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自己紹介 2023

小さな子供のいる身なので、問題のなさそうな部分には念のため多少のフェイクは入れますが、概ねはそのままです。

昭和の終わり頃、電車も水洗便所もない田舎に生まれる。
両親にとっては初子、母方にとっては初孫、父方にとっては初女孫、という愛されポジションを欲しいままにする。

3歳の頃、妹が生まれる。
同じ時期に小児喘息を発症。
未就学児の間はちょこちょこ発作をおこしたり、ちょっとした風邪が悪化しやすかったり、「病弱」とか「脆弱」という立ち位置で生きる。

小2の時、モラハラDV夫(当時はそういう呼び方は無かった)から母が私と妹を連れて逃げ、離婚成立。
子供心に「これで家で気を使わずに生活できる」と安心していたが、一応親に気を使って少し寂しがるフリをする。

軟弱で貧弱な小学生時代を過ごす。
一年生の時に隣の席になった子と偶然家も近かったことから嘘みたいな幼馴染同士になる(今も毎日のようにLINEでやり取りしている)
当時発売したばかりの初代ポケモンにバカみたいにハマる。
飼ってる犬を死ぬほど可愛がる。

軟弱で貧弱な中学生時代を過ごす。
ゲームと読書ばかりする。

自宅から通える範囲で一番偏差値の高い高校に合格するも、校風がブラック過ぎて全く合わず、人生で一番病む。
不眠症と不安障害でガッツリ精神のお薬を服用しながら一年通い、結局逃げるようにやめ、通信制の高校に転校する。
以後、「自分のキャパは自分が思ってる以上に小さい」「生活に支障がでる前に眠剤は飲んででも寝ろ」「精神のバランスを崩したと気づいた時は早めに手を打て」を信条に生きるようになる。

精神のバランスを崩した影響で文字を読むことが一時困難になってしまい、大学受験は早々に諦め、なんらかの専門技術がある方が就職に有利だろうという考えのもと、専門学校を受験する。

専門学校に通う。
興味のある分野だったので、授業はどれも楽しく、趣味の合う友達にも恵まれた。
2年制なので2年しか通えなかったのが難点だった。そのくらい楽しかった。

卒業後、社員が経営者を含めて10名以下のこじんまりした会社に就職。
人間関係に多少難ありだったが、その規模の会社にしては業務面は割とホワイトであったためなんとか辞めずに十数年勤める。
出産を期に退職(日本社会の闇)

アラサーの頃夫と出会い、3年交際して結婚。
夫婦で話し合って子供をもつことに決めるが、
なかなか妊娠に至らず「早めに手を打ったほうがいいだろう」と不妊検査を受ける。
その過程でたまたま子宮鏡検査(子宮にカメラをいれて中の様子をみる検査)を受けた際に、「子宮内膜異型増殖症」(別記事にありますが、放っておくと子宮体ガンになる病気です)の病巣がみつかり、妊娠どころではなくなる。少しでも病気が進行すれば子宮全摘出という緊張感の中、一年の闘病の末なんとか子宮を温存し寛解。
治療の苦しさから人生で2番目に病む。

寛解から半年後、奇跡的に自然妊娠にて息子を授かるも、心拍の確認の後すぐに切迫流産状態になり、医師の指示にて自宅にてほぼ寝たきり生活が始まる。
安定期に入り寝たきり生活は解除されたが、つわりは出産まで続いた。

妊娠33週で体の異変を感じ、自己判断でかかりつけクリニックを受診。
「重症妊娠高血圧症候群とHELLP症候群の併発の可能性」と医師が診断し、その場ですぐ救急車を呼ばれ大学病院へ搬送され、集中治療室に入院する。
搬送から2日後、帝王切開で出産。
息子はNICUの保育器に入るも、低体重であること以外は極めて健康な状態であった。
私は産後も72時間は危険な状態が続き、早産のショックで産後うつも併発し、人生で3番目に病む(母子分離のせいだったので一ヶ月後に息子が退院して来ることで一気に回復する)

現在なんとかかんとか子育てをしている。
子供が3歳になったらまた働くつもりでいるが、転職をしたことがないため不安で仕方がない。

だいたいこんな感じです。

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