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いないいないばあ時代の終焉

最近世の中が大きく変わってきたと感じませんか?

例えば20年前は、インターネットは既にあったけれどもスマホはありませんでした。男女均等やLGBTQに関しても、まだまだとはいえずいぶん堂々と取り上げられるようになりました。タブーと思われていた領域にも、勇気を持って踏み込むようになりましたね。パワハラという概念が出てきたのも2001年とのことなので、20年前はまだ浸透していなかったでしょう。

喫煙に関しても、扱いが大きく様変わりしました。かつては「禁煙席もある」状態だったのが、「喫煙席」もある、という状況に変わり、さらに最近は全面禁煙のところがほとんどになりました。私はもともとタバコは吸わないし喫煙席にいると頭痛を起こしやすいので願ったり叶ったりですが、喫煙者の方は肩身の狭い世の中になったとお感じでしょう。

数年前、大学院生が「わたし実は喫煙者なんです」と申し訳なさそうに告白してきて驚きました。申し訳ないことなんだなぁと。

「最後の喫煙者」という、喫煙者が犯罪者扱いされる筒井康隆原作の近未来SFがドラマ化され、テレビで見たときは笑って見ていたのですが、あれは1995年だったんですね。30年でかなりリアルな光景となりました。

令和 vs 昭和

テレビ業界もこの流れに目をつけたとみえて、今クールは特に、令和と昭和の常識の対比を楽しみ、かつ考えさせるドラマが目白押しですね。

学生の頃、昭和から平成に年号が変わりました。「昭和生まれは頭固いから、なんてそのうち若い世代から言われるようになるんだろうね、嫌だね」なんて言っていたのに、むしろ昭和の方が過激過ぎて若者に引かれるという事態に驚きます。

若者からしたら、原始的というか一種の原始時代のように感じられるところがあるのかもしれません。もちろん、それをまたレトロ感覚で楽しむ若者が、今も昔もいるわけですが。

いないいないばあ、を楽しんだ時代

さて、タイトルのいないいないばあですが、おそらく誰でも赤ちゃん時代に楽しんだことでしょう。いないいない…と言って大人が顔を隠したあと、いきなりばあ、と言って顔を見せると、子供が喜んで笑う、というあれです。

なんで喜ぶんでしょうね?生まれて間もない子にやってもキョトンとされるだけです。6か月くらい経って、いろんな認知機能が発達してきた頃に初めて喜ぶようになります。自分と他人が違うということの理解、視界から消えても、何か力が働かない限りモノはそこにあり続けるということ(永続性)の理解、視界から消える前にあった顔が誰の顔か覚えておく記憶力などの認知機能です。

何度かこの遊びを大人が仕掛けると、赤ちゃんは顔が隠された後に起きることを学習して、予測・期待できるようになります。だから、「ばあ」と言って顔が出てくると、「ほらね!思った通り!当たった!」と大喜びなのです。でも、成長とともにそのうち喜ばなくなりますね。

期待が満たされることで喜ぶツボが、成長とともに変わっていくのでしょう。脳の中には期待が満たされることに関係して働く報酬系ネットワークと呼ばれる領域がありますが、このネットワークが発達に伴い変化していく過程で現れる現象なのではないでしょうかね。

系統発生も個体発生を繰り返す?

昭和の時代に流行ったお笑い、たとえば人の外見に関わることや、ひどいいたずらを仕掛けて驚くさまを見て喜ぶ、といったパターンが、令和では嫌がられる傾向にあると言われます。これには、いじめられる側や少数派の人々の気持ちに関する情報が、知識として人々の身についてきたからではないかと思います。そうして社会全体が少し成長して、多様な視点でものをみることができるようになってきたことの表れなのではないかと私は思っています。

そうして社会が「発達」していくと、昔流行った現象に違和感が出てきて、もはや面白いとか楽しいとか感じられなくなる、これは「いないいないばあ時代の終焉」と呼んでいいのではないか、と思います。

一体の動物が誕生して発達していく過程(個体発生)には、動物が種として進化してきた過程(系統発生)が反映されると言われます。たとえばヒトの胎児期の姿は魚のような形態からだんだん進化して出生時にはヒトの姿になっているというものです。これを「個体発生は系統発生を繰り返す」(反復説)などと言いますが、逆に「系統発生も個体発生を繰り返している」のではないでしょうか。つまり、発達過程でしてきた変化が、社会の進化として繰り返されるとも言えるのではないか、と思うのです。


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