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選手の日常やトップチームへの道のり、年代別の補強方針など。知られざる、ばいやん下部組織の内情

—— 以下、翻訳 (ドイツ『SPOX』記事全文)

FCバイエルン・ミュンヘンが、キャンパスをオープンしてから4年が経つ。選手やスタッフたちは、そこでどのように生活し、働いているのか?これまでの成果はどうなのか?今後はどうなっていくのだろうか?また、他に注目すべきポイントも。

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定期的にFCバイエルン・キャンパスの寮生が談話室に集まり、皆でテレビを見る機会が2回あるという。「チャンピオンズリーグはいつも、それに時々、バチェラーもだね」。ドイツメディア『SPOX』と『Goal』に対して、マルセル・ヴェーニヒ選手は、笑顔でこう語る。やや楽しげであり、やや照れ気味でもある。これほど他愛ない内容の番組を見ていることを包み隠さず明かしてくれるのか?

マルセル・ヴェーニヒ選手は、17歳のミッドフィルダーだ。キャンパスの寮で生活し、現在はFCバイエルン・ミュンヘンのU-19のチームでプレーしている。しかし、深刻なメンバー不足により、ここ最近では、リザーブチームでレギオナルリーガ・バイエルン地区(4部相当)の試合や、トップチームでテストマッチにも出場している。実際、チャンピオンズリーグや、テレビ番組「バチェラー」というのは、彼自身の人生や夢、ひいては、あらゆる有望なサッカー選手の人生や夢に、まさに似つかわしいものと言えよう。

チャンピオンズリーグは、究極の目標であり、最も憧れの舞台である。アンセムや、多くの星が散りばめられてはためくセンターサークルフラッグ、スポットライトや、有名な相手選手たち。ある意味、テレビ番組『バチェラー』にも匹敵するような道のりだ。なお、この番組を知らない人のために説明すると、ある男性が偉大な愛を求めて、求愛する数多くの女性の中から候補者を毎回一人ずつふるいにかけていくという、恋愛リアリティショーだ。バラをもらえなかった人は脱落となる。そして最後に残るのは、たった一人だ。ちなみに、この男女逆転版『バチェロレッテ』という番組もある。

この「バチェラー」と同様に、プロサッカー選手への道のりもまた、成功よりも失望の方が多い選考過程だ。より上の年代別チームへの昇格は、いわば架空のバラの花とも言えるだろう。しかし、このテレビ番組では最終的な勝者は1人だが、理論的には、すべてのサッカー選手の中から複数の勝者が生まれる可能性もある一方で、まったく生まれない可能性もある。FCバイエルンはかつて、常に勝者を生み出すことを誇りとしていた。例えば、バスティアン・シュバインシュタイガーやフィリップ・ラーム、そしてホルガー・バドシュトゥバーや、トーマス・ミュラー、ダビド・アラバなどだ。

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オーストリア人のアラバは、2010年の春、17歳でプロデビューを果たした。その約1年半後にはレギュラーの座を獲得し、今夏にレアル・マドリードへフリーで移籍するまで、彼は10年間に渡ってその座を守り続けた。この間、クラブが自ら育てたタレントがFCバイエルンでレギュラー選手になった例はない。ただの一人もいないのだ!

こうした傾向に歯止めをかけるため、FCバイエルンは約1億ユーロ(約130億円)をかけて、このバチェラーたちの本部、いわゆるキャンパスを建設した。ミュンヘンの北部、アリアンツ・アレーナからほど近い、かつての兵舎の跡地に建てられた。2015年10月に起工式を行い、2017年8月にオープンした。

当時、ネイマールがFCバルセロナからパリ・サンジェルマンに、史上最高額の2億2200万ユーロ(約290億円)で移籍したばかりだった。当時のウリ・ヘーネス会長は、明るい日差しが降り注ぐ真新しい施設に立ち、招待された著名人や記者たちに向かって、「これがFCバイエルンの、移籍金暴騰や給与高騰に対する答えなのかもしれない」と声を上げた。

