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ひと息ついて、言葉を旅する

落ち込んだとき、暗いニュースばかりで塞いだ気持ちになったとき、デジタルな情報やテレビから離れて、本棚に救いを求めてみる。

普段仕事などで忙しくしていると、落ち着いて本を読む時間もとれないことが多い。とくに疲れたときは、本よりもなんとなく慰めに、スマホに手が伸びてしまうこともままある。
情報の洪水に晒されてより疲れるとわかっているのだけれど、なんだか情報に接していないと落ち着かない、一種中毒のような。

でも暗いニュースの多いいま、あえて情報を遮断する必要性も感じている。全てのことはいったん自分とは切り離して、自分だけの時間をつくる。
そんなとき、自分でページをめくる紙の本が大いに救いになる。

読むとなぜかほっとする、透明な文章。家の本棚には、好きな作家の好きな作品ばかりが並べてある。

その中で、最近読み返し、やっぱり好きだな、と思った文章の引用をふたつ。

言葉はいつまでも、一つの母国である。魂の連帯を信じないものたちにとっても、言葉によるつながりだけは、どうかして信じられないものだろうか?
本当は今必要なのは、名言などではない。むしろ、平凡な一行、一言である。だが、私は古いノートを引っぱり出して、私の「名言」を掘り出し、ここに公表することにした。まさに、プレヒトの「英雄論」をなぞれば「名言のない時代は不幸だが、名言を必要とする時代は、もっと不幸だ」からである。
そして、今こそ そんな時代なのである。
(寺山修司 「ポケットに名言を」序文)

ちょっと気分の冴えないときは、物語やエッセイよりも、詩集や言葉をあつめたもののほうが染み入ってちからになるものです。
もうひとつ、

死に支度 いたせいたせと 桜かな
(一茶)

これは遠藤周作のエッセイに引用されていて、最近たまたま読んだもの。
今年、人にあまり見られることなく、でもその美しさに通りかかる人の足を止めている桜を見るたびに、この句を連想していた。
美しさと儚さは表裏一体、月並みだけれども。

日々流れていく情報を追うよりも、いちど立ち止まって、あたたかいお茶でも淹れて本を読もう。
無意識にも疲れをためがちな昨今、本の中はきっと、ほっとする場所になってくれるから。


読んでいただきありがとうございます。 また来てくださるとうれしいです。