気をいくつも乗り越えて、生きている。交通事故、盗難、詐欺、様々な被害を受けてもへこたれず、生きている。クラシック音楽が好きで、歴史が好きで、SFが好きで、世界の神秘が好きで、ぼくに大きな影響を与え続けている。事業家として、大きく成功し、また大きく失敗し、それでも前に進んでいる。生きた教科書である。父の77年は激動だった。しかし、幸福でもあった。これからの活躍が楽しみだ。苦悩を突き抜け歓喜に至る生涯であってほしい。
 
2.猫は逃げる時どうしてあんなに必死なのだろう。夜中の道でよく猫に遭遇する。ぼくが車で近づくとびっくりした表情を一度こちらに見せ、一拍おいてから、急に爪を立てて走り出し、全身の毛を逆立て、しっぽを立て、肛門を見せながら逃げ去ってゆく。あの慌てふためく姿を見ると、なぜかイラっとくるのはぼくだけだろうか。何もこちらは轢き殺そうというのではない。ちょっとどいてくれたら、すうと通り過ぎるだけだ。あんな風に逃げられると、まるでこちらが悪いことでもしているような気分になる。小走りに逃げてゆく夜道の一人歩きの女性に疑われているかもしれないという意識。夜道を女性が一人で歩く方が悪い。夜道のど真ん中で遊んでいる猫が悪い。こちらはそう思うのだ。逃げる猫を見ると、逆にどこまでも追いかけたくなる。逃げる女性を見るとつい追いかけてしまうのは男の本能かも知れない。いずれにしても、下手に刺激しない方がいいのだ。
 
 
2013.10.6
電話で話すことはできるのに直接会って話そうとは思えない。メールのやりとりはできるのに電話では話せない。そんな経験はないだろうか。顔を見て話す、という対話には相当のエネルギーが必要なのだ。好きな人ができて、その思いを伝えたい。でも面と向ってはいえない時、人は必ずペンを握る。手紙に託された思い。それは書く人格によって綴られた書き言葉。話す人格にできなかったことを書く人格が代行する。書かれたものを見て想像していた人物像が、会って話してみて修正を加えなくてはならなくなることも多い。書く人格が与える印象と話す人格が与える印象はおのずと異なるのだ。書く人格には、横書きと縦書きがある。また、デスマス調とデアル調がある。それに比べて、話す人格には、演説型と対話型、解説型と雑談型、一方通行型と共有型などがある。小説を読んでいて気が付いたのだが、小説のなかには、この二つの人格が絶妙なバランスで散りばめられている。
 
「お棺?」
「そうだ。センナヤ広場で、地下室から運び出していた」
「地下室から?」
「いや、地下室じゃなくて、地階だ……わかるだろ……下のほうの……いかがわしい家の……そこらじゅうひどく汚れている……卵の殻だの、ゴミだの……悪臭がして……そりゃあ不快な場所だ」
沈黙。
「今日みたいな日の葬式は、たまらないね!」俺はただ沈黙を破りたいがために、また話しはじめた。
「何でたまらないの?」
「雪が降って、びしょびしょしてるし……」(俺は欠伸をした)
「どうせ同じことじゃない」しばしの沈黙の後、女は、不意に言った。
 
引用は、ドストエフスキー『地下室の手記』(安岡治子・訳)光文社古典新訳文庫178頁~179頁より
 
「 」の中は話す人格による会話の中身である。それに書く人格が解説を加えていく。読者はその場の状況を想像しながら、二人が何を話し合い、どのように場面が展開されるのか、そのことを活字で追跡していくことが小説を読むことの主要動機となる。そして、面白いのは、そうした世界全体が、本のなかにすっぽり納まってしまっているという事実だ。俯瞰すれば、それは作家という「書く人格」によって制御された世界像なのだ。これはDNAと人体の関係に似ている。人体全体の設計図はDNAの中にすっぽり納まっているという。『地下室の手記』という小説のタイトルに「手記」と付いているのは意味深長である。書く人格が「意識された自己」を余すことなく書き尽くす、そのような意志に貫かれた本である。そして、読者は、この本の中で、書く人格と話す人格とがしばしば分裂し、乖離していく箇所に出くわして、思わずふき出してしまうだろう。書く人格と話す人格の終わりなき闘争が小説という舞台の上で繰り広げられている、と云ってもよい。
 
