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寂しさはいつだってあるもの

部屋を整理していたら、7年前に他界した母が送ってくれた手紙を見つけた。時々、読み返すと涙が出てくる。この想いに私はどれだけ応えることができたのだろうか?そんなことを考えて、母を思い出し、寂しくなる。これだけ手紙をくれた母へどれだけきちんと返しただろうか…?母に寂しい想いをさせたかも知れない…そんなことを思うと苦しくなる時期もあった。

家を出て大学生活を始めてから、母は手紙をよく送ってくれた。「telしてね」と書いてある手紙もある。学生時代の私は東京生活が楽しくて、実家に電話する事もままならなかった。そんな忙しない私を心配する母の様子が今の私はよくわかる。

いや、当時もわかっていたのかな。でも母の思い描いた娘になれていないことに落ち込んでいた気もする。長女だし、勝手に期待されているような気持ちになっていたのだ。だから、時々、返事をするのが億劫になった。

でも、娘が生まれて少し心境が変化した気がする。娘もきっと、私たち親の元を去る。かつての私のように私たちをかえりみない時期もあるかも知れない。でも、それでいい。私たちはずっと娘が大切だし、親元を離れいく姿には寂しさを感じるかも知れない。けどね、“寂しさ”なんてずっとあるものだと思うのだ。

実家で暮らしていた頃も私はなんだか寂しい気持ちになる事があった。それは彼氏がいないからかも!?と、高校生時代は思っていた。だから、大学で恋愛を追い求めてみたけど、彼氏ができたところで寂しさはある。それは親元を離れたからだと感じていた。だから、毎晩いろんな人と夕ご飯を食べたり、バイトを入れて夜一人になる時間を減らそうとした。

今の夫と出会って、寂しさは少し落ち着いた気もするけれど、無くなることはなかった。母が他界してからは、母に会えない寂しさも時々、襲ってくるし、夫と結婚しても家で会える時間が思ったより短くて寂しい。娘が生まれて毎日一緒に居てくれる人ができたけれど、それでも寂しさを感じる事はある。会社員を辞めたのは自分の意思だし、今の仕事は大好きだけど、一人で仕事を作るのは孤独な作業だし、時々毎日職場で仲間に会える人たちが羨ましくなることがある。

“寂しさ”は常にそこにあるもの。たぶん、無くなることはない。そう気づいたら、なんだか楽になった。寂しさを埋めるための行動が減った。自分の寂しさを人に押し付けずに、自分で解消できるようになった。今日もまた、母を思い出し、少し寂しくなったけど、こうして文字を綴ることで、気持ちが和らいでいく。そういえば、母も時々、日記を書く人だったなぁ。

3-5年後に家族で世界に飛び出します、たぶん◎