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※超ネタバレ有りかつ長文 バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)考察

レビューはこちらhttps://twitter.com/Primatomorpha/status/1496657136742711296

考察ブログなどでもバードマンのラストに関しては解釈が別れていますが、私なりの考えを書かせてもらいたいと思います。

まず、バードマンのラストというのはありのままに大まかに書くと、『悪戦苦闘しつつなんとか本公演に漕ぎ着けるも、前日に大物批評家のディッキンソンから「まともに批評する気はない。必ず潰してやる」と宣言されたリーガンは嫌いな俳優のマイクと娘がキスするのを見たこともあわせて精神が疲弊し錯乱。公演の最後、自殺のシーンで実弾を使い昏倒。
(ここで長回しが終わる)
幸い鼻が吹き飛んだだけで大事には至らなかった事から病院で目覚めた後、友人と妻からディッキンソンさえ絶賛する程公演は大成功だった事を告げられ、娘と不器用ながらもにこやかに会話。
一人になった時に幻覚や幻聴として自身を悩ませてきたバードマンを一瞥。
病室の窓から自由に飛び交う鳥たちの姿を見ると窓を開けて身を乗り出し…
その後娘が病室に入ってきてベッドに父がいない事と開け放たれた窓を見て嫌な予感がした事から急いで下を覗いた後、ハッとして上を見た後嬉しそうに微笑む』という内容でした。

結論から言うと私は、公演で実弾を自身に撃ち込んだ時点でリーガンは致命傷を負いそのまま目覚める事はなかった。その後の展開は「こういう未来が訪れればいいな」という彼の願望だったと思います。
その理由としては、まず病室で目覚めた後は急に都合が良すぎるというのか不自然なシーンが多いんです。
まず単純に、こめかみに銃を突き付けて撃ったのに吹っ飛んだのは鼻だけというのがあまりに不自然だし、さらに、友人から教えてもらった公演の成功にしたって、主役が顔に重症を負った状態で公演を続けられるのかという話だし、そもそもそれを言い出したらリーガンというのは、自身が俳優であるという事に凄く強い拘りを持っていて舞台に進出した理由でさえ「脚本や演出もできる天才俳優のリーガン」というキャラ演出のためだけなので別に演劇を成功させたい訳ではなく単純に俳優として脚光を浴びたい、俳優として再起したいんですよ。
それは自分の代わりにマイクが新聞の一面を飾った事にブチ切れてる事からも解るんですよね。(公演を成功させたり、演出家として評価されたいなら自作劇の主演級の俳優である彼が目立つ事は別に悪い事ではないわけで)
でも、そこにはリーガンも友人も触れずにただただ幸せそう。

さらに、批評家のディッキンソンとも和解した…どころか「ブロードウェイに革命を起こした」とまで高い評価を受けるのですが、このディッキンソンというのはブロードウェイ至上主義者で、前日に悲壮な覚悟を語ってせめて正当な評価をしてくれと懇願したリーガンに対して「あっそ まあ結局潰すわけやけどw」くらいの冷たい反応を示しているような人物なんです。
ディッキンソンが何故そこまでリーガンに対して強い敵意を持っているのかというと彼女は先述の通りブロードウェイ至上主義者なので「舞台をハリウッド復帰の足がかりに」とか思っていそうなリーガンみたいな奴は「何がハリウッドスターやねん。舞台舐めてんちゃうぞ」といった感じで一番嫌いなタイプなんですよ。
(先述の通り、実際リーガンはそのまんまの考えでしたし(笑))
その証拠に、リーガンに対してはそんな感じでけんもほろろな割に、自身に対してかなり舐めた態度をとったマイクに関しては、彼が有望な舞台俳優な事もあって「ふーん オモロいガキやな。楽しみやん」みたいな感じのかなり余裕のある大人の態度を取っているんです。
つまり彼女はかなり極端な頑固さこそ持つものの実はそこまで偏狭な人物ではなくて、単純に舞台を舐めているハリウッドスターが、その象徴的存在であるリーガンが嫌いで仕方ないんです。
だからこそ見ているこちらが気の毒になるほどの悲壮な覚悟を示したリーガンに対して、あれほどの人間性を感じない冷たい態度を取れたわけです。
そんな人物がそんな簡単に評価を一変させるのでしょうか?

次に、これが一番の伏線かなと思うのですが、主人公であるリーガン。彼の人物としての最大の特徴はとにかくマイナス思考だという点です。
その証拠に俳優としての自身はロバート・ダウニーJrより遥かに上だと自己評価している割に、自身が演出している舞台に関しての自信を示す発言はまるでなく、それどころから自信をなくして何度も公演を辞めようとさえしています。
さらに彼が「俳優としての自分」の他に気に掛けている数少ない存在である娘に関しても、妊娠疑惑のあった現在の恋人の「もし自分との間に子供ができていたらどんな子供になっていたと思う?」という問いに対して「親が俺だからな。殺人鬼になってたかも」という突拍子もない程のマイナス思考的な発言をしており、そこからつまり『自分は父親としては失格で子育ては向いていない』と考えている事。
娘が薬物中毒になったのは自分のせいだと考えて自分を責めているらしい事が解ります。
この娘は、薬物中毒というセレブの娘らしい問題を抱えてこそいるものの、マイクへ打ち明けた話から実は父親に対してそこまで悪い感情を持っていない事が解ります。
ただ、それはあくまでマイクとの会話なのでリーガンはその事を知る由もありません。
リーガンからすれば彼女が薬でダウナーになっている時の(本意ではない)「(リーガンは自分にとっても世間にとっても)無価値な人間」という発言からしか娘の自身への評価を知り得ないわけです。
ここらへんは前作のバベルでもコミュニケーション不足、わかり会えない事の哀しさを描いていた監督らしい演出だと思いました。

