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【コンサル物語】1920年代 経営コンサルティングのルーツはシカゴに

第一次世界大戦後、1920年代のアメリカは未曾有の好景気に湧きました。

第一次世界大戦後のアメリカは、共和党政権の下で経済的繁栄に向けて企業活動を発展させるさまざまな政策を展開した。企業の利益を第一に優先した政策の影響もあり、1920年代のアメリカは空前の好景気を享受することになった。

1929年中頃まで全体として景気の拡大は続き、1921年〜1929年にかけて国民所得は1.6倍になった。このような好景気を支えたのは自動車や家電製品といった新しい耐久消費財の普及であった。

国民の消費社会が頂点に達した背後では提供する企業側にも大きな変化が見られた。1920年代には企業統合の動きが新たな段階へと進み、一つの産業を二、三の大企業がコントロールするという寡占状態が販売業、流通業、金融業にまで拡がった。例えばゼネラル・エレクトリック社(電気製品)、ゼネラル・モータース社(自動車)、U.S.スティール社(鉄鋼)などである。

『アメリカ史』(和田光弘 編著)
『アメリカの歴史④ アメリカ社会と第一次世界大戦』(メアリー・ベス・ノートン他)

産業と企業の発展はシカゴの会計士の仕事にも大きな影響を与えました。企業は急成長し、小さな会社が合併によって大きくなることを選択する場合もありました。このような企業拡張の多くは債権や優先株によって資金調達され、その資金はニューヨーク、ボストン、シカゴを中心とした銀行から調達されていました。このとき銀行が特に中西部の企業に対して融資の判断をする場合、シカゴの会計士を積極的に採用したということがわかっています。

シカゴのコンサルティング会社が並外れて成功したのは、第二次世界大戦前のシカゴの投資銀行業界が比較的小規模であったことが大きく影響している。ニューヨークやボストンの金融機関はシカゴに多くの従業員を抱えていなかったため、シカゴのコンサルタントを雇い、彼らが投資しようとする中西部の企業の経営を分析させることを余儀なくされていた。

『The World's Newest Profession』

会計士の方もこの状況を税務サービスに続く新しい収入源の機会ととらえていました。アーサー・アンダーセン会計事務所は財務やビジネスの調査をするための独自の技術を開発し、銀行から投資候補企業の財務調査の仕事を引き受けて大きな仕事としていきました。

シカゴではアンダーセンだけではなく、ジェームズ・マッキンゼー(マッキンゼー・アンド・カンパニー創業者)やエドウィン・ブーズ(ブーズ・アレン・ハミルトン創業者)のようにシカゴでビジネスを始め、後に著名なコンサルタントになったものにとっても財務調査は1920年代の仕事の多くを占めていました。

当時の財務調査の内容はコンサルティングのルーツとも言える部分です。少し専門的な内容も含まれていますが参考までにその仕事内容を書いておきます。以下はアーサー・アンダーセン会計事務所の事例です。

財務・経営調査報告書は、最初のセクションで調査結果の要約と提言を行い、かなり詳細な内容だった。報告書は通常、数年分の財務諸表が含まれており、事業開始からの売上、利益、配当、剰余金の増減などの概要が記載されていることが多かった。これらの調査をもとに、会計や業務の改善に向けた提言を行い、黒字経営の見通しについてコメントした。

財務・会計以外にも、労使関係、原材料の入手状況、工場、製品、市場など、ビジネスのさまざまな局面に踏み込んだ財務調査報告書を作成した。

これらの報告書を作成するにあたり、会社の方針とその有効性、およびそれを実行するための経営陣のパフォーマンスを調査する方法をとった。

『THE FIRST SIXTY YEARS』

この財務調査の内容は会計事務所の本来の業務とされる会計監査の領域を大きく飛び出していることが分かりますが、設立間もないこの若い事務所は果敢に挑戦していきました。

監査に留まらず企業経営全体を把握し、経営者に対するアドバイザーやコンサルタントであるべきだというのが1920年代のアーサー・アンダーセンの考えでした。この考えは非常にリスクが伴うものでしたが、シカゴから経済の中心地であるニューヨーク、更にはアメリカ全土での知名度と地位を確立しようと努力しているこの若い事務所にとってコンサルティング業務の拡大は重要なことでした。

彼らの熱意ある仕事ぶりは銀行やビジネス界で事務所の評判を高める結果となり、1920年代の飛躍的な成長に繋がりました。アーサー・アンダーセン会計事務所の収入は1920年の322,000ドルから1929年には2,023,000ドルとなり630%近く成長したのです。

1920年代、アーサー・アンダーセンだけではなく、マッキンゼー・アンド・カンパニー、ブーズ・アレン・ハミルトンといったシカゴのコンサルタントがどこよりも先んじてコンサルティング業務を確立しました。

この結果1930年代にはウォール街の銀行から仕事が舞い込み中西部に留まらず東海岸の企業の調査も行うようになります。そして1940年代にはシカゴのコンサルティング会社がアメリカの市場を独占する結果に繋がっていきますが、それはまだ少し先の話しです。

(参考資料)
『The World's Newest Profession』(Christopher D. Mckenna)
『THE FIRST SIXTY YEARS』(ARTHUR ANDERSEN & Co.)


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