 
2013.10.7
図書館でふと思いついたこと。《二人のムラカミ》。それぞれ一冊ずつ選んで、交互に引用する。文学によるコラージュのように。ミックスのように。意外な効果が産まれるのではないか。さっそくやってみた。
◆二人のムラカミ・コラージュⅠ
ムラカミは云う
《じゃあ小説や他のエッセイの場合はどうか、つまり誰に向かって書いているかというと、それは大げさに言うと「世界」、自分以外のすべてということになります、》
ムラカミは云う
《ところで僕がこれまでの人生でいちばんよく覚えているスーツというと、20年ほど前に「群像」新人賞をとったとき、授賞式に着て行ったオリーブ色のコットン・スーツ。スーツというものを持っていなかったので、青山のVANのショップに行ってバーゲンで買った。》
ムラカミは云う
《しかし、この街のパイレーツ・ハウスという古いレストランのオクラ・ガンボはおいしかった、あと、野菜が、思わず目を白黒するほどおいしかった、いちごも、ウーッと唸るくらいおいしかった、》
ムラカミは云う
《いくつかの短い夢まで見た。どれもこれも脈絡のない不思議な夢だった。そして夢を見るたびに、身体の疲れが少しずつ癒されていくような気がした。そのあいだ耳元ではずっと、キューバ音楽が心地よく鳴り響いていた。》
ムラカミは云う
《グライダーの夢、朝の光に被われた草原にジャンボくらい大きなグライダーがズラリと並んでいる、それらを引っ張る飛行機も彼方にたくさん並んでいる、F1の観戦帰りみたいな外人の客がグライダーに乗ろうと順番を待っている、でも僕が乗ろうと待ち構えているのはジャンボみたいに大きいやつじゃなくて、ナウシカが乗ってたみたいな簡単な骨組みと羽だけの一人用のやつ、》
ムラカミは云う
《あるとくべつな夜に、あるとくべつな女性と、青山のとある高級なイタリア料理店に行って、夕食をともにした。といっても要するにうちの奥さんと、結婚記念日を祝ったというだけのことです。》
ムラカミは云う
《小説を書いたりするのは、本当に最悪で(しょうがなくやってるけど)、自分を見つめることになって、自分が寂しい異邦人であることや、日本語と日本に頼りきってることがよりはっきりとしてしまってたまらなくゆううつになる、》
ムラカミは云う
《一般的に言って、小説家というのはわりに変な(役に立たない)ものごとにこだわってしまう人種であると定義していいかもしれない。ときどき「なんでまたこんなものが」というようなものごとが、気になってしょうがなくなることがある。》
 
選んだ本は、
①村上龍『「普通の女の子」として存在したくないあなたへ』マガジンハウス(1993年6月24日発行)
②村上春樹『村上ラヂオ』マガジンハウス(2001年6月8日発行)
①は雑誌『anan』1991年11月29日号~1993年3月19日号までの連載をまとめたもので、
②は同じく『anan』2000年3月17日号~2001年3月3日号までの連載をまとめたものである。
引用は順番に
「セントラル・パークを見下ろす部屋から」(龍)
「スーツの話」(春樹)
「ジョージア州・サヴァンナから」(龍)
「滋養のある音楽」(春樹)
「セント・オーガスティンから」(龍)
「リストランテの夜」(春樹)
「メキシコ・シティから」(龍)
「焼かれる」(春樹)
という具合に各章から一文ずつ、ぼくが気まぐれに選んだ。
「云う」という字を見て気が付いた。《二人のムラカミ》のうち《二》という字と《ム》という字で《云》という字になっている。コラージュをやってみると、案外内容がシンクロしている。10年近く連載にタイムラグがあることや、作家の感性や観点、それに生活の場も全然異なるのだが、媒体が一緒であるという共通点だけで、何か通じ合うものが産まれてしまうのかもしれない。二人とも『anan』という雑誌を購入するのが若い女性であるということを頭の片隅に置いているだろう。読者が想定されていることで、書き手は制約を受ける。その制約があるから、その枠内での芸当が期待される。引用しているだけなのだが、ぼくはこの作業でずいぶん癒された。《引用セラピー》とか《引用療法》とよんでおいてもいいかもしれない。例えば、今後、川端康成と大江健三郎でノーベル文学賞受賞者コラージュとか、小林多喜二と宮澤賢治で没後80年記念コラージュとか、様々な企画でやってみたい。
 
 
2013.10.8
◆柿  2013.10.8◆
 
柿が好き
柿が好き
ぼくはずっと前から
柿が好き
 
柿をください
柿をください
熟れて
中身がトロトロになった
あまい
あまあい
完熟の柿
 
どうか
このぼくに
柿をください
 
もも
くり
さんねん
かき
はちねん
 
ももくりさんねんかきはちねん
 
しゅる
しゅる
しゅるる
しゅる
しゅるる
 
柿が好き
柿が好き
ぼくは
今すぐ
しゃぶりつく
しゅるっ
 
 
2013.10.9
◆朝焼けモーニングセット  2013.10.9◆
 
台風が
列島を横ぎり
過ぎ去ってゆきました
究極の朝焼けが
焼きあがりました
どうです今朝の朝焼けは
ええ 
このハムにくるんで食べると 
よりおいしくなりますね
アボカドにも合いますから
どうぞお試し下さい
はい
では次はこれで
うむ
うむ
まむ
合いますね
ところであの子はいまどちらへ
ああ彼女なら
きのう
虹をおいかけて
きのう出たあの虹です
さてどこまでいきましたか
そうですか
それっきり
はい
月と雲はそんな会話をしながら
澄みきった青い風に吹かれておりました
 
 
2013.10.10
◆同時にできること  2013.10.10◆
 
ビックマックをかじりながら街を歩くことはできる
でも
ドストエフスキイの小説を読みながらトルストイの本は読めない
なぜだろう
ラーメンをすすりながら笑っていいともを観ることはできる
でも
辻征夫の詩を読みながら谷川俊太郎の詩は朗読できない
なぜだろう
同時にできることがある
と同時に
同時にできないこともある
なぜだろう
 
つーとんとんとんつー とんつーとんとんつー
上空でヘリコプターが旋回中
操縦かんを握っているのはHくん
ぼくはスマホからモールス信号を送る
返信はない
ヘリを操縦しながら余計なことをすれば命取りだ
しかしヘリの動きでHくんは答えてくれる
19時
新橋
ジャズ
ギャル
バーボン
OK?
ぼくはモールス信号で返事
とんかつ
とんかつ食べたい
とんかつだけは食べたい
そのあと
バーにいこう
いつもの
あの子のいるバーで
ぼくはオンザロックで
Hくんはソーダー割で
サラボーン