最後に、娘と同じく別れた後も尚も愛している元妻に対してです。
一見は現在もそんなに悪い関係には見えず...というかむしろ復縁の可能性さえありそうな感じに見えます。
過去、おそらく離婚の直接的な原因だと思いますが、リーガンは浮気した事があり、主にその出来事がリーガン自身が言っている通り、自身が演じている劇のあるシーンとシンクロする事で現実の境目をさらになくしていき、彼を苦しめます。
(浮気がバレた後に自殺未遂をした事も解ります)
そのシーンというのは、劇の最後、浮気を発見した旦那が妻と愛人に銃を向けながら「愛していたのに!愛して欲しかったのに!!」と迫ったあげく、それが叶わないと知り自殺する。というシーンです。
精神を病んだ事により現実と妄想との境目が曖昧になっていた状態でさらに演じている人物に自身を投影させた事により、浮気をされた人の感情を直接体感した彼は「結局、妻は自分を許す事は永遠にない」とそう結論付けてしまったのではないでしょうか?

以上の推測から物語を整理すると
『落ち目の俳優リーガンが再起のためにブロードウェイに乗り込む。自信ありげに見える彼だが、実は心の底では俺はバードマンだけの一発屋。どうせダメだろうなとどこか諦めていた。
それでも友達や娘のために奮闘し、妻との復縁を夢見たりもするが、演じる役を通じて裏切られた側の気持ちを知った事により、妻の自身への本当の気持ちを知った事で復縁を諦め、娘との衝突の中でさらに自分を責め関係を修復する自信もなくしていく、そんな中、大物評論家であるディッキンソンに目の敵にされている事を知り将来を悲観した事でついに心が折れてしまう。
それでも娘の事だけが気がかりだったが、娘とマイクが抱きついているのを見て(俳優としても娘にとって必要な人間としても負けた。あるいは自分がいなくなっても娘にはマイクがいる)と感じた彼は、いい意味でも悪い意味でも吹っ切れてしまい、前にマイクに「小道具にしたって、こんなちゃっちいのじゃなくてもっとそれっぽい銃を使えよ」と言われた事を思い出して、衝動的に本物の銃に実弾を装填する(彼は現実と妄想の境目がない様に見えて根は冷静なので錯乱している風に見えて、それがどういう結果を生む事になるかは理解していた)

そして劇のラストシーンで、彼は実弾を自身に放ち意識を失う。
(ここからは願望)
病院で目が覚めた彼は友人から「公演が大成功でディッキンソンさえお前を見直したみたいだぜ」だと聞いて安堵し、妻からは仕事より貴方の身が大事だと心配される。
娘とやっと親子らしい会話ができた事を喜んだ後にしばし一人に。
自身の負の部分であると同時に分身のような存在であるバードマンの幻覚を再び見るもバードマンの存在を受け入れる事ができたリーガンはいつものように否定するのではなくまるで友人に言うような親しみを込めた様子で「くたばれ」と返す。
その時、窓の外で自由に飛ぶ鳥達を発見し窓から身を乗り出し...

そしてどうなったかというと、僕はおそらくリーガンは(空想の中でですが)バードマンという存在を人生の最後の最後についに受け入れる事ができた事で、若かりし頃のようにバードマンに変身し空を飛んで行ったのだと思います。(おそらくこの時点で死亡)
そしてそれを娘は笑顔で祝福してくれている(していてほしい)...』 という流れではないかと。

どことなくおどろおどろしい雰囲気や、先程挙げた粗筋からすると暗い話のように思いますが、それを作中感じないのは所々コミカルな所もある脚本もですが、主人公のリーガンが基本的に善人だからだと思います。
彼なりに過去の自分、娘や妻、劇団員、現在の恋人と一生懸命向き合おうと奮闘していたり、先述のように自分自身が不安に押し潰されそうなのに後輩の女優を勇気付けたりと優しい所があり、そんな善良さから意外と周囲の人に愛されていたり、後輩の俳優にヤキモチを焼いた挙げ句とっくみあいの喧嘩したりといった大人気なさを含め妙に人間臭さがあって、弱々しくも必死に生きている、そんな姿を見ているとリーガンという人間がだんだん好きになってくるんですよね。 
つまりこの作品は気の弱い男が自分なりに精一杯頑張ってみたという話だと思います。
だからテーマとしては実はアメリカン・ビューティーと似ている気がします。
WATCHAで指摘されてその事に気が付きましたが、正に言い得て妙だと思いました。(悲劇なのにいい意味で悲壮感がないのも一緒ですね。)

実はこの映画の自己採点を5点満点中の4点から4.5に変更したのですが、それは作品を考察する内に彼のそうした人間としての美点を思い出していって彼という人間がそれを描いた作品がさらに好きになったからです。
ついでに副題の「無知がもたらす予期せぬ奇跡」は邦題ではなく元々からあるもののようですが、僕は(未来はこうであってほしい)という想像上の物であれ最後は幸せを感じる事ができたという点から「知らぬが仏」という意味もあるのかなと思います。

...以上自分なりの考えを書きましたが、監督はあえて観る人の解釈に任せている部分もあると思います。
あくまで僕はこう感じたのですが、皆さんはどう感じたでしょうか?

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