日常生活

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キャンパスが開校したとき、マルセル・ヴェーニヒは13歳で、その数週間後には第一期生の一人として、この寮に移ってきた。以降、彼はここで約4年間を過ごし、FCバイエルンでプロとしてのキャリアを夢見ることができるようになった。

SPOX』と『Goal』とのインタビューにあたり、拳で挨拶を。もちろん、コロナ禍だ。ランニングパンツに、パーカー、白のシューズ姿で現れた。2500人収容のスタジアムで、普段はあまり座ることのない交代用ベンチに座るヴェーニヒ。これまで様々な年代別ユースを、主にレギュラー選手として駆け上がってきた。

ヴェーニヒはニュルンベルク出身で、1.FCニュルンベルクでサッカー選手としての第一歩を踏み出した。その後、ミュンヘンへと移籍した。今、彼はマスクを外し、自身の生活について教えてくれる。「これまでホームシックになったことはないね。たいてい、2~3週間に一回は実家に帰っているんだ。もし何かあったら、両親がすぐに駆けつけてくれるよ」。友人とは異なり、近親者だけはこの寮の中に入ることが許される。だが、実際には、ヴェーニヒと会える時間はほとんどない。かなりタイトな日常を送っているのだ。

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「僕は高等専門学校に通っており、2週間ごとに、学校生活とスポーツショップでのインターンを繰り返しているんだ。どちらもウンターシュライスハイム(ミュンヘンから北に位置する近郊の町)にあるよ。キャンパスからは公共交通機関で25分だ。同じクラスにはバイエルンのチームメイトが2人いて、週に3回、授業の前に2時間の朝練をしているんだ。学校は朝の8時から15時45分まで。その後、キャンパスに行って着替え、17時からトレーニングだ。20時に夕食。その後、洗濯や宿題をしたり、共用スペースや部屋でみんなと一緒に過ごしたりするよ。」

キャンパスでの生活は、パラレルワールドの生活なのだ。あらゆるユースの選手たちにとって、しかしその中でも、寮で暮らす選手たちにとっては、特にそうだろう。それもすべては、プロ選手になるという夢のため。ドイツ中で何千人もの若者が、こうした生活を送っている。ブンデスリーガの36クラブには、NLZ(Nachwuchsleistungszentrum)と呼ばれる育成アカデミーの運営が義務付けられており、合計で56箇所ある。「選手たちは、そこで青春を奪われてしまうのだ。私自身、息子でそれを見てきた」。オーストリアU-21代表監督のヴェルナー・グレゴリッチュ氏は、かつて『SPOX』と『Goal』にこう語っていた。彼の息子ミヒャエルは、ブンデスリーガで数年間プレーする選手だ。 彼の場合、サッカーに捧げた努力や、あらゆる犠牲が報われただろう。しかし、そうではない人々の場合がほとんどだ。

だが、ヴェーニヒからは、この生活を大きな犠牲だと感じているという印象は受けない。おそらく、他の生活を知らないためだろうか?パーティーや、飲酒、喫煙といった、若気の至りは彼にはないようだ。「キャンパス外でパーティーをするかどうかは、誰もが自分で決めることができる。でも、僕には全然似合わないし、ここにいる選手たちもみんなそうなんだ」とヴェーニヒは言う。もしここにいる誰かが、喫煙や飲酒をする女の子と出会ったら、誰もが「そんな子は自分に似合わない」と言うだろうね。

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寮での集まりは、主に夕方だ。チャンピオンズリーグやバチェラーの始まる前に、一緒に食事をすることがある。自炊の日曜日を除き、食事は有名シェフのアルフォンス・シューベック氏とそのスタッフたちがいつも用意してくれる。「月曜日と水曜日は僕のお気に入りの日なんだ。月曜日はいつもハンバーガーやケバブなどが食べれて、水曜日は麺類が食べれる」とヴェーニヒは言う。「金曜日は魚の日だ。あまり好きではない選手もいるけどね」。確かにそういった問題もあるが、特に深刻な問題があれば、6人の教職員に相談することができる。彼らは、現在35人の入寮者に対し、早番、中番、遅番の3シフトで対応してくれているのだ。

