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【連載 Bake-up Britain:舌の上の階級社会 #14】 マーマレード(4/4)

Black is the new Orange?

イギリスの労働者階級は帝国主義との共犯関係を生きる。帝国の屋台骨を支えた炭鉱などのエネルギー産業や製造業に従事することで、というだけではなく、普段のお茶の時間のなかにすらその共犯関係が埋め込まれているからだ。これだけでもうんざりなのだが、「ジャッファ・ケーキ」の話はもっとエスカレートしてしまう。「ジャッファ・ケーキ」のチョコレート・コーティングと、「黒」歴史の「黒」の問題だ。

1980年代後半のスコットランド、グラスゴー。そこに「ジャッファ・ケーキ」と呼ばれた一人のサッカー選手がいた。イングランド人のマーク・ウォルタースその人だ。ウォルタースは、ナイジェリア人の父とジャマイカ人の母との間にバーミンガムで生まれた黒人イングランド人。1987年から1991年までグラスゴー・レンジャーズに在籍し、144試合に出場し52ゴールを記録したストライカーだ。1試合だけだが、イングランドのフル代表としても活躍した。

彼を「ジャッファ・ケーキ」と呼んだのは、レンジャーズの最大のライバルである同じ街のセルティックのサポーターたちだった。かつて中村俊輔、水野晃樹、井手口陽介が在籍し、いまや古橋亨梧、前田大然、旗手怜央、岩田智輝、小林友希の5人の日本人選手が活躍するセルティックは、アイルランド系カトリック教徒のサポーターが多い。そもそもクラブの成立自体がカトリックの神父によるアイルランド系移民のためのチャリティー活動を基盤にしているからだ。

小笠原博毅『セルティック・ファンダムーグラスゴーにおけるサッカー文化と人種』せりか書房, 2017年

それに対してレンジャーズは、プレズビテリアンを中心としたプロテスタント系のサポーターが多い。代々のオーナーがスコットランドの実業界を代表するような企業家だったこともあり、ウォルタースの同僚となるモーリス・ジョンストンという選手と契約するまで、公式には一人もカトリック教徒の選手とは契約していないことになっていた。アイルランド系移民やカトリック系住民に対するなかなかきつい歴史を持つクラブなのである。そこにやってきたウォルタースは、肌の色=外見が「黒い」チョコレート色で、レンジャーズの選手ということで中身はプロテスタント=オレンジ。つまり「ジャッファ・ケーキ」というわけなのだ。

なぜオレンジがプロテスタント色かといえば、1688年に名誉革命を起こしてイングランドを再統一したオランダ人の王、ウィリアムⅠ世にちなんだ由来があるからだ。旧王家スチュアート朝の残党狩りとなった1690年の「ボイン川の戦い」での戦勝を記念して、プロテスタント勢力はオレンジを勝利主義の象徴的な色として崇めてきた。その歴史を、セルティック・サポーターたちは逆手に取って、ウォルタースを揶揄するあだ名をつけ、試合のたびごとに彼を野次ったのである。「このジャッファ・ケーキ野郎め。外見は黒いくせに一皮むけばオレンジじゃね―か!」と。

アイルランド系の労働者階級の男たちが、イングランドからやってきた事情のよくわからない黒人の若者に「ジャッファ・ケーキ!」という言葉を投げつける。これは黒人に対する人種差別なのか、プロテスタントに対する憎悪の表現なのか。同じような比喩に「バウンティ」というものがある。これはココナッツフレーバーのヌガー生地をチョコレートでコーティングしたお菓子で、肌の色は黒いけれど振る舞いや考え方、価値観などが白人のような黒人に対して向けられる嫌味な表現だ。

マーマレードもここまで来ると、風味や食感など全く関係ない物語を作るアイテムになってしまう。黒人選手を侮蔑する言葉のなかに、オレンジ・マーマレードの歴史が凝縮されているようだ。砂糖、チョコレート(カカオ)、オレンジ。奴隷制、自由貿易、階級対立、人種差別。帝国主義の残り物をすべて拾い上げて渾然一体とさせた「ジャッファ・ケーキ」。その味の中枢をになうマーマレード。そう考えると、プラチナ・ジュビリーの記念動画の中で女王がマーマレード・サンドウィッチを取り出したのは不思議でもなんでもなく、イギリス王室が長きに渡って享受してきた植民地からの収奪による富と、その収奪の歴史に対するなんの反省もない王室の「伝統」を見事に表現しきっていると言えなくもない。

ではその対極にいるはずの労働者階級はどうだろうか。パディントンを移民労働者の比喩として見るならば、これもなかなかシュールである。このクマの粗暴な振る舞いには、まったく悪意も邪気もない。紅茶をポットに口をつけて飲もうが、ケーキを手で潰してクリームを撒き散らそうが、女王は軽く微笑んですべてを受け入れる寛容な君主を演じている。なんとなくの気まずい雰囲気も、2人(1人と1頭?)がともにマーマレード・サンドウィッチを持っていることで解消されてしまう。そのマーマレードはね、と、また同じ話をループさせてしまいかねないくらいに、ベトベトと甘く、ネトネトとスティッキーで、なかなかスッキリとはしないのに、爽やかなフレーバーに惹かれて今日も食べてしまう。歴史の罪と切り離そうとしても切り離せない食品がマーマレードなのだ。

(完)

*次回配信は4月7日の予定です。


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