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どんな姿を思い出してくれるかな

双子の娘たち(6歳)は絵を描くのが好きだ。私が料理しているあいだなど、相手をしてあげられないときの彼女たちはだいたい絵を描いているか、折り紙でなんらかの制作をしている。先日なんて、やたらと真剣にドリルに取り組んでいると思っていたら、コピー用紙に色鉛筆で私の姿を描きつけていた。

「ママ! 見て! ママを描いたよ!」

けっこうドレッシー。

この絵は、私がハンディタイプの埃とり道具を手にしているところだそうだ。なるほど、ドレスみたいな洋服を着て、片手にふわふわの塊を持っている。ハンドバッグかと思ったら違うらしい。ばっちりピアスもつけているね、うん。

私は家事のなかで掃除だけは好きだ。雑な性格ゆえ、見落としはあるけれど、埃とりだけはまめにする。電話をしながら、音声配信を聞きながら、掃除道具を持ち、埃を払っていくことが多い。

そんな私の姿を、彼女たちはよく見ているんだなあ、と思う。二人が大きくなったとき、思い出のなかの私は掃除道具を手にしてわちゃわちゃと動きまわっているのかもしれない。もしくは、私自身は思いもよらない姿かもしれない。

私の母は、フリーランスで英語関係の仕事をしていた。夜に辞書を広げてしかめっつらをしていたのをよく憶えている。眉間に寄せた母のしわが開くのを待って、話しかけていた記憶がある。

けれど、大人になってから母に聞くと、私が起きている時間に仕事をすることはほとんどなかったそうだ。保育園のおかげで昼間に仕事ができていたからね、と母は語った。

じゃあ、暗い寝室を背にして辞書とにらめっこしていた母の姿はなんだったんだろう。もしかしたら、たまたまそういうことがあったのを、私が強烈に記憶に刻みつけてしまったのだろうか。

私のどんな姿が娘たちの胸に残るのかは、私自身がコントロールできないことだ。ママとの暮らしのなかで、なにを見て、なにを心に留めていくかは、娘たちの感受性が決める。できればひどい姿でないといいなあ、と願っている。

「クイックルハンディとともにあったママ」くらいなら、かわいいものだ。あ、商品名をついに出してしまった。私はクイックルハンディ信者と言ってもいいくらい、この商品を愛している。

それに、私は真剣に辞書に向き合っていた母が、実はとても好きだった。今度そのことを母に伝えてみようかと思っている。娘から「ママってこうなんだよ」と言われるのはけっこう嬉しいものだと知ったから。


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