FCバイエルンのユース部門では、総勢約100名が働いており、ゼーベナー通りで働く職員数の約2倍にのぼる。寮の部屋数は移転により倍以上になり、3つの廊下に分かれている。U-19、U-17、そしてそれ以下の年代の3つだ。この移転に伴い、すべてがより大きく、より近代的になったものの、ある意味で距離は離れてしまった。

距離

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「新キャンパス建設の話を聞いたとき、まず最初に浮かんだのは、当時、僕はゼーベナー通りにいるプロ選手たちと距離が近いのを魅力的だと感じていたことだった。キャンパスがオープンする前にFCバイエルン・ユースに加入できたことは、とても幸せなことだったね」と、ドミニク・ブルシッチは『SPOX』と『Goal』に語っている。このオーストリア人選手は、2009年から2011年まで、かつての寮に住んでいた。加入当初から、同胞のダビド・アラバと一緒に過ごし、すぐに大親友の一人となった。

当時を語るブルシッチからは、プロ選手たちの傍で過ごせることへの興奮を感じさせる。「窓から世界的スター選手たちが練習しているのを見ると、さらにやる気が溢れてくる。何度もドアの外に出て、トップチームのトレーニングを眺めていたんだ。物理的に近いこともあり、自然とプロの選手たちと定期的に会うことができたね」。アラバもまた、「毎日、窓からトレーニングを見るたびに、自分の夢を実現するために全力を尽くそうと固く決意していた」と、その眺望を後に絶賛している。

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寮がミュンヘンの南部から北部に移転したことで物理的な近さは完全になくなり、プロと若手と選手同士の触れ合いは、今ではまばらになってしまったという。唯一、特別な機会のみで、もはや寮の出入口と練習場との間で偶然出会うようなことはなくなった。現在のユース選手であるヴェーニヒいわく、コロナ前にセルジュ・ニャブリやトーマス・ミュラー、レオン・ゴレツカ、ヨシュア・キミッヒがキャンパスに立ち寄った時が「間違いなくハイライト」だったようだ。

今夏、ユースとトップチームの間を緊密につなぐもう一つの要素が、ヘルマン・ゲルラント氏の退団によって失われた。少しの中断期間を挟み、彼はFCバイエルンで31年間勤めた。トップチームのアシスタントコーチや、リザーブチームの監督、キャンパス開設後は一時的にユース部門の責任者も務め、ずっとティガーの愛称で、タレント育成の第一人者として、クラブのアイデンティティを体現し続けた。「ヘルマン・ゲルラントは、プロ選手と、私たち寮の少年をつなぐ役割を果たしていた」とブルシッチは語る。「彼は時々、私たちと居残り練習をしてくれたり、また定期的に寮を訪れ、すべて順調かどうかを聞いてくれたりしていたんだ。」

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SPOX』と『Goal』の質問に対し、ユース部門の責任者であるヨッヘン・ザウアー氏は、新たな距離を「マイナスの副産物」とは捉えてていない。普段ならゼーベナー通りで練習するリザーブチームについては、「近さは魅力だ」と語る。だが、コロナの感染拡大に伴い、彼らはキャンパスへと引っ越した。いつ、どのような形で復帰するのかは、まだ全く不透明な状態だ。現在、ユースとトップチームとが明確に物理的に分かれているのだ。「間違いなく、コミュニケーション面で最適な働き方が必要となるが、決して別世界にいるわけではない」とザウアー氏は言う。

これまでの成果

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充実した育成施設にふさわしく、FCバイエルン・キャンパスの光沢のあるパンフレットには、さまざまな実績や写真、そして最も重要なのが、サクセスストーリーの掲載だ。その中でも特に際立つのが、もちろん、キャンパス開設以来の最も素晴らしい成功例である。だがこれは、おそらく最短であるがゆえ、ある程度しか当てはまらないだろう。つまり、わずか数ヶ月間のみをこの施設で過ごした、ジャマル・ムシアラのストーリーである。

