終結は小さくていい

 今日、仕事中や自動車学校のバス内でぼろぼろと泣いていた。

 二度目のインナーチャイルドセラピーを受けてから、母親と父親と普通に顔を合わせて会話をしているし、自然を見に行くために車を出してもらっている。
 その時、私が会話に混ざった時よりも、夫婦二人で会話をしている時の方が楽しそうなのだ。
 この二人の姿を見ていると、「いいなあ。温かそうだ。家族が欲しいなあ」と、そう思う。

 人生の終わりというのは、小さな幸せでもいいのだろう。
 この人たちは物凄く色々なものと闘ってきた。そして、今は娘たちは全員自分たちの元から離れ、色々なしがらみからも解放され、夫婦水入らずの時を過ごし、同時にそれぞれの時間も大切にする生活を送っている。
 そして、この二人の幸せは、私たち子供がいることではなく、二人の世界だったのだ。

 この事実に対して、私の存在がないことに憂いているわけではなく、二人の幸せは二人が出会った時から決まっていて、すぐ目の前に存在しているものだった。運命というのはそれを気づかせるのに何十年の時という試練を与えた。なんと残酷なことだろうか。
 今のとても些細で平凡で、平穏な幸せを教示するために、何十年も吹雪の中を生きさせるなど、どんな鬼畜の所業だとしか思えない。

 彼らは生き抜くために、死に物狂いで頑張ったのだ。私や、姉たちを犠牲にはしてしまっていたけれど、何も分からない中でも必死に生きていた。
 母親は肯定してくれる自分がおらず、常に不安と闘う中で、子供たちのために必死に預貯金をしてくれた。そのおかげで私は一人暮らしが始められたし、次女は上京できた。父親は強い父親像を崩さぬように、弱音どころか持っている優しさすらも言葉にはせず、役職を持ち、定年まで働き続け、一家と精神の不安定な妻を支えた。
 彼らは、凍えるような寒さが蔓延り、温もりを生み出す木や葉すらもない中で、自分たちの中に確かにある温もりだけで暖をとるために火を起こし続けようと頑張っていた人たちだったのだ。
 運命がそんな優しい人たちに峭酷たる試練を与え続けたことが、悲しく、長い時間というものが肥大化させた冷たい不幸に対して用意されたものが、本当に温かくて、常に浴びていると視界や思考が溶けてしまって次の日の予定も立てられなくなってしまうぐらいの幸せだということも、私にとっては残酷なものだと思えてしまう気持ちがある。

 しかし、そんな小さくて大きな幸せがきちんと用意されていて良かったと思う。それすらも無かったら、私の中でもどう処理をしたらいいか分からない。
 何よりも、そんな幸せを認知し、享受できるこの人たちだったからこそ用意された幸せなのだと思うと、涙が止まらないのである。


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