ポテサラ

朝まで
飲もう
 
ぼくのうしろで眉毛のつながった少年がなぜか笑っている
 
 
2013.10.11
図書館から詩の朗読CDを何枚か借りてきて、聴きまくっている。様々な俳優さんが朗読しているのだが、どの詩を聴いても雰囲気が暗い。どうして暗いのかわからないけど、内容のいかんにかかわらず暗い。これを聴き続けているとだんだんこちらの気分も暗くなってくる。暗くなったうえに、たとえば中原中也の「汚れつちまつた悲しみに」が来ると、もうどん底で、なすところもなく日は暮れてしまう。これじゃあリピーターが来ないで閉店ガラガラだ。朗読CDが人気のない理由は詩人のせいではない、とぼくは思う。どうしてもっと楽しそうに、愉快に、明るく、読めませんか? マイナーコードで、すすり泣く、お涙頂戴方式ばかりで、近代の詩のイメエジダウンを図ってきたこれまでの朗読状況を、なんとか変革しなくちゃ、詩はどんどん忘れ去られていくだろう。残るは、のうてんきなアイドルのラブソングばかりなり。それじゃあ、悲しくてやりきれない。その一方で、みながそっぽを向いているからこそ、詩を朗読するという行為に稀少価値が生まれ、それをこっそり楽しむこともできるのだという逆説を受け入れる人々もいるだろう。実際、行くとこへ行けば、詩は読まれているのだ。暗く、悲しく、陰鬱とした世界を、朗読しながら聴きながら、共有する人々はいる。ネガティブなパワーを信仰し続ける人々はいる。詩集を片手に、町をとぼとぼ歩く文学青年は、いつも栄養の足りない青白い顔で、幸薄い空気をあたりに漂わせていなければならないという根強い偏見が、わが国の変わらぬ状況であるのかもしれない。が、詩はそういう面だけだと思われちゃあかなわない。諸君、もっともっと詩を読もう。詩を声に出して読もう。そして、極力明るく楽しく読もう。時には軽快なトラックを背景に愉快に読もう。テンポを上げて、アゲアゲで読もう。そうすれば「汚れつちまつた悲しみ」さえ、笑い飛ばせるのだ。ぶっとんじゃいなよ、この際だから。石川啄木あたりも、元気いっぱい読んでくれ。感傷も感情移入も抜きにして、鉄砲撃つように読んでくれ。東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる。早口言葉のようにダダダダダと読んでくれ。東京の目黒の川の橋の上くつ脱ぎ捨ててえいと飛び込む。
 
 
2013.10.12
二子玉川駅を降りたのは25年ぶりだ。改札口で人を待っている間、駅に入ってくる人、出て行く人、様々な用件で動いている人々をずっと観察していた。誰一人顔見知りがいない。当たり前のことだけれど、考えてみると、それはとても不思議なことだ。25年前にはまだこの世に生まれてきていない人もたくさんいるだろう。そういう人たちをぼくは初めて見ている。多生(他生)の縁という言葉があるが、ここでこうして出会ったのも偶然ではないのだろうか。おっとご婦人が財布を落とした。気づかずに改札を出て行った。拾おうとしたら、先に別のご婦人がそれを拾って走って追いかけて落とし主に財布を渡した。多生の縁というものがあるとすれば、まことに複雑な関係が絡まり合っている。痴漢とみなされたと思しき男性と女性の間に駅員ふたりが割って入り、なにやら言い争っている。多生の縁か。前世で彼らにどんな関係があったのだろう。待ち合わせていた友人二人が到着。三人でビールとパスタを注文して乾杯。多生の縁よりも、確実なエンをぼくらは持っている気がする。それは宴であり円だ。お互いの名前、顔、家族構成、経験、知識、趣味、夢、くせ、を詳しく知り合っている。友人がタブレットを出して、読書したいと思っているんだけどオススメはないかと訊いてきたので、ドストエフスキイを推奨した。友人はさっそく電子書籍版『罪と罰』を購入。本屋にはいかないのだ。その場で読みたいものがすぐに読めちゃう。あまりにあっけなくて推奨した手ごたえが感じられなかった。ぼくは帰りの電車の中で本を開いた。
《小林は昭和四年の『様々なる意匠』で、プロレタリア文学も新感覚派も結局は文学的意匠にすぎぬと裁断していた。それが、昭和九年の段階においては、政治を行なわんとするプロレタリア文学はすでに問題とされていない。九年八月にみずから望んで設定した「政治と文学」に関する座談会で、旧プロレタリア文学運動家に、政治において敗れているプロレタリア文学になぜ「恋々」としているのか、と攻撃をしかけている。文学が「自意識」の領域における仮構であるなら、政治に敗れようとどうしようと関係ないではないか、というわけであろう。これは、かれがプロレタリア文学運動と衝突した結果導きだされた言葉である。そしてすでに訣別は決定的である。/その訣別によって、小林はイワンの提示したアポリアに、承諾しないと大きな声で答えたのである。かれは、ひとが理念によっては生きていけない、ひとりひとり自身の実生活つまり秘密(地下室)を抱えてしか生きていない、と思想的流血のはてに悟っていた。「誰も彼も同じ様な事を諒解する。然し各自が何という孤独をもって生きている事か? 何という自分だけにしか解からない秘密をもって生きている事か? そしてこの秘密に気が付いた男は、はやこの秘密を通してのみしか人生を眺められないのだ」と。ここにいう「各自の孤独」あるいは「秘密」が、ドストエフスキイの「地下室」つまりは実生活であることは、すでに明らかだろう。》
(松本健一『ドストエフスキイと日本人(下)』第三文明社、44頁より)
ここに引用された小林秀雄の言葉と、ドストエフスキイ観、そして当時の文壇との距離に関して、ぼくは大いに感じるものがあった。
 
