見出し画像

耳の哲学「きこえない音は存在するか?」 蓮の花の音をきく 2021版

 2011年以降、毎年夏になると昭和10年に繰り広げられた上野不忍池の「蓮の花の音」をめぐる朝日新聞紙上のある「論争」をご紹介しています。この論争の結論は一方的に(現代の言葉で言えばほとんど”エビデンス”のない状態で)科学者からの一方的な「勝利宣言」で終わりました。そして21世紀の今も「蓮の花の音をきく」という日本古来の風情ある文化は二度と戻ることはありませんでした。いちど消した文化芸術の灯を再び蘇らせることは容易ではありません。風流さを嫌った軍国主義の世相が透けてみえてくることも興味深いですが、その「呆気なさ」には怖さすら感じます。非科学的とレッテルを貼られることで、それまで当たり前にあった文化が消えてしまうのですから。しかもその”科学的な”実験検証も新聞記事を読む限り杜撰で簡単なものでした。エコロジカルに考えれば、当時の不忍池周辺の予想以上に賑やかなサウンドスケープや2000種類あると言われている蓮の個体差など、本当の意味で科学的に検証することもできたはずです。しかし日本人は蓮の音をきく文化をある意味「意図的に」きくことを止めてしまいました。それはなぜでしょうか。
 毎年同じような内容をブログに残していましたが、2021年の今年は2017年~2019年の連載をこちらに分割してご紹介します。最後に私のピアノ動画もご紹介しますので、そちらと共にお楽しみ頂けましたら幸いです。ちなみに動画の写真は2011年以前に撮影した上野・不忍池の蓮の花です。
(其の① 2017年改訂版)
 今年も美しい蓮の季節が巡ってきた。2017年7月11日は東日本大震災から6年4か月め、さらにもうひとつ大事なことは、戦前の治安維持法(大正14年)にあたる共謀罪が施行された日だ。これは今から98年前(大正12年)の関東大震災から昭和戦前の軍国主義へと突入していく時代の空気ととてもよく似ている。当時の芸術家や生活人は、法が施行された時はおそらくまだ他人事だったはずだ。それよりも自分の表現や、夕飯のおかずに頭を悩ませる日々を送っていたことだろう。ただしその後の歴史で何が起こったかを、彼らよりも未来の私たちは知っている。「戦争反対」とつぶやくだけで密告され逮捕され、あげく拷問され殺される時代がやってくる。表現の自由、内心の自由が奪われる時代に突入する。そのひとつの象徴的な出来事が「蓮の花の音論争」という新聞紙上の小さな論争での科学の「無音宣言」だ。
 2011年の夏、『音さがしの本~リトル・サウンド・エデュケーション』(M.シェーファー、今田匡彦著 春秋社)の課題「花のひらく音をきく」に惹かれ、私は戦前の朝日新聞紙上で繰り広げられた『蓮の音論争』について調べていた。永田町にある国会図書館には、国会前で原発反対デモを繰り広げる人たちののすさまじいシュプレヒコールが窓から館内に響き渡っていた。 ちょうど戦前の朝日新聞記事、「蓮の音はしない」と断定された昭和11年の記事を読んでいる最中だった。この年の新聞からは日本の近現代史を振り返った時にターニングポイントとなる出来事が沢山見つかる。2月26日にクーデター未遂事件を起こし処刑された多くの地方出身・青年将校たちの名前が列挙された異様さ、そこからガタガタと音を立てるように軍国主義に突入していく国の姿があった。驚くのは、この昭和11年までは植物学者も含め、蓮の花の音は当たり前に「ある」と思われていた、または「きいた」人がいたのだ。その文化が「科学」という言葉を前に呆気なく消されてしまう。「風流」が軍国時代にそぐわないと忌み嫌われはじめ、一方で「国民歌謡」の放送が始まり、東京音楽学校には邦楽科が設立される。プロ野球は当たり前に開催されていたし、日劇もあった。そして後に幻となる「1940年の東京オリンピック」の開催地に決まり、国会議事堂も完成する。一方で秋田では豪雨でダムが決壊し400名近い人が犠牲となっている。安倍定事件も起きた。どこか2021年の今と重なる時代の空気がある。
 この年にひっそりと「蓮の音」が消えてしまったことも、当時の人はおそらくそれほど気に留めなかっただろう。しかも数年後に戦争に突入したこの国は上野不忍池も食糧難から田んぼに埋め立て、今の姿に戻るのは戦後20年も経つ昭和40年代に入ってからだ。しかしこの国の人たちの耳に「蓮の音」が戻ることはなかった。一度社会から消えてしまった文化の灯を取り戻すことは容易ではない。
 M.シェーファー/今田が『音さがしの本 リトル・サウンド・エデュケーション』の中で「花(蓮)のひらく音をきく」と提示したのは、そこに「芸術とは何か」の問いかけがあったからに他ならない。たとえば自分以外の誰もが「科学」を掲げて「音はしない」と言っても、芸術の場合は自分が「ある」と思えばあるのである。それが「内心の自由」だ。しかし一方で注意しなくてはならないのは、「カミカゼ」を信じて戦争に突入したプロセスも、実はこの発想と本質は大差ない。だからこそ戦後、蓮の権威と言われた大賀博士は執拗に「蓮の音はしない」と各方面に記している。それは「迷信を信じやすい」この国が起こした戦争の過ちを反省した言葉なのだ。ただ皮肉なことに、誰よりも蓮の音を信じて実験していた博士自らが否定したことが決定打となり、この国で蓮の音を信じる人はほとんどいなくなってしまった。
 私が毎年この記事を掲載するのは、特に若い方たちに史実を伝えたいことと、何より自分のためでもある。人は日々の暮らしの中であきれるほど多くのことをやり過ごし、そして忘れてしまう。今日も九州地方は豪雨で大変な被害に遭われている。2017年は地震も起きた。突然はじまったコロナ時代も先が見えない状況が続いている。「蓮の音をきく」なんて”風流なこと”を考えている場合ではないのだ。その心の余裕のなさに、ある日黒い影が忍び寄ってくるかもしれない。(2021年8月加筆)

