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メロン

冷蔵庫を開ける。微かな鈍い音を聴きながら、ビニール袋を取り出す。旅行先の市場で買ったメロンだ。休暇は、突発案件の対応で6連休が3連休と1日休みに。旅先で対応していたら地獄だったな、帰ってきていて良かった。なんて思いながら、酸化を防ぐためにピッタリ張ったラップを取り除き、残り半分に包丁を入れる。食べごろを少し過ぎたメロンは熟れきって、まな板に果汁が溢れ出す。ここで食べてしまおう。少々品はないがキッチンで立ちながら竹串を使って口に放り込んでいく。メロンを食べていると、母方の祖父母が浮かぶ。ただ一人の孫を猫っ可愛がりしていた祖父母は、月に一度、読みたい本やお菓子の詰め合わせ、お小遣いを送ってくれていた。それ以外にも、折に触れてメロンなど果物などを送ってくれていたものだった。メロンが口いっぱい広がるたび、孫娘の来訪に眩く笑う祖父母の笑顔が浮かんできた。鮮やかに思い出すほど、メロンの美味しさが際立つのにほろ苦く感じるのはどうしてだろう。

祖父母のそうした無償の愛に応えられなかったと悔やむ思いがある。もっと会いに行けば良かった。私の存在であんなに喜んでくれる人たちは世界中を見渡しても稀だろう、私以上に私のことで一喜一憂する人たちだった。あのときは自分のことで精一杯だった。それもそのはずで、母との葛藤や同世代との居場所のなさを煮詰めた息苦しさに毎日必死だった。日本から少し離れたかったのはこの為でもある。四面楚歌でも学校に通い続けられたのは祖父母の愛が故だったし、過干渉なのに向き合わない母親に苦しめられたのは祖父母のせいでもあった。

父も毒親育ち、母も毒親育ち、そのまた上を遡っても毒親エピソードが漏れ聞こえてくる。そんな私は自分を毒親サラブレッドと呼びたい。母は優しいのかもしれない、両親(私にとっての祖父母)に罪滅ぼしをする機会を与えたのだから。罪悪感を帳消しにできる、無償の愛を注げる存在をこの世界に産み落としたのだから。少しずつ毒抜きは進んでいるように見える、かつてのエピソードはなかなかに笑えないから(継母にいびられたなど)。ただ、私は家族を編むなかで自身に燻る火種を克服していく自信がない。家族という要素が自分に何をもたらすのか計り知れない。愛があったとして、そんなことを赤の他人に背負わせて良いものなのだろうか。結婚をして家庭を築くという"当たり前"に足を踏み入れることが、まるで現実味を帯びない。

鮮やかな橙色が水気を帯びて光る。残り4分の1も美味しいうちに食べてしまおう。鈍い音のする冷蔵庫にまたしまい直す。

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