 
2013.10.13
◆二人のムラカミ・コラージュⅡ
 
ムラカミは云う
《僕が子どもの頃、うちで飼っていた猫はときどき鼠を殺して、それをくわえて自慢そうに見せに来ていた。だから猫は家の中でも価値のあるものとして、自立したポジションを維持していた。つまり猫山さんは専門技能を持つ個人主義者であり、クールな自由業者であり、そんな時代には猫山さんにお手を仕込むなんて、とても考えられなかった。だってそんなことをしても意味ないものね。》
ムラカミは云う
《さて、ソビエト・ロシアが社会主義から遠去かり、北朝鮮とともにキューバはその孤立化がとりざたされていて、出発前にTBSのニュースかなんかで、「食料も石油もなく、反カストロの動きも活発で、暴動寸前」なんて言ってたようだが、少なくとも僕が見た限りでは、そんなうわさはとんでもでべその大嘘だった、》
ムラカミは云う
《「すみませーん」と声をかけながら廊下を進んでいくと、奥の方に調理場らしい土間があった。のぞいてみると、ひと昔前のポーランド映画っぽい湿った仄かな光の中で、腰が曲がったおばあさんが一人、太いくしみたいなものを手にむこう向きに立っていた。そして僕が見守る中で、それをどおんと振り下ろして、うなぎの首を刺した。まるで古い夢の中の光景みたいだった。》
ムラカミは云う
《キューバと日本は遠い、地理的にも遠いけど、それ以上に、情熱がないのでもっと遠くに感じる、キューバの音楽のすばらしさをどうやったらわかって貰えるのだろう、》
ムラカミは云う
《そのときに、自分がこのまま死んでしまったとしてもおかしくないと感じた。僕にとっての世界は既にほどけてしまって、これから先の世界は僕とは無関係に進行していくんだな、と。自分が透明になって肉体を失い、五感だけがあとに残って、残務処理みたいに世界を見納めているのだという気がした。とても不思議な、ひっそりとした心持ちだった。》
ムラカミは云う
《大切なのは、キューバのことを知るのではなく、キューバのエネルギーに感心できる自分にすることではないだろうか、キューバのエネルギーに反応するコードというのは、キューバのガイドブックや雑誌で情報をとりあえず知る、ということと、正反対のところにある、》
ムラカミは云う
《言葉の、とくに耳から入ってくる音声的な言葉のすべての意味と関係性が、大きな蛍光灯で照らされるみたいに隅々までクリアになってしまうと、それはそれでなんか味気ないものじゃないだろうか。人生にはある程度の理不尽な謎が必要なのだ。僕はそう思う。》
ムラカミは云う
《十代の終わりや二十代の前半に、悩まない奴はパーだ、「ボク、本当はいろいろ悩みがあるんですよ、おかしいですかね、時々落ち込んだりするし」『ラッフルズホテル』の撮影中にモッくんがそう言ったことがあって、「君くらいの年に悩みがないのはバカだ」と僕は答えた、》
 
引用文献
①村上龍『「普通の女の子」として存在したくないあなたへ』マガジンハウス(1993年6月24日発行)
②村上春樹『村上ラヂオ』マガジンハウス(2001年6月8日発行)
引用は順番に
「猫山さんはどこに行くのか?」(春樹)
「キューバ・ハバナから」(龍)
「うなぎ」(春樹)
「海の見えるホテルのベランダから」(龍)
「ロードス島の上空で」(春樹)
「N・Y、ホテル・ペニンシュラから」(龍)
「にんじんさん」(春樹)
「“トパーズ・ナイト”から」(龍)
 
 
2013.10.14
(一回休み)
 