◎過去の記事では、軍国主義が色濃くなった1930年代の国内有音派・無音派の植物学者たちが、2度の夏に渡って不忍の弁天堂前の蓮音を巡って朝日新聞紙上で繰り広げた『蓮の音論争』をご紹介しています。2017年以前の記事は前述のリンクからどうぞ。
2017年以前の記事(無修正)はこちら→

蓮の音論争写真

【2019年 改訂版】
 夏になりました。この時期には毎年、昭和10年に掲載された朝日新聞「蓮の音論争」を軸に、日本文化に当たり前にあった「蓮の音がひらく音」が世の中から消えてしまった経緯、そして「きこえない音をきく」とはどういうことかを「耳の哲学」から思考しています。科学的/物理的に「音がする/しない」を言及する場ではなく、社会の中でひとつの文化や表現の自由が簡単に消えてしまった歴史があったこと、そこには人々が「内心の自由」を隠してしまう空気、軍国主義が背景にあったという事実を知って頂く場と捉えて頂けたら幸いです。 以下は毎年更新しながら掲載しています。・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
 今回は2018年に続き「芸術と科学」の関係性について素人なりに考えてみたいと思いました。なぜなら、この「蓮の音論争」を一方的に収束させた無音派の切り札(言葉)が「科学の勝利」であり、それは現在の時代や実学中心のアカデミズムの状況と重なってみえたからです。加えて、日常から「表現の自由」が奪われていくような「戦前の空気」ともどこか似た気配を感じます。
 20世紀は「科学の時代」と言われました。約100年前とは言え、新しい科学技術が人々の暮らしや考え方や環境を大きく変えていく感覚は、現在のインターネットやAIと向き合う私たちと大差なかっただろうと思います。宮沢賢治の詩の端々にも科学への憧憬も感じ取ることができます。
 因みにこの「蓮の音論争」が繰り広げられた1930年代の日本も近代化が進み、すでに不忍池周辺工場の排気による環境汚染が問題視されていました。関東大震災の復興事業や地下鉄銀座線の開通、不忍の池の周りには都電も走り、想像以上に「静かな」サウンドスケープではありませんでした。当時の街の「騒々しさ」を想像しながら記事を読んで頂けたらと思います。
 もっと言えば当時のアメリカではすでに原子力爆弾の製造法が研究開発されていて、それを知る留学経験者(物理学者たち)も国内に存在していました。大人と子どもほどの技術格差がある大国との戦争に突入していく時代を、若い物理学者たちはいったいどのような想いで過ごしたのでしょう。その「内心」を知ることは出来ませんし、”賢い人”ほど自分を守るために口を閉ざしてしまったのかもしれません。なぜならこの国はいつの間にか「戦争反対」を唱えた人たちが隣人の「密告」により捕まり、拷問を受け、殺されてしまうような恐ろしい国になっていたからです。自由を謳歌した大正デモクラシーから僅か10年ほどで社会は暗く変貌し、ジェットコースターのように軍国主義に「落ちて」いきました。もしくは反対に強国に「上がっていく」と高揚感をもって時代に臨んだ人たちも沢山いたことでしょう。関東大震災を経てからの時代の空気の変遷もどこか今と重なります。
 「蓮の音論争」が起きるまでは、有音派の植物学者も「非科学的」などと揶揄されずに当たり前に存在していました。科学の中にも多様性があったのです。それが、本当に簡単な実験を経て地球上に生息する蓮の花すべてのエビデンスがあるわけでもないのに、強引にひとつの意見に統一されていきます。「蓮の音をきく」ことは「風流すぎる」と軍国主義が嫌ったからです。そして「科学の勝利」と新聞に書かれた途端(突っ込みどころ満載の「非科学的な」実験だったにもかかわらず)、呆気ないほど簡単に「蓮の音」は社会から消えてしまいました。その冬には226事件が起き、クーデターを起こした多くの青年将校たちが処刑されます。昭和11年は軍国主義に舵を振り切った象徴的な年でした。
