見出し画像

「現場監督はみた【note de ショート】」

わたしの名は田村。

地方の工務店で現場監督として働いている。
地元は大阪、この地に長年の現場監督という
キャリアをかわれてやってきた。

大阪には妻ひとり子供二人の単身赴任だ。

さて、こんな地方の建築現場で働くわたしだが
少しだけスケールの大きい話しをさせていただきたい。

ーーーーーー

うちの社長はながく町の商工会の重役を勤めており
その商工会の方針で

「外国人労働者」を雇いいれようよ。

ということだったのだ。
ご多分にもれずうちの建設現場もヘルメットを被った外国人労働者でごった返した。

社長が事前にベトナム、フィリピンそして中国に渡って
現地で有望で使えそうな労働者をピックアップしては来たものの・・・


意思疏通が全く出来てはいないのだ!


中国語、ベトナム語、タガログ語・・・多種多様な言葉たちが工事現場で入り乱れた。

これはいかん!
コミュニケーションの不足、ミスコミュニケーションは労働災害に直結するからだ。

社長も社長でひどすぎる。
町のドコソコであぶれた人間、問題のある人間をまとめて引き取りやがったな!

意思疏通のウンヌンどころか、やれ近くで隠れてスマホするやつ、中越戦争おっ始めるやつ
までいる。ここ日本の建設現場で排他的経済水域(EEZ)の話しはやめていただきたいものだ。
フー💨

とはいえ、ここは高卒の時分より現場一筋のわたしに託されたのであろう。
現場を事故なくまとめていかねばなるまい。

妻よ、息子達よ、みててくれよ!