 
2013.10.15
Kくんと次のようなメールのやりとりをした。
 
K「最近がっこ、俺っちのこと避けてるよね! K教が強烈で直言たっぷりなのはわかるけど、明らかに生命力落ちてる。安全圏でやってる。俺に負けてる。こががっこも所詮そこまでかというのが俺の実感です。残念です」
僕「河馬みたいなこといわないでください。きみはぼくの理解者じゃないか」
K「いや河馬であろうと誰であろうと本音です。プライドとか過去の経緯とかあるなら、今のがっこは正直一般人と変わりません。こががっこお前もか、というインショー」
僕「そうやって人を追い込んで楽しいですか?」
K「追い込んでいると感じるならそれが現在のがっこの生命力の状態ですよ。人間関係は鏡」
僕「馬鹿にしすぎだ」
K「じゃあ、無視される方の気持ちも考えてごらんよ。話したくない病のはずが、いまこうして話している。怒っている。所詮、それ以上でもそれ以下でもないなぁと思ってしまいます。正直、残念だわ」
僕「とにかくいまこちらは苦しいのです。苦しい立場をなんとかだましだまし生きているんです。それをわかってはくれないのですか」
K「う~ん。苦しいという要求をなんだか無理矢理押し付けて、だからおまえの方は黙っておれ、というふうにしか見えないなあ。正論や独善をかざした質の悪い言い訳にしか見えないなあ。感じたことを特別に仲がいいから言ったつもりなのに俺の何が悪いのかな? 俺の方が今は自然体に思いますね」
僕「唯一の理解者から残念と言われたらどれだけショックか。それから、いま話せることは全部ネガティブなことだけだし、それをはきだしている自分をみるのが心底いやなんです。当たり障りのない話をつづけるしかいまのところ手がないのです。苦しみに耐えているギリギリの状況を察してほしい。周囲はぼくの精神的危機を知りません。知らせる気もありません」
K「分からないのですか、という言葉に、分からない! と言ったら俺は犯罪者なのですか? 裏切り者なのですか? そのくらいの要求を俺に課していると感じました。がっこの傷口に塩を塗るように、俺の言葉が感じられるかもしれませんが、ぼくは辛いから誰にも言えないとか、知らせる気もないとか、突然言われても俺には分からないな。なんだか理解者とか味方は、がっこの都合のいいように振る舞え! と言っているようにしか感じられませんよ。人間ですからね、Kはぼくの理解者という立場なのだから黙っていろ、というふうにしか見えない。こががっこの限界を見ました。分かって欲しい相手には、極力要求をしてはいけないと、俺はがっこに教わったけどなあ」
僕「じかん下さい。じかんだけが最後の友だちです」
K「そのさあ。時間だけが最後の友だちって言われても、言われた方は、俺は友達からも時間からも格下げかよ! としか思えないという誤解を産むと思うよ。まあ、無視しないだけマシですけどね」
僕「これ以上は君への攻撃になってしまう。もうやめましょう。ぼくにじかんを下さい。どうかお願いします」
K「俺に攻撃したって、したいなら攻撃すればいいじゃない。また攻撃という言葉を使わなくってさぁ、うまく人間関係言える言葉はあるでしょう? ホントにどこまでも人の上に立っていないと気がすまないのですね? もっとフラットにできないものなのかね。俺にはそういう人間関係、コミュニケーションの仕方はもったいないと思う」
僕「もう一度言います。じかんを下さい。ぼくには余裕なんてないんだ。追いつめられたら攻撃しかできないんだ。こうしている間にまたやりたいことができなかったんだ。激おこぷんぷん丸」
 
このあとぼくは、Kくんと立川で会って、朝まで語り合った。ほんとうに仲がいいのである。
 
 
◆ちちとおちちのうばいあい  2013.10.15◆
 
ぼくは息子を殴る
殴ったあと
拳が痛む
そしてそれ以上に
胸が痛い
ではなぜ殴るのか
ぼくは父が憎かった
父を殴りたかった
しかし
殴る勇気がなかった
殴れぬまま
大人になった
ぼくが息子を殴る時
ぼくは父を殴っているのだ
父親殺しは子殺しである
この恐るべき心理を
ぼくはドストエフスキイから学んだ
父親はぼくから母を奪い
息子はぼくから妻を盗む
ぼくは性的に彼らを排除しなくてはならない
ところが
反面では
ぼくは父が好きで
心から
息子を愛している
この矛盾
おっぱいをめぐって
父と
ぼくと
息子は
争っている
ちちとおちち
父とお乳の取り合いのものがたり
これをぼくはフロイトから学んだ
しかしそれはひとつの気取りにすぎない
ほんとうのほんとうは
一時の感情に流されているだけなのだ
げんこつは単にぼくの悪い癖
殴らずに済むならそれでよし
深層の真相はただそれだけのこと
 
 
2013.10.16
◆あの方もかつては少女であった  2013.10.16◆
 
町外れのスナックの
カウンターの向うで
細長い煙草を指に挟み
ぷはあと美味そうに煙をはく
化粧の厚い女を見た
あの方もかつては少女であった
 
八百屋の店先で
ネギや大根を抱え
ひと籠のトマトの代金を値切り
店主から100万円のおつりをもらっている
脂の乗った主婦を見た
あの方もかつては少女であった
 
少し肌寒くなった
早朝の公道で
野良猫よりも小さく丸まって
落ち葉をせっせと拾い集めている
ひとりぼっちの老婆を見た
あの方もかつては少女であった
 
お母さん
あなたもかつては少女であったのですね
若くて優しい国語教師の前で
何かの文章をたどたどしく読みながら
はにかんでみせる
おさげのあなたが見えるようです
妻よ
あなたもかつては少女であったのですね
冷たい河の水を手のひらですくいあげ
レモンのように黄色い声を出しながら
はしゃいでみせる
可愛いあなたが見えるようです
 
おお
かつての少女たちよ
少年たちを導き給え
あなた方の鋭い残忍さを以って
深く厳しく
倦怠を切り裂き
漠然を引き裂いて
無垢と清純と神聖を忘れた少年たちを起立させよ
 