2019年夏にチェルシーFCからミュンヘンに移籍したとき、ムシアラは16歳だった。わずか1年の間に、U-17、U-19、リザーブチーム、トップチームのそれぞれでデビューを果たした。その後、チャンピオンズリーグの決勝トーナメントでリスボンに行き、欧州のクラブサッカーで最重要タイトルを獲得して帰ってきた。昨シーズン、ムシアラはトップチームでますます活躍し、欧州選手権でのドイツ代表メンバーにも選ばれた。

当時のカール=ハインツ・ルンメニゲ社長は、キャンパスの落成式で「毎年1人は、トップチームで戦える選手を」と願いを語った。これは、ただのトップチームへの昇格ではなく、本当の意味での補強選手を意味していた。これまで補強と言えるような選手は、ムシアラだけである。キャンパス開設前の4年間と開設後の4年間を比較すると、それぞれの期間でプロデビューを果たしたユース出身選手の数は、7人から18人に増加した。だが、彼らのほとんどがその後、プロ選手としてのキャリアをスタートさせたとはいえ、そこはFCバイエルンではなかった。

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ムシアラに続くのは誰か?万能型ディフェンダーのクリス・リチャーズ(21歳)は、TSG ホッフェンハイムに半年間の期限付き移籍を経験。プレシーズンでは、トルベン・ライン(18歳・MF)やアルミンド・ジープ(18歳・FW)が注目を集めた。そして、最近、プロ契約を結んだ右サイドバックのヨシップ・スタニシッチ(21)も同様だ。

2017年のキャンパス開設以来、FCバイエルンのユース部門へ移籍してきた選手の、プロデビューの例が増えただけではない。また、クラブでは、ドイツの各年別代表チームでプレーする選手の数も増えたのだ。

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スキャンダル

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ムシアラの急成長はキャンパスの最も美しい物語である。しかし、一方で、昨年8月に浮上した人種差別スキャンダルは、間違いなく最も醜いものだ。

ドイツ『WDR(西ドイツ放送)』の雑誌「Sport Inside」の報道により、長年ユース監督を務めていた人物が、同僚やユースの選手たちに対して人種差別的な発言をしていたことが明らかになった。その人物は、差別的に「黒ん坊」と書かれたトラックの写真をチャットに投稿し、そこに「輸送。ここで、黒人たちはAからBへ輸送される」とコメントしていた。移民の背景を持つ長年のユースワーカーに関しては、「黙れ、ラクダ乗り」(注:アラブ系への差別用語)という発言があったという。また、チャット以外にも、同僚やユース選手たちに対するいじめがあったという話も報じられた。

「誰もがショックを受けた。我々のキャンパスの一部で、人種差別的な発言があったとは知らなかった」。ユース部門の責任者であるヨッヘン・ザウアー氏は、昨年11月に『tz』紙および『ミュンヒナー・メルクール』紙のインタビューに答え、当該のチャット履歴があったことを認めた。「チャットグループでの人種差別的な発言は、間違いなく存在した。そして、FCバイエルンの価値観や姿勢にも反するもので、私たちを傷つけた。」

このユース監督はFCバイエルンから解雇され、DFBスポーツ裁判所から18ヶ月間の追放処分を受けた。また、本件に関与していた他2名の従業員も、同様に解雇となった。クラブは内部調査の結果、U-9からU-15までのユースチームにおける、構造改革や人事の見直しとともに、定期的に研修・講習プログラムを改善していくことも発表した。一方で、チャット以外のいじめの噂に関しては「事実ではないことが判明した」とザウアー氏は述べている。

しかし、こうした告発をその後も、匿名の(元)キャンパス従業員や選手の親が、テレビ局『WDR』に繰り返し語った。それ以来、ファンは批判的なバナーを使って、説明不足に対する不快感を繰り返し訴えてきた。『SPOX』と『Goal』の問い合わせに対し、FCバイエルンは昨年秋に発表した内容から、この疑惑についてこれ以上の公式発表をするつもりはないとしている。