ーーーーーー


わたしはまず始めにベトナム国籍と中国国籍を分けた。

新築の工事現場である。
外装の現場と内装に特化した現場があるのだ。

背が割りと低く丁寧に仕事を行うベトナムの子たちに
内装の仕事を割り当て副監督に託した。


「苦力(クーリー)」※これは差別用語であるが


のイメージが強かった中国国籍の子たちには外装を担ってもらうことにした。
それはセメントなどの重いものを、足場を上って積み上げていく作業があるためだ。

華奢なベトナムの子たちよりも背丈、見た目も申し分ない中国国籍の子たちが
うってつけであり、いま言った言葉、かれらの祖先のイメージもあったからだ。

このままもうなにも起こらずに現場が進んでいった。

外装を任せた中国の子たち。
彼らもわたしのことをよく思ってくれるようになったのだろう。

わたしによく話しかけてくれるようになったのだ。
彼らは頭がよく、とても我慢強い。
それは彼らのアイデンティティであろう。

はじめは全くだった日本語ですら、やがてカタコトに。
カタコトだった日本語はやがて日常会話を話すレベルにまで。

驚きである。学習にたいする事へのなんと


貪欲


であることか。ほんとに驚きなのだ。
驚き以外に形容すると・・・



やはり
「驚き」なのだ。以外にはない。


「タムラカントク、キョウハ昼からアメヨ」
「カントク、カントク・・・劉さんがケガしたヨ」
「カントク、コンビニでエロ本うってたヨ」
などなどだ。

わたしも次第に彼らがかわいく思えてきた。
わたしが教えられる日本の建築のイロハを
教えてやった。

彼らの飲み込みにも驚かされ。
きっと彼らはそれらを本国に持ち帰り
さらに中国は「土木」という分野でも
世界を担っていくのであろう。

土木技術世界一!と謳われた日本は
いまやムカシ。
そうやって確実に彼らにバトンタッチ
していくのだろう。

そう思うよ。
だってうちらの日本人社員は


「つかえねーーーーーーー」



からだ。
ちょっと叱れば明日から来なくなる。
これジョウシキね。

日本人スタッフには希望がないように思う。
お金を稼ぐ事への欲。
施主さまに喜んでもらうことへの欲。
その欲がないのだ。

なんのために仕事をしているのだろう。
かくゆうわたしもそこで立ち止まることはある。

あるのだが、働くことは自分のためだけでは
決してない。
家族、会社、広く社会。
すべてのために働いている。
そう自負している。

かれら日本人スタッフには
それがスッポリと欠けているのだ。


だが外国人労働者には
全員にそれがある!
かれらには家族、とおく祖国に
残してきた家族が背景にある。


そして技術を盗んで貢献せよ、という

国家

の期待を一身に背負っている。

この時点で負けだ。
負けている。

わたしはそう思う。

ーーーーーーーーーーーーーーー


この思いを決定付ける事件が起こった。

現場ももう完成に近づきつつあった
ある晴れた日の朝。


こんな鉄の棒をご存じだろう。
「H鋼」という。

まぁ、建築の素人であるみなさんは知るよしもなかろうが。

これを土間に埋め込むという
最終段階でわたしはミスをした。


すでにモルタル(コンクリート)を流し込んで固め終わった床に、なんとこの鉄の棒をいれなければならなかったのだが・・・

もう遅かった。
床は既に固まり、せっかく左官屋が敷いた床をもう一度
壊さなければならなかったのだ。痛恨のミスである。
段取りを見誤ってしまった。

なんとかせねば・・

部下の日本人スタッフも慌てた。
が、結果として出た答えが

「カントクーこれー、ショージキムリっすねー。本社から重機もってきてー。その前に運搬するのにレンタルもしなきゃ、なんでー
明後日ぐらいっすねー」

かれらのいうことはもっともだった。

現場が止まるもどかしさ。
だが仕方がない。

もう一度左官屋をよんで
再度手直ししてもらうしかない。
かなり高額の出費である。
仕方がない。

社長にも怒られるのを覚悟しなければ。

そこにひとり中国人スタッフの長である
周さんが現場事務所に訪ねてきた。

かれはこう言い放った。

「アノ、カントクさん。ワタシラに任せるヨロシヨ」
「ジカンないのキイタ。ワタシラ掘るネ」
とのこと。

何を言っているのか理解は出来た。
だが不可能だ。

機械を使って掘って行くものだからだ。
それに掘れたとしてもキレイな正方形の穴を
5 メートルだぞ!

周さんには悪いが重機の到着を待つよう
指示しかけ…た…。

何ともうすでに手作業での掘削が
始まっていたのだ!

「こらぁ!何やってんだお前らー!」

すでにコンクリの床は彫りぬかれ下の砂利を
くり抜いていた。

「おまえら、まっ…まさか」

「そうヨ。ハヤク現場シメタイネ。だから我等でホッテルヨ」
そういったのは劉という21 歳の中国人スタッフ。

しかも作業の速いことといったら…
正確なことといったら…

はじめはツルハシでコンクリ層を叩き割り、砂利が見えてきたら5、6人でショベルを使って掘り進めたらしい。

「では、こ、このキレイな正方形は!?」


「コレは爪でカリカリとシタヨ。」


といったのは謝くん。劉と同い年の土木技術系志望の
若者だ。

「カントク、どいててネ。もチョットで終わるヨ」
といった周さんの目はキレイで美しかった。
それどころか掘り進めている彼ら全員の目もキラキラとして美しかった。

ぽかーん

としている日本人スタッフに目をやる。
彼らのなんと頼りないことか。
私も含めてだが

「無理」は「ムリ」

とタカをくくってしまっている。
我々は技術の発展と引き換えに
精神力、人間力を失くしてしまったのだろう。

このようにして50 cm✕50 cm深さ5 mの穴が
出来上がった。
彼らには感謝してもしきれない。

ありがとう、と感謝の伝えたら
「?」が中国人スタッフの頭に浮かんだのがわかった。

何故か?

----------------------------

その事を後日、派遣先の担当者と話す機会が
あったので聞いてみた。

彼が言うには

「あぁ、それは彼らは早く終わらせたかったんでしょう。それ以外ないんだと思いますよ。」
「多少、監督さんにも恩義を感じてたのかもしれませんが彼らはシビアです。」
「計画を変更するのを嫌うんです。それは彼らの国、共産主義の賜物と言えるのかもしれませんね」
「彼らはそうでなくてもハングリーです。何せ将来の国を担う子達ですからね。家も内陸で貧しいというのも手伝ってます」

とのことだった。


彼らは国に帰った。
もう、彼らに会うことはないだろう。

だがいまでも思い出す。

現場の遅れが出た時とかに彼らの事を。


いま、日本は世界3位ですって?
中国に抜かれて世界3位?

馬鹿言っちゃいけませんよ。
2位と3位の格差は広いと思いますね。

わたしは経済のことはよくわかりませんが
特許出願の数でさえ日本の10倍
らしいじゃないですか?

5G?6G?すらよくわかってないんですが
中国人は、あの子達は確実に次世代の世界配分を
始めてるんじゃないですかね?

ぽかーんとしてた私達は
彼らに屈しますよ、絶対に。

あの日の彼らを見てしまったら
皆さんそう思いますよ。
絶対に!

報告終わり。
以下余白。









サポートをお願い致します。 素敵なことに使います。何にって?それはみなさんへのプレゼント! ぼくのnoteをもっと面白くして楽しんでいただく。これがプレゼント。 あとは寄付したいんです。ぼくにみなさんの小指ほどのチカラください。