 
2013.10.17
『21世紀ドストエフスキーがやってくる』集英社(2007年)を読んでいる。作家や学者たちがよってたかってドストエフスキイにはまった経験を語っている。例えば、アニメならエヴァ、ゲームならドラクエ、アイドルならAKB、という具合に、みんながこぞってはまっていくものが存在することは、文化にとって大切なことだ。小説ならドストエフスキイ、これほど長く、そして多くの人々を魅了できるものを他に探そうとしても、なかなか見つけられないだろう。沼野充義さんの話が特に興味深かった。
《しかし、言うまでもなく、ドストエフスキーに関する文献はもはや、一人の人間に読みきれるような分量をとうに凌駕している。日本語で書かれた批評に限ってみても、小林秀雄から埴谷雄高、寺田透、桶谷秀昭、秋山駿、山城むつみにいたる様々な批評家の書いたものをじっくり読んでいるだけで、一生の仕事になるのではないか。いったいこの「膨大さ」をどうしたらいいのだろうか。そもそも、ドストエフスキーに興味があるのであれば、ドストエフスキーの作品を熟読することを最優先すべきであって(それだけでも時間が足りないのに)、様々な研究書や批評を読むのは一人の読者の限られた人生にとって、時間の無駄ではないのか。》(38頁より)
世界中からドストエフスキイに関する文献を集めたら、一つの図書館がそれだけでいっぱいになるだろう。それくらい、ドストエフスキイの作品には、それについての釈も訳も抄も膨大で、しかも次々に産み出されている。こうして、今ぼくが書いていることも、その一環になってしまっていると思うと、ああ、やめやめ、原書に戻りたまえ、と云いたくなるのだが、語りたくなってしまうという願望が抑えられないから困ったものだ。ドストエフスキイだけの図書館、探せばどこかにあるかもね。もしそんな図書館があったら、ぼくは死ぬまでそこで暮らしてみたい。
 
 
2013.10.18
ふたりの娘が学校の帰りに歯の矯正器具をもらって帰って来た。お兄ちゃんは一年半前から矯正をやっている。これでうちの子は三人とも歯の矯正中となった。ぼくは三人がそろって口の中に器具を入れている姿を眺めながらクスクス笑ってしまう。子どもたちには悪いのだが、子どもがそろって同じ事をしている姿というのは、ただそれだけで微笑ましいのだ。それに少しだけ滑稽でもある。しゃべるとモゴモゴしている。モゴモゴしゃべる宇宙人が三人いるみたい。下あごを前に出す必要があるようで、器具を入れた顔がいつもと違う。末娘の顔はどことなくシャルロット・ゲンスブールに似ている。ぼくは、シャルロットが好きなので、ますます娘が可愛くなる。歯並びがきれいになったら、長男はさらにイケメンになって、来年のバレンタインはチョコがたくさんだ。娘たちはアイドルになって、ちやほやされるだろう。お父さんは、頑張って稼がないとならない。これから高校進学、さらに大学進学が控えている。教育には想像以上にお金がかかるという。健康であらねばならない。子どもを大切に育てていく。実に当たり前のことだ。その日常を、突如犯罪者がぶち壊す。絶対に許してはならない。ヒューマニズムは闘う。エゴイズムと闘う。子どもの未来を思う時、ぼくの中でモラルが息を吹き返す。
 
 
2013.10.19
甘い珈琲は好きではない。ぼくはもっぱらブラックである。しかし、珈琲だけで飲むよりもケーキやチョコがあると嬉しい。矛盾である。甘いものが好きなら、なぜ珈琲を甘くしないのか、と問いたくなるかもしれない。甘いものが食べたいのである。甘いものを食べたいから、珈琲はブラックなのである。アイスクリームなんか甘いだけでなく、冷たいものでもある。ぼくはその冷たいアイスと一緒にホットを飲むのだ。それがいいのだ。一緒になっている方が合理的であるように見える。しかし、セパレートがいいという場合もある。牛丼ではなく牛皿定食。カレーライスではなくスープカレーとナン。なんでも兼ねる時代である。ケータイが電話だけでなく、パソコンの機能を備えてしまって、当たり前に音楽を聴いたり、動画を観たり、写真を撮ったり、メールを送ったり、なんでも一緒になっている。近い将来、その反動で、なんでもバラバラになって、電話は電話だけ、カメラはカメラだけ、ステレオはステレオだけ、という時代に逆戻りする日が来るのではないか。バッハの無伴奏チェロ組曲を聴きながらそんなことを思う。ほっとひと息。珈琲はブラックで味わう。苦味の奥に深みや旨みがある。違いがわかる男になった気になる。そういう気分にひたるじかんも必要だ。
 
 
2013.10.20
(一回休み)
 
 
2013.10.21
今朝見た夢の話。印象深かったので、詳細を覚えている。ぼくは駅を降りる。渋谷か新宿か国分寺かどこかの駅である。気分がいいので、口笛を鳴らしている。曲は「君をのせて」。宮崎駿作詞、久石譲作曲の「天空の城ラピュタ」の主題歌である。ぼくが「父さんが残した熱い想い」と歌うと、それを引き受けて知らないおじさんが「母さんがくれたあのまなざし」と歌い出す。そして、「地球はまわる……」のところで別の男性が加わって、最終的にはその駅にいる人々による大合唱となる。道行く人が驚いて立ち止まり、若い男女が「なにあれ?」「あれフラッシュモブだよ」「え?」「フラッシュモブ、知らないの?」と会話したりしている。ぼくは面白いので、口笛を続ける。すると、また知らない女性が歌いだす。そして、歌う人が次第に増えて、大合唱となる。涙ぐんでいる人もいる。しばらくすると、ダンスチームが駅前に現われる。皆、金色のきらきらした衣装を身につけている。ダンスの監督みたいな人が説明している。「これは意味のない三角形から連想した即興的なダンスです」。男女20名くらいのダンサーたちが腕や身体で三角形を作り出しながらリズムダンスを繰り広げている。かなり斬新なパフォーマンスである。その中心に抜擢されているのがぼくの高校時代の親友エイスケだ。おお、流石に目立っている。そして、活き活きと踊っている。ぼくは感心して見ている。金色の服をきた人々が一糸乱れぬ動きで様々な三角形をイメージさせてくれる。これは見事だ。その映像がいつのまにかテレビの画面になっている。ぼくは、テレビを見ながら、生前のエイスケは一生懸命やっていたなあと思っている。エイスケは20年前に亡くなっている。久しぶりに夢に出てきた。どうやら元気にしているみたいだ。ぼくは少し嬉しくなって目が覚める。そして目が覚めたあと少し寂しくなる。 
 
