見出し画像

【コンサル物語】コンサルティングに頼る会計事務所(プライス・ウォーターハウスの場合)

1970年代、アメリカの大手会計事務所は、企業の不正会計や業績不振に怒る投資家達により、多くの訴訟を起こされるようになりました。

いわゆるBig8(ビッグエイト※)と呼ばれていた会計事務所は、その屋台骨であった会計監査において、事業成長の頭打ち、訴訟、価格競争の三重苦に苦しめられていました。

※1970年代当時、アメリカに存在した8つの大手会計事務所のこと。ピート・マーウィック・ミッチェル、アーサー・アンダーセン、アーンスト・アンド・アーンスト、プライス・ウォーターハウス、ハスキンズ・アンド・セルズ、ライブランド・ロス・モンゴメリー、アーサー・ヤング、トーシュ・ロスの各社。後にDeloitte、PWC、EY、KPMGへと統合される

当時のBig8はどこも会計監査、税務、コンサルティングを事業の3本柱にしていましたが、売上に占める割合はどの会計事務所も、まだまだ会計監査が圧倒的に多かったのです。そのような中での会計監査の苦難を救ったのがコンサルティングの拡大でした。

そこで、Big8の中からプライス・ウォーターハウス(後のPWC)とアーサー・アンダーセン(後のアクセンチュア)の2社について、当時のコンサルティング事業の歴史を見ていきたいと思います。

最初に、プライス・ウォーターハウスですが、Big8の中では売上に占めるコンサルティングの割合が8社の中で2番めに少ない6%でした(ちなみに、コンサルティングの割合が最も少なかったのは、ハスキンズ・アンド・セルズ(後のDeloitte)の5%でした)

プライス・ウォーターハウスのコンサルティング部門は、1946年にシステム部門という名で設立されました。設立20周年の1966年にはコンサルタントも250人にまで増え、更に1970年にはコンサルティング部門のパートナー(経営陣に相当するファームでの最高職位)は20人、コンサルタントの数は460人にまで増えました。

売上やコンサルタントの増加は、プライス・ウォーターハウス社内におけるコンサルティング部門の地位向上にも貢献し、1960年代には実現できなかった執行委員会(Executive Committee)や政策委員会(Policy Committee)でのコンサルティング部門からの委員選出を実現しました。

コンサルティング部門には、1970年には20人のパートナーを含む460人の専門スタッフがいた。独自に採用、トレーニング、リサーチを行い、大規模な政府機関向け業務も行い、監査以外のクライアントも多く抱えていた。コンサルタントは、データ処理、会計システム、産業工学、数理モデリング、マーケティングなど幅広いスキルを有しており、開発部門は大規模なコンピュータの作成と商品化を行っていた。商品化されたパッケージには、総勘定元帳を管理し財務報告書一式を作成するために使用できる財務報告システムパッケージも含まれていた。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

これ程成長していたものの、他のBig8会計事務所に比べコンサルティングの割合が少なかった理由の一つには、当時のプライス・ウォーターハウスのコンサルタント達が、会社の監査サービス重視の方針により様々な制約を受けていたことが考えられます。

プライス・ウォーターハウスのコンサルティング部門が提供するサービスの範囲は、他の会計事務所の同種の部門と比べると、明らかに狭かった。1960年代後半以降は、戦略的な経営判断に関するアドバイスを提供するよりも、組織の構造、システム、業務手順などに集中的に取り組む方針がとられた。コンサルティング部門は、コンサルタントの仕事がクライアントとの関係を危うくする恐れがあると考える多くの監査部門パートナーの懸念を打ち消すよう努めた。コンサルタントの中にはこのような制限に不満を持つ者もいた。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

プライス・ウォーターハウスは、会計事務所は会計監査サービスを中心に据えるべきだという考えでした。当時の連邦政府やSEC(証券取引委員会)が会計事務所によるコンサルティングサービス提供に懸念を示していた事もあり、大手を振ってコンサルティングに参入しなかったわけです。

一方、アーサー・アンダーセンは、会計事務所の仕事は財務報告を提出して終わりではなく、むしろそこから始まるものと考えていました。数字の裏にある実態に目を向けることで経営者に資する報告を提出できる(コンサルティングできる)と考えていました。

