映像表現とはなにか?についての一般化された答え

ようやく自分自身納得できるひとつの答えを見出せたような気がします。まだ整理がついていない部分もありますが、それなりに見所のある考え方だと思えるので共有します。

また映像表現独自の特徴というわけではなく、表現についての一般的な議論が中心となります。


「予測と、その予測の修正」

一枚のフレームに無くて、映像にはあるものはなにか
それは、観賞する側の「予測と、その予測の修正」です。

例えば、月面での映像を考えます。
わたしたちが日常的に捉える重力は1Gです。地球のどこかで手に握った赤いゴムボールが、開かれた手から地面に落ちる様子を想像しましょう。その様子を思い浮かべるために、わたしたちは経験的に得た情報から導いた「予測」を用います。

では、次に月面で同じ赤いボールを手から離した映像を鑑賞します。そこに映っているのは、予測に反してゆっくりと月面へと落ちるボールの姿です。月面での重力は、地球表面での重力の六分の一程度しかありません。そこで、わたしたちは月面での重力のモデルを修正します。そののち、宇宙飛行士が月面を動きまわる映像を見るとします。その運動は、月面での物理法則という修正されたモデルの中で認知されます。

時間発展のある映像を見るとき、わたしたちは常に未来の展開を予測します。時間発展により、予測は逐次修正され、またあらたな予測を得ます。これはただ一枚のフレームだけを見た時には現れないことです。

予測と起こったこととの差が大きければ、予測モデルには大きい修正が必要になります。それが、ある映像がある鑑賞者に与えるインパクトの大きさであるといえます。

予測とまったく誤差のない映像を見たと仮定します。鑑賞者はそこから何も情報を得ることができず、予測(世界モデルや信念と表現してもいいかもしれません)も変化しません。またあまりに予測と関連するようには思えない、いわゆるナンセンスは局所的にはランダムな情報と見做され、予測に影響を与えないか、あるいは混乱を生むだけです。

そういった鑑賞者の予測と付かず離れずの、予測を裏切る情報をうまく展開し、情報が与えるインパクトを利用するのが映像表現といえます。

いくつか反駁できそうな観点を考えてみます。

記録映像(たとえばホームビデオ)は既知のことしか起こらないのでは?
映像の展開そのものは変化しませんが、鑑賞者の予測(世界モデル)は時間発展します。25歳の時と、45歳の時、それぞれ鑑賞者の世界モデルが変化していることにより、見る映像が同じでも与えるインパクトは異なったものとなります。
繰り返し観る映画は?
上記と同じ議論ができます。逆に言えば、十分なインパクトを得られないと思えば、短い期間に立て続けに同じ映画を観ることはしないと思います。集中力には限界があるので、一度の鑑賞では見逃した情報を得るために続けて二回観るとかはあります。
︎あるあるによる共感は?
意外性がなければ、あるあるはただ当たり前のことを言っているだけです。インパクトはありません。

映像表現の優れた点

現代でいえば、時間発展する情報である映像と音声が同時に利用できる映像表現は、優れた表現であると言っても良いでしょう。映像と音声が強い相関(同時録音)の場合に限らず、弱い相関(BGMとか劇伴)の場合でも、別の相乗効果が期待できます。逆に言うと、たまに見かける映像と音声の関係があまりに弱い映像表現は、その本領を発揮していないように感じます。

大きく一般化する

風呂敷を広げます。
「予測と付かず離れずの、予測を裏切る情報をうまく展開し、情報としてのインパクトを利用する」のは時間発展や論理展開を含む表現、コミュニケーションの全て、すなわち情報通信に広く適用できる気がします。

例えば映画、小説、写真集、音楽、電話、手紙、会議、会話などなど…

さまざまな表現は、相手(未来の自分も含む)の予測の修正を狙って行われる行為ではないか?

特に古典的な物語が多分に教訓を含んでいることは共感いただけるかと思います。

コミュニケーションそのものを楽しむ場合は、若干この路線の議論からは外れる気がします。新たな発見や意見の修正がなくても、ただやり取りしているだけで心地良いことはありますね。信頼する相手との同化(予測のすり合わせ)は、変化の量が小さくても満たされます…

こんな感じです?どうでしょうか?

科学っぽいことを言う

以下、ちょっと難しいこととかについて、科学めいた与太話(独学なのでトンデモが含まれるはずです)をします。

予測、世界モデル、信念などという言葉を使いましたが、やはり情報や統計とは深い関係にあると思えます。
事前確率分布(信念)を情報により更新し、事後確率分布(新たな予測)を得るのはベイズ推定そのものです。

世界モデルを使った未来の予測、行動による介入とその結果の観測を利用したフィードバックによる世界モデルの更新。さらに行動の更新。といった具合に、動物の意思決定や制御も同じテーブルで議論できるといえます。自由エネルギー原理のような、中間パラメータを導入した抽象度の高い議論が面白いです。

予測の更新を学習と捉えれば、KLダイバージェンス(カルバック・ライブラー距離)として、確率分布の対数尤度を利用してその距離を定量化する方法は、とくに情報幾何学・機械学習の文脈でさまざまな研究や実践がなされています。

そもそも情報をやり取りするエージェント同士の双対的な情報エントロピーは、シャノンの頃から深く議論されていることです。
なんならボルツマンが同じことを言っていたような気すらしてきます。

なんか当たり前のことだけ言ってる気もします!今回はこの辺にしときます。バイバイ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?