 国中の人たちが監視し合いながら「非国民」と密告されることを怖れ、「本心」を隠して大きな力に飲み込まれていきます。「蓮の音をきく」雰囲気など無くなってしまうのでしょう。「勝利」を信じて(または信じたふりをして)「お国のために」すべてを差し出し、国民には戦争に参加する道だけが残されます。つまり選択肢がないのです。戦争を視野に入れたメディア報道や教育による「刷り込み」が子どもたちに及び、「兵隊さん」になってお国のために戦うこと、命を捨てることを「美徳」として望むように育てられていきます。当時の朝日新聞「蓮の音論争」の記事の隣には、すでに都内で始まっていた空襲訓練を苦に一家心中をした有識者家族の記事が大きく掲載されていました。しかしそれはどこか「負け組」として扱われている印象があります。メディアもすでに戦争の加担者でした。
 ちなみに朝日新聞紙上で「科学の勝利」を謳ったのは「日本の植物学の父」と言われた牧野富太郎氏でした。牧野氏は音楽会をひらき自ら指揮者をするような文化愛好家の一面もありました。また東京帝国大学の’聴講生’の立場から、最終的には博士号を授与された稀有の天才科学者でもありました。この実験時にはすでに70歳を越えた「権威」でしたから、高齢による聴力(きこえ)等の問題を無視しても、科学者としての「無音宣言」はある意味”正しかった”のだろうと思います。
 さらに注目すべきは全く違う理由で「科学的根拠」をもって「蓮の音」を戦後ふたたび否定した人物の存在です。それは誰よりも蓮を愛し、自宅で音の検証も積み重ねていた植物学者の大賀博士でした。大賀博士はなぜ「蓮の音はしない」と言い切ったのか。それは「カミカゼ」という「幽音(きこえない音)」を信じて戦争に邁進した盲信的な日本の「国民性」への反省と批判があったからです。
 ふたりの科学者の動機はまったく違いますが、「権威の裏づけ」は「蓮の音」にとっては決定的でした。そのまま昭和の高度経済成長期は「日進月歩」の科学技術の恩恵を受けた時代になだれ込み、この国の人たちは「蓮の音をきく文化」をすっかり忘れてしまったのです。気づけば芸術さえも「科学的であること」「ロジカルであること」が求められるようになりました。論拠の弱いモノ・コト・ヒトは排除する。「非科学的」であることと「言葉にできないこと」が同義として語られ、逆に言えば「言葉にできること」だけが世界のすべてになっていきます。
 そして2011年3月。衝撃的だった「想定外」の言葉とともに人類史上最悪の原発事故が起きました。その事故の背景には「ブレーキのない自動車を走らせる」ような杜撰な「最先端科学技術」の実態も見えました。そして事故から10年足らず、まだ何も解決していないどころか事態は悪化しているにも関わらず科学技術は現実逃避のようにAIに邁進し、ブレーキを未だ開発出来ないまま再び原発すらも動かそうとしています。その「非科学的な」背景にはいったいどのような思考があるのでしょうか。
 芸術と科学は本来、岡本太郎が提唱した「調和は衝突」の関係性にあるのだと思います。もともとは森羅万象、言葉に出来ないことも含めてひとつの学問だった科学と芸術。科学者の言う「想定外」にあるものは、芸術にとっては必要不可欠な「イメージの力」にあたる領域です。現代科学が到達できない「非言語」の領域を補えるのが芸術、科学の社会的な暴走を抑えるのは倫理や哲学です。理詰めのオンガクのように「科学的なデータ/数字」だけで判断された社会は息苦しいものです。「科学的根拠」も決して「正解」ではない。それは未曽有の原発事故が教えてくれました。
 「蓮の音を聞いた」と言う人を「非科学的である」と言葉で封じ込めるような権利は、実は誰にもないと考えます。百歩譲って科学に寄り添っても、この広い世界には2000種類以上の蓮が存在し、土壌や環境、蓮の生命力の個体差も含め、すべての可能性を「ゼロ」だと実証することは不可能だと思うからです(あの大賀博士さえ検証は70種類ほどでした)。
 「想定外」の存在を否定せずに柔らかに想像の翼を広げること。社会全体が「科学」を盾に「イメージすること」を止めてしまった時には戦争が待っているかもしれない。それこそ想定外の時代がやってくるかもしれないことを、「蓮の花の音」をめぐる歴史が教えてくれるのです。(2021/8月加筆)

【2021年追記】
この記事を書いていた数年の間に、「蓮の音をきいたことがある」という高齢の方のお話を二度伺ったことがあります。いずれも地方の方でした。上野の花の音は消えてしまいましたが、自然豊かな場所では生命力豊かな蓮の音が人々を楽しませてくれていたのかもしれません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?