任務

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今年7月初旬、FCバイエルンではユリアン・ナーゲルスマンの時代が始まった。本来であれば、このドイツで最も貪欲なクラブの新監督の任務というのは、常に同じである。つまり、1年間で、最低でもブンデスリーガ優勝、さらに最低でもポカール優勝、できればチャンピオンズリーグを制覇することだ。だが、ナーゲルスマンの場合は少し違う。当然、ブンデスリーガやポカールの獲得に関しては、彼にも当てはまる。しかし、それに加えて、バイエルンの新監督としてはかつてないほど明確に、タレントたちをチームに融合させ、育成するという任務が与えられているのだ。

5年契約のナーゲルスマンのもとで、キャンパスはついにウリ・ヘーネスが開設の際に語ったように、「移籍金暴騰や給与高騰に対するFCバイエルンの答え」となるはずだ。パリ・サンジェルマンや、マンチェスター・シティ、チェルシーFCなど、外部から潤沢な資金提供を受けているクラブは、伝統的に健全経営を行うFCバイエルンが払わない、長期的には払えないような金額を支出している。特にコロナ禍により、1年半の間、スタジアムの集客が叶わなかったことで、FCバイエルンは約1億5千万ユーロ(約200億円)の減収となった。

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ナーゲルスマンは、この問題やそれに伴う任務を十分に心得ている。4月末の記者会見で、シーズン終了後のFCバイエルンへの移籍を発表した際も、「もちろん、キャンパス(の選手たち)を統合する必要性がある。それも任務の一つとなる」と語っている。

ナーゲルスマンは、7月初旬にミュンヘンに着任した際、上司が積極的に要求すべきことを先んじて語っていた。オリバー・カーン新社長は、「彼が若い選手を育て、我々が思いも寄らなかった選手を成長させてくれることを期待している」と語った。クラブの将来にとって、キャンパスは「きわめて、とても重要な要素」だと語った。

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また、ヘルベルト・ハイナー会長は、こう付け加える。「将来、トップチームに自前の選手を増やすには、ユースチームとトップチームとのつながりをさらに密にする必要がある。これは、チーム作りにおける財政的なメリットがあるだけでなく、キャンパスへの投資の成功例となりたいと考えている。ナーゲルスマンはそのための完璧な男だ。」

これまでの前任者、カルロ・アンチェロッティや、ユップ・ハインケス、ニコ・コバチ、ハンジ・フリックとは異なり、彼はユース部門での経験が豊富だ。ナーゲルスマンは、ブンデスリーガでのチャンスを掴む前に、FCアウクスブルクや、TSV 1860ミュンヘン、TSGホッフェンハイムで若きタレントたちを育ててきた。2020年に揃ってFCバイエルンに移籍した現在18歳の2人のアタッカー、アルミンド・ジープとマミン・サンヤンは、ホッフェンハイム時代から彼が知る選手たちだ。ナーゲルスマンによれば、彼らは「間違いなくトップを目指せる非常に優秀な選手」だという。二人とも現在はリザーブチームでプレーしているが、ジープはすでに他の何人かのタレントたちと一緒に、トップチームに混じってトレーニングやテストマッチに参加している。

戦略

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U-14以下

FCバイエルンは最年少の年代では、オーバーバイエルン地域の優秀なタレントたちを集めたいと考えており、この年代チームに所属する選手の約90%はミュンヘンとその周辺地域の出身者だ。FCバイエルンは現在、タレントたちが慣れ親しんだ環境に長く身を置き、移動時間を短縮できるようにという配慮から、下の年代は、次のような戦略を取る:今シーズンの初めに、U-9が廃止されたのに続き、翌シーズンはU-10も同じく廃止されるのだ。

その代わり、FCバイエルンはミュンヘンを中心として、あらゆる方角に協力クラブを探した。タレントたちはキャンパスに通うのではなく、まず地元にあるSpVggランツフートや、SVシュロスベルク・シュテファンスキルヒェン、SpVggヨスホーフェン・ベルクハイム、FCイッシンクでそれぞれ成長してもらい、U-11レベルになってからFCバイエルンに入団することになる。だが、こうした選手やミュンヘンの他のアマチュアクラブの優秀なタレントたち向けに、キャンパスでの特別な育成トレーニングもあらかじめ用意されている。

