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【連載 Bake-up Britain:舌の上の階級社会 #44】ロースト・ビーフ(3/4)

ビーフはどこだ?

もしイギリス(イングランド)という国家や「イギリス人」という国民が、貴族も地主もブルジョワも労働者階級もルンペン・プロレタリアートもカトリック教徒もロースト・ビーフごと飲み込んで、それらをその腹の中で新たなパワーの源にするというのならば、なぜ1834年の新救貧法は救貧院で生活せざるをえない貧困者へのメニューからロースト・ビーフを省いてしまったのだろうか。

アメリカの歴史家ナジャ・ダーバッハによる「ロースト・ビーフ、新救貧法、1834年から1836年にかけてのイギリス国民」という論文(*1)は、19世紀前半のイギリス社会の貧困観の変化を示す象徴的な出来事として、救貧院での食事からロースト・ビーフとプラム・プディング(のちのクリスマス・プディング)が除外されたことに注目している。

囲い込み(エンクロージャー)の加速化によって土地を失った農民たちが都市に流入し、職も定住先もないままうろついて「社会不安」を増大させないよう、教会や慈善団体に代わって行政が生活安定の場所を与える目的で制定された救貧法は後の福祉国家理念の先駆けとされるわけだが、その起源を16世紀まで遡ることができる。その後何度かの改正を経て、ホガースが「カレーの門」を描いてから約100年後の1834年、産業革命の副産物として都市にあふれるようになった非正規雇用労働者、ルンペン、ストリート生活者を対象とする新救貧法が施行された。問題は、この新法が「自助」を基本理念とする自由主義にどっぷり浸かっていたということだ。福祉財源の大幅削減。一言で言えばこうである。救貧院の数を減らし、その管轄は議会ではなく救貧法委員会という独立機関に任され、提供される食物と生活必需品は「最下級の」労働者と同等もしくはそれ以下とされた。救貧院に入れるのは「健常」者のみとされ、それはつまり過酷な肉体労働の現場にできるだけ多く出勤することが奨励されたことを意味した。

ロースト・ビーフはクリスマスの時期に「古きイギリス風ごちそう(Old English Fare)」として供されていたというが、予算の削減で出せなくなったのである。1年に1回のことなのに。ダーバッハによると、これは貧者に対する社会の向き合い方の根本的な変化を表しているという。初期ヴィクトリア朝時代までの家父長的倫理のもとでは、貧者には富者から「ギフト」が与えられるものだった。「施し」と言い換えてもいいだろうが、年に数度しか口にできない贅沢品であるロースト・ビーフが、「食べ物の贈り物」として、普段の奉仕に対して交換される対象だった(*2)。「高貴なものの義務(noblesse oblige)」というやつであろう。クリスマスにはロースト・ビーフを「いただける」ことによって不平等感覚が一瞬薄くなり、一時的に階級間の緊張関係を和らげるガス抜きの役目を果たしていた。

ところが救貧法委員会は、貧困問題の「効率的解決」のために救貧院での暮らしが「労働市場に出るよりも魅力的に映らないよう」(*3)勧告を出した。つまり、救貧院を出てさっさと自活せざるをえないように仕向けたのだ。あとは自分でなんとかせいというわけである。「フランス的なもの」への反動として芽生えた「自由」が、「自らを助くる」という意味での「自由」へと形を変えて貧者の生活を蝕むことになったのだ。

もしもロースト・ビーフがイギリス愛国主義の象徴で、それを喜んで食べることが良きイギリス人としての証拠だとしたら、救貧院で生活を余儀なくされていた貧者たちは、そのような意味としてのイギリス人であることから除外されてしまったということになる。もう君たちはイギリス人じゃなくていいよ、自分で仕事も働き先も見つけられないんだからね、ということだ。

イギリス人であれば大好きなはずのロースト・ビーフはもう食べさせてあげないよということで、いわば国民である義務から貧者を追放したわけだ。ところが、それはあくまでも象徴的な追放にすぎないわけで、救貧院の貧者たちは言ってみれば労働予備軍である。資本家からすれば、持続可能な労働生産性を維持するために、賃労働者が不足した場合の代打を務めるために待機しておいてくれなければならない。国民総生産に貢献させられるわけだから、貧者たちはロースト・ビーフを食わせろと声を上げてもいいわけだ。そして実際、デヴォンやシェフィールドの救貧院のなかにはロースト・ビーフを取り戻すことに成功したところもあった(*4)。ロースト・ビーフは階級闘争の掛け金だったとも考えられるのだ。

(続く)

*1 Nadga Durbach ‘Roast Beef, the New Poor Law and the British Nation 1834-1863’ in The North American Conference on British Studies, Journal of British Studies 52, October 2013, pp. 963-89.
*2 同 p. 970.
*3 同 p. 972.
*4 同 p. 986.



ホースラディッシュのソースのレシピ

材料

ホースラディッシュ   30g
サワークリーム     30g
塩           少々 
黒胡椒         少々
オリーブオイル     大さじ1
レモン汁        大さじ1

作り方

① ホースラディッシュの皮をピーラーでむいてから擦りおろし、サワークリーム、レモン汁、オリーブオイルをくわえ手早く混ぜる。

② 塩と胡椒で味を調える。


次回の配信は11月24日を予定しています。
The Commoner's Kitchen(コモナーズ・キッチン)


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