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【連載 Bake-up Britain:舌の上の階級社会 #43】ロースト・ビーフ(2/4)

牛肉と自由

ホガースがイギリス第一主義の島国根性に溢れた愛国者だったのか、それともフランスやイタリアの画家たちの画風や最新の技法から積極的に学ぼうとしていた「ヨーロッパ人」だったのか、またそれはたとえばイギリスに逃れてきたユグノー(フランス人カトリック教徒)の友人たちから教わったものだったのか、それはそれでまた別の話である。ロースト・ビーフが誇らしきイギリスの象徴となったのは、ホガースと同時代に歌われていたとされる「古きイングランドのロースト・ビーフ」なるバラッドがきっかけで、ホガースもそれを意識していたはずだろうというのもまた一つのトリビアにすぎない。ここでの問題は、18世紀を通じて上り調子にあった大英帝国の富と権力の象徴がなぜ牛肉だったのか、それもロースト・ビーフだったのかということだ。

なんと言っても、ジョン・ブルの国である。ブル(bull)は雄牛、とくに去勢されていない種牛、去勢された雄牛はオクス(ox)、カウ(cow)は乳牛だが結局潰されて肉になればビーフだ。それでもブルが突出してイギリスの、それも男性的なイギリス(人)のイメージなるのは、なにもブルドッグを連れたウィンストン・チャーチルに始まるものではない。19世紀を通じて発刊されていたトーリー党(保守党)べったりの日曜新聞のタイトルは「ジョン・ブル」だったし、戦場に兵士を駆り立てる際に使われた多くのイメージは、ユニオンジャックをまとうジョン・ブルとして表された。ロンドン塔で大勢の観光客を迎える衛守は、彼らが昔々国王主催のパーティーのあとにお土産として好きなだけ牛肉を持ち帰ってよかったことから「ビーフィーター(beefeater)」と呼ばれるし、同名のジンも有名だ。

牛肉とイギリス人やイギリスという国家にまつわるそんなあれこれをまとめたのが、歴史家デニス・ロジャースの『牛肉と自由―ジョン・ブル、ロースト・ビーフとイギリス人という国民』(2003年)である(*1)。「牛肉と自由」というタイトルからすぐ推測できるのは、牛肉を自由に食べることができることこそが真の自由ということでしょうとか、牛肉が自由の象徴なんでしょうということだろうが、まさにそういうわりと単純な連想ゲームがあながち間違っていないから始末が悪い。「牛肉と自由」という組み合わせは、ホガースも属していた「ビーフステーキをこよなく愛する同好会」のメンバーでもあった弁護士にしてバラッド歌手でもあるテオドシウス・フォレストが「牛肉と自由で幸せ〜」と歌ったことに由来するのかもしれない。かもしれない、としか書けないのは、当のロジャース自身が牛肉がいつどうやってイギリスの愛国主義の象徴になったかなどはっきりとはわからん、と書いているからだ(p. 9)。

しかし、自由という言葉はfreedomとlibertyと、英語にすると2つの微妙に意味の違う言葉の翻訳であって、さて、この意味の違いがややこしいのだ。フリーダムは〜への自由、リバティは〜からの自由。大雑把にはこう教わる。前者は天賦の権、後者は抑圧からの解放。高校の倫理社会的に言うと、こうなる。しかし、〜へだろうが〜からのであろうが、「〜」に当てはまる何らかの対象が必要なことに変わりはない。ロジャースはこの対象が、ドーヴァー海峡の反対側のフランスだというのだから、結構せこい話に聞こえてしまわないだろうか。

マグナ・カルタ(大憲章)から始まり、王を首チョンパしてまでヨーマン(独立自営農民)からジェントリー(地方地主)へとのし上がった連中の権益を守り、はては都市新興ブルジョワジーの圧力によってオランダやドイツから新しい王を連れてきてまで国家を存続させてきた国民にしては、自由が普遍的な原理ではなく、18世紀に整えられつつあったフランス料理の洗練とそのフランスを支配し名誉革命以前の支配者だったスチュアート朝の残党(ジャコバイト)を支援するブルボン王朝やカトリック「から」の自由だというのだから。ソースで素材の味を隠すのではなく素材そのものをシンプルに味わう自由。太陽王ルイ14世下の絶対王政による軍事的脅威からの自由。そこに被さるように見え隠れするヴァチカンの権威主義に支配されずに政治も商売も貿易もできる自由。

裏を返せば、それだけフランスの影響が大きかったということの反証例だろう。ロジャースによれば、18世紀の牛肉「推し」は、貴族たちがこぞってフランス風のファッション、音楽、そして料理法を取り入れようとしていたことへの反動だというのだ(p. 44)。そして恐るべきことに、当初は反動でしかなかったものが、次第に自由貿易(という名の植民地的市場主義)と所有権(という名の富の独占)を主張していくことになる道筋をはっきりと示すことになったとは考えられないだろうか。

William Hogart, The Gate of Calais or O, the Roast Beef of Old England(1748)
出所:Wikipedia Commons

ホガースもまた、商業資本主義とナショナリズムが結びついた拡張主義の倫理を単純に絵で代弁していたにすぎなかったのかといえば、ロジャースによるとそこは少しだけひねりが効いているようだ。もう一度「カレー」の絵に戻って目を凝らしてみる。すると、

門と格子戸は口と歯のように見えるし、跳ね橋は舌かもしれない。手前のアーチは喉だ。とすればこの絵は、食べ物について描かれただけではなく、文字通り胃の視点から描かれている。

p. 101.

カレーの街すべてを口に入れようとはしているようだが、すでに口の中に入れまさに飲み込まんとしているのはローストビーフと太っちょの神父だけではなく、痩せたフランス兵、瀕死のスコットランド人、何やらよからぬ密談をしているようなカトリックの漁師の妻たちなど、食べてもたいして美味しくもないし栄養にもならなさそうな貧しく弱いものも含まれている。全階級ごと飲み込まんとしているのだ。


*1 Ben Rogers, Beef and Liberty: Roast Beef, John Bull and the English Nation, Chatto & Windus, 2003.

(続く)


ヨークシャー・プディングのレシピ

12個分

材料

薄力粉           100g
卵             2個
牛乳            120ml
塩             小さじ1/2
黒胡椒           適量
牛脂もしくはラード     60g

作り方

①小麦粉をふるい、塩と胡椒を入れておく。

②ボウルに卵を割り入れ牛乳をくわえ、よく混ぜる。

③ふるった小麦粉をくわえ、ホイッパーで混ぜてとろりとしたポタージュ状の生地にする。よく混ざったら冷蔵庫で30分やすませる。

④プディング型に牛脂を小匙1杯ほど入れていき、230度に予熱しておいたオーブンで8分ほど熱してから取り出して、そこに素早く生地を等分に流し入れていく。

⑤型をオーブンに戻し、20分ほど焼いて大きくふくらみ表面がきつね色になれば出来上がり。


次回の配信は11月17日を予定しています。
The Commoner's Kitchen(コモナーズ・キッチン)


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