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【コンサル物語】誇り高きエリートの1980’s プライス・ウォーターハウス(中編)

1984年にデロイト・ハスキンズ・アンド・セルズ会計事務所(後のDeloitte)との合併案が立ち消えになったプライス・ウォーターハウス会計事務所(後のPWC)は、新たな戦略を模索する中で様々な決断をしていきました。その中には半世紀以上に渡る伝統を変革するものもあったようです。

プライス・ウォーターハウスは19世紀末にニューヨークで会計士業を開始して以来、半世紀以上に渡ってアメリカ会計士業界では名実共にリーダーであり、多くの名声を得ていました。そういった歴史を歩んできたこともあってか、プライス・ウォーターハウスは非常に誇り高い会計事務所でした。

その誇りはときに高慢にも思える態度として出てしまうこともあったようです。学生の採用のためにプライス・ウォーターハウスの人事担当者がアメリカの有力大学を訪問したときのことです。

「プライス・ウォーターハウスが大学を訪問するときの態度は高慢そのものだ」とある大学の就職指導係は言う。「プライスはビッグ・エイトの代表格を自負しているかもしらんが、彼らのめがねにかなった学生はみながみな、光栄の至りと受けとめると信じ込んでいるんだ。もっとも、そう思っている学生が多いことも確かだ。多くの学生にとって、プライスは依然第一候補なのだ」

『ビッグ・エイト』

また、1980年代までプライス・ウォーターハウスが外部からの人材登用を積極的に行うことはなく、そこにも良くも悪くもその誇りが表れていたのではないでしょうか。

ところが、そのような伝統でさえも、当時の会計士業界を取り巻く環境の変化の前では変革せざるを得なかったようです。コンサルタントを初めとした多くのスペシャリストを外部から採用するようになりました。

コナー(1980年代のプライス・ウォーターハウス会長)らは、部外者の雇用を嫌うプライス・ウォーターハウスの歴史的な体質を改めようと努めた。そうすることで、70年前にジョージ・O・メイ(1920年頃のプライス・ウォーターハウス会長)が提唱した「雇用して成長させる」哲学から、「買収して成長させる」哲学へとシフトしたのである。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

監査収入が頭打ちになるなか、ビッグエイト※はどこも非監査業務を伸ばすことで状況の打開を計っていました。特にコンサルティングは会計事務所にとって上げ潮に乗っている時期でした。

※1980年代当時、アメリカに存在した8つの大手会計事務所のこと。ピート・マーウィック・ミッチェル、アーサー・アンダーセン、アーンスト・アンド・ウィニー、プライス・ウォーターハウス、ハスキンズ・アンド・セルズ、ライブランド・ロス・モンゴメリー、アーサー・ヤング、トーシュ・ロスの各社。後にDeloitte、PWC、EY、KPMGへと統合されていく

プライス・ウォーターハウスも違わず、会社の使命は既に会計業務に留まらず、“フルサービスのビジネス・アドバイザリー・サービス“に他ならないとしていました。そして、そのためにはコンサルティングの飛躍的な拡大が不可欠だと考えていました。(『ACCOUNTING FOR SUCCESS』)

1985年、プライス・ウォーターハウスはコンサルティング会社3社と立て続けに合併し、コンサルティングの拡大に動き出しています。

歴史的な制約から解放されたプライス・ウォーターハウスは、1985年に3つの比較的小規模な企業と合併した。3月には、国際的な経営コンサルティング、市場調査機関であるマネジメント・ホライズンズ社と手を結んだ。その半年後、ソフトウェア開発会社であるコンピューテック・コーポレーション社と合併した。12月、コンシューマー・フィナンシャル・インスティテュート社と提携した。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

コンサルティング会社と合併し、プライス・ウォーターハウスのコンサルティング部門は、情報技術サービス、システム統合メソッド、ソフトウェア販売などを軸にビジネスを展開していましたが、特に、戦略的システム計画、システム開発、データセキュリティ等の分野で業績を大きく伸ばしていたようです。

プライス・ウォーターハウスはコンサルタントの専門性を向上させるために、コンサルティング組織の再編成にも着手しました。

1980年代には国内に90以上の事務所を抱えていましたが、コンサルティング部門のパートナー(役員)が在籍していた事務所はかなり限られていたうえ、コンサルタントは在籍する事務所の営業範囲に活動が制限されることが多く、事業拡大の足枷となっていました。それを改め、アメリカ全土を12の地域(ニューヨークエリア、東海岸北東エリア、西海岸北エリア等)に分けたエリア・パートナー(地域統括の役員)の下に再編成しました。

コンサルティング部門は、その利益にもかかわらず、63の地方事務所の多くに分散したネットワークによって制約を受けていた。コンサルティング部門のパートナーが1人以上いたオフィスはわずか16カ所、3人以上いたオフィスはわずか6カ所だった。このような断片的なリソースのため、専門的なサービス能力をあまり必要としない小規模なコンサルティング案件の増加に繋がっていると考えられた。

1985年、コンサルティング部門はローカル・オフィスから外れ、エリア組織の下に再編成された。コンサルティング部門を統合したことで、より多くのコンサルタントが専門性を発揮できるようになり、オフィスごとに実務を見る傾向が弱まった。コンサルティング・サービスは、ローカル・オフィスの担当パートナーの下ではなく、地域のコンサルティングパートナーの指揮の下、わずか12の地域エリアに再配置された。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

このように外部からのコンサルタントの採用、内部の組織再編により、プライス・ウォーターハウスはコンサルティング事業を拡大していきました。その結果、社内では長らく伝統的な会計監査事業のサポート的業務と見なされていたコンサルティングも、重要な独立した業務という地位を得ることができたようです。

経営コンサルティングでも劇的な変化が起きていた。プライス・ウォーターハウスの中では長い間、コンサルティングは副次的な業務であったが、1980年代には重要な業務となった。

コンサルティングのパートナーは1975年の33名から1980年には71名、1985年には108名に増加し、スタッフも同じ期間に337名から1,300名(全従業員の8.2%から18%)へとさらに増加した。さらに、コンサルティング業務の利益貢献率は6.8%から13.3%へと倍増した。同時に監査クライアントへの依存度も低下し、1975年の64%から1985年には26%になった。

コンサルタントの構成も変化した。1974年にはコンサルタントの2人に1人はまだ公認会計士であったのに対し、1988年にはコンサルタントに占める公認会計士の比率は4分の1まで低くなった。

1980年代は、コンサルティング部門にとって重要な転機となった。監査のバックアップという従来の役割を脱したのだ。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

プライス・ウォーターハウスは1980年代にコンサルティング事業を大きく拡大することに成功しました。ただ、他のビッグエイト会計事務所も違わず、コンサルティング拡大に余念は無かったことでしょう。

ビッグエイト会計事務所はコンサルティングを中心とする非監査事業の拡大とグローバル化への対応のために再び規模の経済を目指し始めました。そして衝撃は突然起こりました。1989年5月、ビッグエイトの一角であるアーンスト・アンド・ウィニーとアーサー・ヤングは、合併により世界最大の事務所アーンスト・アンド・ヤング(EY)を作ることを発表しました。

(参考資料)
『ACCOUNTING FOR SUCCESS』(DAVID GRAYSON ALLEN、KATHLEEN MCDERMOTT)
『ビッグ・エイト』(マーク・スティーブンス著 明日山俊秀・信達郎 訳)

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