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【コンサル物語】(続)エンロン事件とコンサルティング会社

2002年7月にアメリカで成立したサーベンス・オクスリー法はコンサルティング業界に大きな影響を及ぼすものでした。監査の独立性を守るため利益相反に強い規制を求めるこの法律により、会計事務所が経営コンサルティングを行うことが実質的に禁止されました。エンロン社の会計スキャンダルに絡んで起訴され有罪となったアメリカの名門会計事務所アーサー・アンダーセンが会計監査とコンサルティングサービスをエンロンに提供していたこともこの法律が成立した背景にありました。

会計事務所がコンサルティングサービスを提供することで、どのような問題が起こっていたのでしょう。またその背景にはどのようなことが考えられるのでしょうか。アーサー・アンダーセンで起きていたことを紐解いていきたいと思います。

エンロンとアーサー・アンダーセンの場合は利益相反の問題がとても分かりやすい形で実践されていました。不正会計と判断された簿外債務についてはアンダーセンのコンサルティング部門がアドバイスを行い、会計部門が監査を行っていたからです。

2002年2月5日、エンロンの社内調査委員会は、同社が特別目的会社を利用した簿外取引で負債を約7億ドル(約980億円)隠蔽し、利益を10億ドル水増ししたと報告した。アンダーセンは問題の簿外取引のアドバイス料として、エンロンから1997~2001年の5年間に570万ドル(約8億円)を受け取っていたという。

『闘う公認会計士』

問題とされたのは簿外取引だけではなく、アンダーセンのコンサルティングに巨額のアドバイス料が支払われていたということでした。監査を凌ぐコンサルティングの巨額収入がアンダーセンの経営判断を誤らせてしまったということが指摘されています。

アンダーセンが2000年度にエンロンから受け取った報酬は5,200 万ドル(約67億円)、そのうち監査報酬は2,500万ドル(約32億円)、コンサルティング報酬が2,700万ドル(約35億円)であることも明らかにされた。エンロンはアンダーセンにとっては2番目に大きな顧客であり、また、コンサルティング報酬が監査報酬よりも多かったので、監査を甘くしたのではないかとの疑いも広まった。

『闘う公認会計士』

(アンダーセンの)優秀な中堅クラスの監査担当者は、2001年に、エンロンの疑わしい取引と不正経理を明白な証拠とともに上司に告発した。ところが年間1億ドルのコンサルティング・フィーを失うことを恐れた幹部は、この告発を無視したのである。

『帳簿の世界史』

結局のところ、会計事務所の本業である会計監査を脅かす存在であっても、会社を潤わせてくれるコンサルティングをないがしろにすることはできなかったということです。

他の監査法人にしてもコンサルティングで巨額の報酬を得てはいたが、ア ンダーセンはそれが顕著で、コンサルティングという尻尾が会社全体を振り回しているような状態だった。こうなったのは、単純に利益の問題である。1992年から2001年までの10年間で同社の利益は3倍以上になったが、その70%をコンサルティング部門が占めていたのだ。

『帳簿の世界史』

このように会計事務所が社内にコンサルティング部門を抱えることが利益相反の問題を生じさせたことが、エンロンとアンダーセンの関係からよく分かります。注意が必要なのは、歴史上問題となったのはアーサー・アンダーセンでしたが、当時のアメリカの大手会計事務所はどこもコンサルティングを拡大しており、同じような問題が起こる可能性があったということです。

大手の会計事務所では、あるフロアでは監査を行い、別のフロアでは規制を通りぬける方法や財務諸表を見栄えよく見せる方法をアドバイスしている。その結果がどうであれ、彼らは大金を手にする。両者を調整してどちらかを優先することは可能だが、営利団体であ る以上、それは難しいだろう。ちょうどロシアン・ルーレットのようなものだ。99パーセ ントは切り抜けられる。会計事務所がやっているのはそういうことだ。

『バランスシートで読みとく世界経済史』

さて今回はもう一つ、会計事務所がコンサルティング部門を抱えることで起きた問題について、アンダーセンにおける興味深い話をご紹介したいと思います。

利益相反の問題は監査とコンサルティングの衝突の問題であるのに対し、もう一つの問題というのはある種両者の融合の問題と捉えることができるかもしれません。それはお互いが共存していく中で監査部門がコンサルティング部門から知らぬ間に受けていた非常に内面的な問題でした。クライアント・サービスが価値のトップを占めるようになった、それが監査がコンサルティングから受けた内面的な問題という考えです。

アーサー・アンダーセンの中では、規則・規制を守るという監査の価値観が崩れ、クライアントを満足させるというコンサルティングの価値観に変化していったという分析があるようです。このような価値観の変化は投資家を守る(結果的にエンロンを守る)ということより、エンロンを満足させることを優先するという考えと行動に向かわせました。

最も大きな変移は、クライアントのサービスに対する新しい重要性を加えたアンダーセンの価値であった。クライアント・サービスはコンサルティングには重要なもので、価値のリストのトップを占めた。アンダーセン・コンサルティングの価値と文化に影響されて、クライアント・サービスが会計におい ても、より重要なものとなっていた。それ自体もアーサーアンダーセンの価値のトップを占めていた。ア ンダーセン・コンサルティングもアーサー アンダーセンもクライアント・サービスの価値を共有したが、 価値の意味の解釈は違っていた。伝統的に監査におけるクライアント・サービスは、規制や規則に準拠するためのものであった。しかし、コンサルタントにはクライアント・サービスは、クライアントのニーズにこたえクライアントを満足させるためのものであった。

『名門アーサー・アンダーセン消滅の軌跡』

エンロン事件が公になる10年前の1992年、アーサー・アンダーセンは変移しました。契約を勝ち取り売上を増大できるパートナーが優秀なパートナーであるという考えが一層強化されました。コンサルティング部門では以前から浸透していたこのルールを、会計監査部門にも要請するようになったわけです。そしてルールに従えないパートナー達は事務所を追放されました。

1992年のパートナー追放では、若くてより攻撃的タイプのパートナーが、もっとまじめで保守的なパートナーにとって代わったが、これはアンダーセンにとって新しい定義の時であった。これは社内に醸成されつつあった価値や行動態様の変移を公にしたものだった。パートナー達は常に会社のサービスを売り込む役割を演じたが、この追放で、アーサーアンダーセンのパートナー達にこの役割に優先性を与えたのだった。同時に、古いタイプの監査パートナーが不釣合いに多かったのを取り除き、アンダーセンの初期の名声と成功の基となった、ストレートに考え、ストレートに話すという率直な価値を切り崩すものとなった。

『名門アーサー・アンダーセン消滅の軌跡』

コンサルティングの勢いに押され、監査の価値観を見失い自らをコントロールできなくなった先には、会計事務所の崩壊という悲しい結末が待っていたと言えるでしょう。

(参考資料)
『帳簿の世界史』(ジェイコブ・ソール 村井章子訳)
『名門アーサー・アンダーセン消滅の軌跡』(S・E・スクワイヤ/C・J・スミス/L・マクドゥーガル/W・R・イーク 平野皓正訳)
『バランスシートで読みとく世界経済史』(ジェーン・グリーソン・ホワイト 川添節子訳)
『闘う公認会計士』(千代田邦夫)



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