 
2013.10.22
◆釣り堀  2013.10.22◆
 
太平洋に釣り糸をたらして
何が釣れるか
何が釣れるかと楽しみにしているあいだ
彼は彼女に接吻を求めた
しかし彼女はそれを拒む
彼はくちびるを尖らせて接吻を求める
彼女は拒む
彼はまるでタコのようだ
海上ではディンギーがすべっている
一艘二艘三艘とディンギーの数はどんどん増えていく
彼は接吻を求める
彼女は拒む
カモメが砂浜に群がる
カニを狙っている
カニは穴に隠れる
一匹二匹三匹と次から次へと砂の中へと吸い込まれていく
彼の唇はどんどん伸びていく
それに合わせて彼女はどんどん離れていく
そのとき
釣竿がぐっと海に引っ張られる
彼はあわてて竿をつかむ
えいと渾身の力を振り絞って引きあげる
釣れた 
釣れた
非常に大きなものが釣れた
彼女は大喜び
しかし彼は釣れたものを見て驚いた
それは
明朝に水平線から昇る筈の太陽だった
 
 
2013.10.23
◆大統領会議  2013.10.23◆
 
A大統領はB大統領と電話会談を行なった
「とうとうわが国に木が一本もなくなってしまいました」
「なんとなんと、それはお気の毒ですな」
「木がなくなると困ることがたくさんあります」
「ほお、例えばどんな?」
「鳥が羽根をやすめません」
「なるほど」
「子どもが木登りできません」
「そうですな」
「四季がわかりません」
「たしかに春夏秋冬が感じられませんな」
「とくに困ることは、《にんべん》に《木》が成立しない」
「つまりそれは?」
「木がないので《休》という字が使えないのです」
「漢字を使っている国はたいへんだ」
「わが国はきょうからすべての休日をなくすことになります」
「無休ですか」
「ええ、永世無休国です」
「気の抜けない日々というわけですな」
「B大統領、ジョークを言っている場合ではないのです」
「あ、失敬」
「冗談も○み○みに言ってください」
「木がないというのはほんとうに面倒だ」
 
 
2013.10.24
◆神様が遊びに来る  2013.10.24◆
 
きょううちに神様が来る予定なんだ
でもどこから入ってくるのかを訊き忘れちゃって
そうなんだ
きっと神様のことだから玄関から普通に入って来ることはないだろうね
かと言って煙突から入ってきてびっくりさせるようなことはしないだろうし
あの天窓のあたりからさあっと降りて来るのがそれらしいけど
でも今度の神様はなんだか上から降りてくる気がしないんだよ
地の底からぐらぐらさせながら湧いて来るんじゃないかな
じゃあ縁の下からにょきっと顔を出すってこと
うむ 
そういう感じでもないか
それじゃあ 
いつの間にか隣に座っていて急にかっかっかと笑っているとか
ねえ冷蔵庫

あけてみなよ
まさか
中でぶるぶる震えているかもしれないよ
 
 
2013.10.25
◆右折論  2013.10.25◆
 
そうして私は穏やかな気持ちで右折する
信号は青である
しかし右折するためには一時停止をしなくてはならない
私はこれまで何度右折してきただろう
直進してくる対向車をいくつも見送る
トラックもあればタクシーもある
直進車がなくなったことを見届ける
いよいよハンドルを右に回す
その時アクセルを急に強く踏んではならない
車がなくても
今度は歩道を渡る人間がいるかもしれないからだ
もしここで急発進しようものなら
乳母車を押す若い母親や老婆を轢き殺すことになってしまう
自転車に乗れるようになったばかりの丸刈りの少年が飛び出すかもしれない
ここで重要なのは限りない想像力である
ただし出遅れるな
後続車がイラついている場合だってあるのだ
ヘマをすると信号が黄色に変わり
またすぐに赤に変わってしまう
そうなったら右折を許さぬ者たちが
クラクションを鳴らしながら目の前を走りすぎていくことになるぞ
ああ右折
右折よ
右折よ
決して思い上がるな
今君は交差点という舞台の上に立った主演男優だ
君を中心に様々な登場人物が舞台の上で暴れまわっている
君は台風の目のように静かに停止している
そこだけ時間がぴたりと止まっている
君はカラーだが他はみなモノクロだ
スポットライトが当たっているのは君だけだ
おお右折
右折よ
右折よ
人生のなかでその瞬間を迎えることができたことに
感謝の意を表したい
ティッカ ティッカ ティッカ ティッカ……
そうして私は穏やかな気持ちで右折する
 
 
2013.10.26
台風がうまくよけてくれたので朝は前回より仕事がスムーズだった。被害のあったところも出ただろうけれど、直撃を受けずに済んだのはありがたい。しかも二つの台風が同時に接近してきたのだから。だが夜中に地震があって東北、関東に津波も観測されたらしい。天変地異は続いている。天災と人間の営みは無関係ではない。自然の動きが人間や社会と連動していないと考える方が不自然だ。地球の上の出来事である。ぼくは本が読みたい。ただひたすら本が読みたい。読みたい本が山積みだ。片っ端から読んで行きたい。仕事、家事、育児、それらの合間に隙を狙って読む。人生は短い。時間が足りない。ほんとうに時間が足りない。
 