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U-15およびU16

ベルクハイムだけではなくベルリンも!FCバイエルンでは、U-15から、国内で最も優秀なタレントたちを探しています。現在、クラブで最も才能のあるユース選手の一人と言われるトルベン・ラインは、この方針の一例だ。FCバルセロナやFCアーセナルなどからのオファーを断り、2017年に14歳でヘルタBSCからFCバイエルンのU-16に移籍した。当時のヘルマン・ゲルラント氏の発表は伝説的なもので、「トルベン・ライン。皆さん、この名前は覚えておいてくれ!」今季のプレシーズンで、ナーゲルスマンはすでにこの18歳の彼をトップチームに帯同させている。

U-17およびU-19

この年代になると、FCバイエルンは世界最高のタレントの争奪戦に参戦しており、オーバーバイエルン出身者が占める割合は、現在60%程度に過ぎない。2019年にはチェルシーFCから当時16歳のジャマル・ムシアラがU-17に加入し、その1年前には当時18歳のクリス・リチャーズがU-19に移籍した。FCバイエルンは、このアメリカ人選手の移籍に際して、MLSに所属するFCダラスとの協力関係を構築したことで、北米の若手市場へのアクセスが可能となった。

今後、この年代の世界最高のタレントを探す上でより効果的に動けるよう、ユースのスカウト部門はこの数ヶ月間で刷新された。チーフスカウトからテクニカルディレクターに最近昇格した、マルコ・ネッペ氏(35)がその旗振り役となった。

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2020年にスカウトとしてチェルシーからミュンヘンに移籍したフロリアン・ツァーン氏(39歳)が、今夏からユース部門の新たなチーフスカウトに就任した。既存の4人のスカウトに加えて、新加入の2人のスカウト、ヴィト・レッチェーゼ氏(32歳)とギュルカン・カラハン氏(39歳)が、彼をサポートすることになる。レッチェーゼ氏は、この新チーフと同様、以前はチェルシーのユース部門で働いていた。カラハン氏は、TV局『スカイ』でチャンピオンズリーグや代表戦の戦術分析を行っていた。

ユーススカウトに投資した結果として、クラブは発掘した人材に移籍金を支払うことが増える可能性も考えられる。「16歳や17歳以上の、優れた選手を獲得したいなら、金銭がを支払うことになる」と、ウリ・ヘーネス会長はキャンパスの落成式で説明した。しかし、これまでこのユース部門で最も高価な新加入選手は、やはりトニ・クロースである。2006年、16歳の時に230万ユーロ(約3億円)でハンザ・ロストックから獲得した。今のところ、キャンパスでは、ユース選手の移籍金の大幅な増加は見られない。

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FCバイエルンは今年3月から、ヘーネス名誉会長がかつてユース時代に所属していたクラブの後身である、レギオナルリーガ(4部相当)所属のSSVウルムと提携関係を結んでいる。情報交換のほかにも、この協力関係には2つの大きな狙いがある。

一つは、FCバイエルンが、昔からユースに強みを持つVfBシュツットガルトのある、肥沃なシュヴァーベン地方の恩恵にあずかりたいためだ。新加入選手をまず、慣れ親しんだ地域に近いウルム(シュツットガルトとミュンヘンの中間地点の町)で一時停車させて活躍を見守り、後にミュンヘンに引き抜く可能性はあるだろう。もう一つは、ウルムが、FCバイエルンの有望なU-17やU-19、またはリザーブの選手たちが、トップチームで早期にプレーできるようにするためのローン移籍先としての役割が期待できるためだ。20歳の左サイドバック、ヨナス・ケールは、すでに2020年夏からこのオプションを活用している。

