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長い夏

午前中は大丈夫だったのですが、午後になって、気持ちが落ち着かなくなってきました。
頭がぐるぐる回って、意味もなく部屋の中をうろうろ歩き始めました。
まずいな、と思って半年以上ぶりに頓服薬を飲みました。強い副作用があるので、あまり飲まないようにしている薬です。
横になると瞼が重くなってきて、2時間ほど眠ったようです。
目が覚めると、気持ちは落ち着いていました。良かったです。

かつて、私には腐れ縁の男がいました。Kと仮称します。Kと私は20代前半の頃に出会いました。
私の一目惚れでした。普段の私は自分から押したりしないのですが、Kに逢ったその時だけは「この男を逃しちゃいけない」という強い衝動に駆られました。何故だか分かりませんが、そう感じたのです。
付き合ったのは実質3カ月ほどでした。
でも、その後からが長かったです。

Kとは不思議な繋がりがありました。
胸の奥底から何か、切ないような、それでいて温かいような、そんな気持ちが湧き上がってくることがありました。それは胸の真ん中でじんわりと広がって、私はそれに包まれて、「誰かが想ってくれているんだな」と感じていました。
その感覚があってから、数日後に決まってKから連絡がきました。

何年も何年も、そんなふうにKからの連絡がきました。仕事の都合でKは実家の方面に越して行きましたが、関係は続いていました。
結果、19年という月日が流れていきました。
少し(かなり、かな)異常な歳月です。19年といったら、赤ちゃんがほぼ大人になってしまいます。
周りの事情を知っている人からは「お前ら、何やってんだ?!」とよく言われました。
私の中では、一緒になるんだったらコイツなんだろうな、と漠然と思っていました。でも19年は長すぎたかもしれません。私は40歳を越えていました。世間一般的には完全に婚期を逃している状態でした。
でもちゃんと好きだったので、後悔はしていません。

ようやく私の口から「結婚どう思う?」と訊けたのは40歳を過ぎた頃だったと思います。
Kの返事は、「俺の今の生活スタイルじゃ誰とも結婚できないと思う。◯◯(私のこと)は他の人とうまくやっていけると思うから幸せになって」というものでした。

その後、東北で震災がありました。Kも被災して、たくさんのものを失いました(あとで分かったことですが)。
生存者の名前は公表されずに、死亡が確認されて身元が判明した方の名前のみ、警察から発表されました。漢字ではなくカタカナで名前は表記されていました。
Kの地元では同じ名字の人が多くて、私は毎晩泣きながらその死亡者リストを見つめていました。Kと同姓同名の名前を発見した時は「別人でありますように」と罪深くも願いました。「死なないで、死なないで」それしか浮かんできませんでした。

1週間か10日ほど経ってから、Kからメールがきました。
「生きています。無事です」という文字を見た瞬間、私は腰が砕けてへたり込んでしまいました。
「生きててくれるだけで充分」と送ると、即座にKは電話をかけてくれました。ですが電波も通信も不安定で、「大丈夫だから」という声を聞けただけで通信は途絶えました。
職場の昼休み中のことで、通路でへたり込んで携帯を握りしめて泣いている私に、多くの通りがかりの人が「大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。その声で私はしっかりしなきゃ、と気持ちを持ち直して立ち上がることができました。

数年して、Kには私から『終わり』を告げました。このメールにも返信は要らないから、と送りました。それ以来、連絡をしていません。
喪失感のようなものは少しありましたが、自分で決めたことなので、ちゃんと歩いていけると感じました。

あれからずいぶんと月日が流れました。
私は今の彼と出逢って、温かさや優しさをたくさんもらいました。幸せです。

昨年の12月中頃、知らない番号からの着信がありました。携帯の番号ではなくて、固定電話からの着信でした。スマホには◯◯県◯◯市と表示されていました。Kの住んでいる県で、Kの生活範囲の街からでした。
私はその電話には出ませんでした。
何かあったのかな、もしかしたらKが亡くなったのかな、と思いましたが、電話をかけ直すことはしませんでした。
つつがなく、暮らしていっていることを静かに願っています。

読んでくださってありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。

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