 
2013.10.27
政治と文学というテーマで思索している。政治は人民の現実の苦悩をどのようにしたら取り除くことができるかという観点に立って動いている。それに対して文学は、しばしば現実から離なれた場所に人を導く。お金がなければ働いて稼ぐ。この行動をおこすことができれば問題ない。しかし、小説を読み耽るだけならそれは邪魔である。生きるためにはお金が必要で、お金を稼ぐためには働くことが必要で、働くためには仕事が必要で、仕事を創り出すためには政治が必要である。そこに文学が入る余地があるかどうか。逆に、文学に政治が介入する場合がある。その文学は倫理的に人を堕落させるから排斥せよ、社会を混乱させておる、悪徳を正当化している、何の役に立っているのか、このように抑圧を加えて来る。また反対に、おおそれはいい小説だ、人間社会に調和をもたらす、人間に働く意欲を与えている、このように奨励する。ぼくが高校時代に使用した『現代文』などの教科書には、「文部省検定済」と記載されている。国家はおそらく、これはいいがあれはいかん、という基準をもっているのだろう。文学を政治に役立てようとする側の代表が、プロレタリア文学である。松本健一氏は、『ドストエフスキイと日本人』のなかで、プロレタリア文学運動の流れの頂点に位置したのが蔵原惟人(くらはらこれひと)の『プロレタリア・レアリズムへの道』であるとした上で、次のように云っている。
《さて、蔵原のドストエフスキイ批判は、文学に政治をもちこむことによって可能となったのだったが、それは具体的にはレーニンのドストエフスキイ観を受け継いだものである、とおもわれる。レーニンはレフ・トルストイを〈ロシア革命の鏡〉と讃える一方、「イネッサ・アルマンドへの手紙」などで「もっともいまわしいドストエフスキイ」という言い方をしている。それがドストエフスキイを政治思想的に批判するという範囲のなかで述べられたものではなく、ドストエフスキイの文学そのものを否定するものであったことは、ソ連邦におけるドストエフスキイ否定の伝統(たとえば、こんにちのソルジェニーツィン批判に象徴される)として残ったことから明らかであろう。/それはそれとして、蔵原の『プロレタリア・レアリズムへの道』のでた昭和三年前後から、ドストエフスキイの名が世に現われる状況はまったくといっていいほどなくなった。》(松本健一『ドストエフスキイと日本人(下)』第三文明社、21頁より)
ドストエフスキイは革命の邪魔になると考えたのであろう。このように、時代によって、ある文学は捨て去られ、あるいはもてはやされる。文学だけ見ていては分からないことだ。戦後、平野謙、荒正人と中野重治とのあいだにおこった「政治と文学論争」についても触れておこう。
《平野はこの論争で、イワンがアリョーシャに提示した難問を引いた。それは「人間を幸福にする目的の人類運命の塔を、いたいけな子供の涙の上でなければ、建てることが出来ないと仮定したら、その建築の技師となることを承諾するか?」というアポリアである。平野はこの問いの答えをもって、「政治家と芸術家」の分水嶺とし、レーニンとドストエフスキイの分岐点とした。このアポリアを提示したことによって、ヒューマニズムとエゴイズムの二律背反性の問題につきあたったのである。》(同、130頁より)
平和な世界をつくるためには戦争もやむをえない、というアポリアと同質である。戦争のためには、表現の自由を制限する必要があると考えるか、それとも表現の自由を確保するためには戦争に反対せざるを得ないと考えるか、それが問題だ。ところが、難問はそれにとどまらない。「戦争」を「革命」という言葉に置き換えて、革命のためには表現の自由を制限する必要があるとプロレタリア文学運動が主張した場合、文学者は、表現の自由のためには革命も断念せざるを得ないと言えなくてはならないからだ。もっと云えば、平和のために表現の自由を制限せよ、という主張に、文学者はそれなら平和は必要ないと言えるか、というところまで問題が進化したらどうするのかということだ。ぼくは今、問題はここまで来てしまっている気がしているがどうだろう。
《ただ、その二律背反性を「文学的」に眺めることが、文学者の使命であるとして、政治の優位性を拝したところに、平野謙の諸論の骨子があった。かれの具体的表現をかりれば、小林多喜二と火野葦平とを「ひとしく時代の犠牲」とみるべきだ、そういう「文学的肉眼」が必要である、ということになろう。》(同、131頁より)
逃げ口上に見える。
《これに対して、中野は『批評の人間性Ⅰ』を書いて批判した。それは「荒や平野は宗匠根性におちている。人間の擁護、芸術の防衛を看板にした宗匠根性は非人間的であり、反人間的である。人間的にそれはいやしい」というふうな、政治主義的な裁断であった。》
屁理屈に見える。
 
 
2013.10.28
(一回休み)
 
 
2013.10.29
ブログの更新をしばらくお休み致します。
 
理由1 四年間、ほぼ毎日記事を投稿し続けることができたので、じぶんに満足できたから。
理由2 娘の中学受験をひかえ、家庭教師としてサポートすることになったから。
理由3 インターネット中毒になっているのではないかという不安があり少しネットから距離を置きたいと考えたから。
理由4 読みたい本がたまっているので、ひたすら本を読みたいと思うから。
 
来年の秋ごろに再開する予定です。それまでしばらく「さようならば」なのであります。 こががっこ

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