リザーブチーム

ケールが不在の間、FCバイエルンのリザーブチームは3部リーグから降格したため、ウルムとの協力関係の2つ目の狙いは、少なくとも一時的にはお預けとなっている。というのも、両チームが同等のリーグで戦っているためだ。ウルムがレギオナルリーガ・南西部地区、バイエルンのリザーブチームがレギオナルリーガ・バイエルン地区と、そこにディビジョンの差はない。3部リーグでの劇的な優勝からわずか1年での降格は驚きだったが、マルティン・デミチェリス新監督のもとで可能な限り迅速に昇格は果たされるだろう。ユース部門責任者のヨッヘン・ザウアー氏は、これまでの4年間を総括すると、この降格が唯一の挫折だったと語る。

ドイツでは、リザーブチームの必要性について賛否両論がある。バイヤー・レバークーゼンや、VfLヴォルフスブルク、RBライプツィヒなどは、セカンドチームを廃止した。一方、FCバイエルンは、この動きを真剣に検討したことはなかった。3部リーグのリザーブチームは、若きタレントたちの育成に重要なステップとなるという確信があるだけでなく、歴史的な側面も重要な役割を果たしている。

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ミュンヘンのリザーブチームは、「FCバイエルン・アマチュア」という愛称で親しまれているが、ドイツの他のチームとは異なり、アクティブなファンも存在する。ヘルマン・ゲルラント監督が率いた2004年のレギオナルリーガ南部のタイトルは伝説的なものとされており、いつの日か、セバスチャン・ヘーネス監督が率いた2020年の3部リーグ優勝も同じように語られることだろう。

とはいえ、将来的には、メンバー編成には多少の調整が必要となるだろう。キャプテンのニコラス・フェルトハーン(34歳)や、マキシミリアン・ヴェルツミュラー(31歳)、ティモ・ケルン(31歳)を中心とした経験豊富な屋台骨を除き、チームはより若返りを図ることになる。目標は、U-19の今の2年目の選手たちをできる限り上に上げる。つまり、U-19はU-18になる、ということだ。U-19でプレー可能な年長のタレントたちは、主にリザーブチームへと昇格し、理想的は、U-19で2年以上プレーする選手がいなくなることだ。その期間にトップチーム昇格が叶わなかったとしても、ブレイクの可能性が残されていれば、期限付き移籍が次のステップとなる。

オリバー・カーン社長は、「我々がトップチームのために選手を育成する可能性は非常に低い」と知っている。「最初はうまくいかないかもしれないが、どこかのクラブに貸し出すことができるかもしれないし、また呼び戻せる可能性のある選手を育てるために、とにかく継続的に取り組むことが重要だ」。フィリップ・ラームやダビド・アラバも、それぞれシュツットガルトとホッフェンハイムに期限付き移籍した後、ようやくブレイクを果たしたのだ。

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今夏、ローン選手を世話する新職に就いたダニー・シュヴァルツ氏は、ローンから復帰した選手が、ミュンヘンでチームに溶け込めるよう面倒を見ることになる。昨シーズン末に彼は、現在一人で指揮を執るマルティン・デミチェリス氏とともに、リザーブチームで二頭体制の監督を務めた。

SPOX』と『Goal』の情報によると、FCバイエルンは現在、欧州の小国の1部リーグで協力クラブを探している最中だという。これは、期限付き移籍になる可能性のある選手たちのための恒久的な窓口となることを狙いとしている。今春、2部に降格したオーストリアのSKN ザンクト・ペルテンとの協業のチャンスが巡ってきた。だが、交渉は精力的には行われず、FCバイエルンの経営陣は、最重要の案件とは考えていなかった。そこにヴォルフスブルクが入り込み、ザンクト・ペルテンとの協力関係を発表したのだった。

今後1~2年以内に、その代替案を見つけることになるだろう。言葉や文化がドイツと似ていることから、オーストリアのクラブが理想的な協業パートナーと考えられるものの、例えば、ベルギーやオランダのクラブも十分に考えられる。