そのような状況でもコンサルティング事業を拡大したプライス・ウォーターハウスが、1970年代に取り組んでいた特徴的なものをご紹介したいと思います。それは、公共部門向けのコンサルティングサービスの提供でした。首都ワシントンの事務所内に連邦政府向けのサービスオフィスを設置し業務拡大を進めました。運輸省からの鉄道事業の資金計画作成を初期に成功させたことで、プライス・ウォーターハウスの公共部門向けコンサルティングサービスは大いに成長していきました。

コンサルティング部門にとって重要なチャンスとなったのは、1970年代初頭に公共部門向けコンサルティング業務を拡大するために設立された連邦政府向けサービスオフィスであった。
連邦政府向けコンサルティングサービスは、鉄道事業の仕事の成功に乗じて、非軍事ではアメリカ最大の雇用主である郵便局(U.S.Post Office)の自動給与計算システムおよび人事システムなど、他の大きな仕事を確保することができた。郵便局向けのシステムコンサルティングサービスはそのまま、アメリカ陸軍と財務省にも提供された。そして1970年代の終わりには、国務省のために世界規模の会計システムを開発するという、もう一つの大きなコンサルティング・プロジェクトに着手した。1974年のサービス開始から10年後、ワシントンの連邦政府向けサービスオフィスは、プライス・ウォーターハウス社のコンサルティング全体の中で最大の部門に成長した。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

少し話はそれますが、最後にアメリカ連邦政府におけるコンサルタント利用の歴史について簡単に触れたいと思います。

プライス・ウォーターハウスは1970年代まで連邦政府向けのコンサルティングサービスに積極的ではありませんでしたが、アメリカ連邦政府におけるコンサルタント利用は第二次世界大戦中から本格的に行われていました。特に1950年代の法改正により連邦政府雇用の大部分を正規職員から非正規職員(tempopary contractor テンポラリーコントラクター)に移行したことで、経営コンサルティング会社が政府業務に広く利用されるようになっていました。

例えば、シカゴのコンサルティング会社ブーズ・アレン・ハミルトンによる第二次世界大戦中の海軍へのコンサルティング、ニューヨークのコンサルティング会社クレサップ・マコーミック&ペイジットとクリーブランドのコンサルティング会社ロバート・ヘラー&アソシエイツによる1940年代後半のフーヴァー委員会※のための行政府の再編成、ニューヨークのマッキンゼー&カンパニーによる1958年のNASAの初期組織化等が有名です。

※フーヴァー委員会
正式名「行政機構再編委員会」は、アメリカ合衆国連邦政府の行政改革について提言するため、1947年にトルーマン大統領によって選任された組織である。「フーヴァー委員会」という通称は、トルーマンによって委員長に任命された、ハーバート・フーヴァー元大統領に由来する。

『Wikipedia』

1950年代初頭、一連の法改正を経て、トルーマン大統領は連邦政府雇用の大部分を正規職員から非正規職員へと移行させた。行政府の役人たちは、アメリカの企業構造をイメージして行政国家を意識的に再構築した。1970年代初頭までに、行政国家の業務を指導する専門アドバイザーは、外部のコンサルティング会社を幅広く利用することが多くなり、それはアメリカの行政の特徴となった。

『The World's Newest Profession』

特に1970年代にプライス・ウォーターハウスがシステムコンサルティングを行った郵便局は、それより20数年前にフーバー委員会のタスクとして、経営コンサルティング会社のロバート・ヘラー&アソシエイツにより組織と運営が再編成されたものでした。

1948年当時、郵便局はまだ中央集権的で、年間赤字は13億ドルで歳入の20%近くに達していた。ロバート・ヘラー&アソシエイツのコンサルタントは、1940年代に大企業に常用された組織と運営の原則を政府の用途に適応させることで解決できると考えた。

『The World's Newest Profession』

アメリカ連邦政府のコンサルタント利用については、郵便局一つとっても、戦後の建て直しや発展にコンサルティング会社が深く関わっていた歴史があることがわかります。

(参考資料)
『ACCOUNTING FOR SUCCESS』(DAVID GRAYSON ALLEN、KATHLEEN MCDERMOTT)
『The World’s Newest Profession』(Christopher・Mckenna)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?