老後

休みだったので、例によって朝からピラティスへ。その後出かけるかどうか迷い、結局家で録画してたものを見たりなどして過ごした。
観たい映画や読みたい本は、一生かかってもなくならないだろうから、老後はそれを楽しみつつ過ごせるようにしようと常々思ってたが、最近既にそういう生活になっている。長い老後の始まりか。少しぞっとする。

小沢牧子「『心の専門家』はいらない」を読んでるけど、どうしても文面から悪意のようなものがにじみ出ているような気がして進まない。
カウンセリングや心理療法的なものに対する疑問はわかるし、そこをまっすぐに信奉することに抵抗があるからこそこの本を読もうと思ったけど、心の領域を扱う=人間に対する社会側からの管理、心の商品化、という論調一辺倒なので、疲れる。虐待される子どもへ介入する前に、子どもは自分の意志で逃げ出すこともできるのでは、と書いてあったのには閉口した。
これを書いた時代の空気に警鐘を鳴らしたい気持ちが強かったんだろうけど、現在の心理職の人々は、社会からはみ出す人の心や自由を管理するなんていうところには居ない気がする。構造に押しつぶされた人たちのケアをすることが、その人たちを社会に都合良く黙らせることだと言い切るのは、乱暴だと思う。現在、人間を管理してこようとする圧力は、もっと露骨に、システムそのものとして存在してるからだ。

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