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仕事

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タレントたちは、トップチームに上がる、あるいはローンに出る前に、長い間、FCバイエルンのサッカーをすることが求められてきた。ユース部門責任者のヨッヘン・ザウアー氏は、「私たちは、すべてのチームに義務付けるプレー哲学を生み出した」と語る。だが、それは一体どのようなものだろうか?理想的なもので言えば、ややゲーム支配やダイナミズムに関することだ。きらびやかなキャンパスのパンフレットによると、プレー哲学で中心となる要素は「ポゼッションによる支配、積極的なボール奪取による支配、チャンスメイク時のダイナミズム、攻守の切り替えにおけるダイナミズム」である。

ゼーベナー通りのクラブグラウンドの約4倍に相当する、30ヘクタールのキャンパスで選手の育成が行われる。フェンスや壁に囲まれた中に、7つの練習グラウンドや、体育館、ビーチサッカーやバレーボールのコート、1,000㎡の広さを誇る陸上競技およびリハビリ施設、ユースチームや女子チームの試合が行われるスタジアム、そして最近は、スキルラボと呼ばれる施設がある。

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サッカーシミュレーター「スキルラボ」は、キャンパスの新たな誇りであるとともに、個人トレーニングの神殿と言える。サッカーコート半分ほどの広さの六角形のミニスタジアムの壁に、プロジェクターが5段階の難易度、50種類以上のゲーム状況を投影できる。全自動のランチャーマシンから出るボールに、選手たちは対応策を見つけなければならない。もちろん、すべて記録され、最新の計測技術で分析や評価がなされる。

このキャンパスに移転したことで、映像分析の点で大きな進展があったという。元ユース選手のドミニク・ブルシッチによると、彼の時代、映像分析というのはリザーブチーム以上でしか使われていなかったようだ。今では、より下の年代であっても、試合前には次の対戦相手の、試合後には自分たちのパフォーマンスの映像分析がそれぞれ行われる。

キャンパスには総勢10名のアナリストが勤務しており、彼らは定期的に若い選手たちとポジション別のトレーニングを行う。U-19の選手であるマルセル・ヴェーニクは、「そこでは、僕ら自身のシーンと、同じポジションのプロ選手のシーンを交互に見せてもらうんだ」と説明する。「中盤の選手で言えば、昔はキミッヒやチアゴ、今はキミッヒやゴレツカのプレーをよく見るね。ほとんどがバイエルンの選手だけど、プレー哲学が似ているため、たまにマンチェスター・シティの選手も見るよ」。つまり、FCバイエルンでは、元監督のペップ・グアルディオラの遺産が生き続けているのだ。

選別

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2017年にマルセル・ヴェーニクが13歳でキャンパスの寮に移り住んだ際、5年間の育成契約にサインし、それにより、ある程度の確約はできた。U-9からU-12までの年代チームでは、FCバイエルンの架空のバチェラーのバラがまだ比較的簡単に手に入る。80~90%の選手が、その上の年代チームに進むのだ。U-13からU-19の間でも、その割合はまだ70~80%ある。

今や、ヴェーニクは最近、レギオナルリーガ・バイエルン地区でプレーするリザーブチームや、トップチームのテストマッチで初出場を果たすところまで来た。彼にとっては良い兆候だが、これからは勝負の数ヵ月が待っている。彼の育成契約は、18歳になる来年の夏に終了するのだ。U-19の選手のうち、リザーブチームに定着できるのは2人に1人だ。そこからさらに、トップチームに昇格できる選手はごく一握りであり、2011年のアラバ以降、レギュラーを掴めた選手はいない。この失敗には、多くの理由がある。

なお、ドミニク・ブルシッチは、かつてFCバイエルンのU-17で毎試合ほぼ1ゴールは決め、すぐにU-19に昇格した。しかしその後、膝を痛めてしまう。2度の手術を経て、約1年間の離脱を余儀なくされ、ついにはクラブを去ることになった。新天地のオーストリア、アドミラ・ヴァッカー・メードリンクでも、怪我に悩まされた。その後、アマチュアレベルで少しプレーした後、現役生活に幕を下ろした。現在、ブルシッチは、エージェント会社に勤め、バラを求める若きタレントたちの世話を行っている。


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▼元記事
https://www.spox.com/story/einblicke-ins-innere-des-fc-bayern-campus/


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