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私のお金の稼ぎ方【後編】

月曜日の続き。

大学院に進学した私。
作業療法士の免許を手にした私はまず教授の紹介で車で1時間半、山奥の老人保健施設にアルバイトをすることに。

1日8時間、週2回、時給1800円だったと思う。
当時、時給の相場が分かっていなかった私。なんとなく時給2000円くらいかなと思っていたので即、受ける。

1日約15000円、月に115000円程度の収入。

なんとなく新卒で就職をした同期くらいは稼ぎたいなと思っていた私。

友人の紹介で別の老人保健施設のアルバイトの話が来る。
1日8時間、週2回、時給なんと3000円。
1日24000円、月になんと約200000円。

これで合計300000円超え。

週4日埋まり、300000円の収入を得た私。

これで安心して生活でき、同期よりも収入が多くなりたいという欲求も満たされ、研究に没頭できる…

と考えることはせずにさらに収入を上げるにはどうしたら良いか、そんな事を考えている自分がいた。

訪問リハビリのアルバイトの話が来た。
週4日埋まっているが、週2日は大学院の研究の為に特別養護老人ホームに行っていたので時間を捻出することが難しい。

40分利用者様のご自宅に訪問し1件4000円、いろいろ経験を積みたいというよりも少しでも収入を上げたかった

ということで、最初に始めていた老人保健施設のアルバイトを9:00~18:00出勤を7:00~16:00勤務に変えてもらうことに。

朝の起床介助の際にリハビリを行う、そんな理由をつけたと思う。

朝、4時半に起き、5時過ぎに出発し、7時からリハビリ開始。
16時に退勤し、18時から1件と19時から1件訪問リハビリのバイトを入れる。

1日2件で8000円、8日間で64000円、身体が疲れるというよりもお金を稼いでいる充実感で満たされていた。

「就職してからだとなかなか行けないからエクアドルに1週間旅行に行こうと思うんだけど年末一緒に行かない?」
老人保健施設でバイトをしていた大学院の仲間からの誘い。
エクアドルか、なかなか面白そうだなと一瞬思ったが
「そっかあ、僕はいいや。代わりにシフト入るよ」
「あー助かる、ありがとう」

友人の誘いを断り、正月3日間、時給3000円の施設でアルバイトした。
正月手当的なものもあり、1日10000円余分にもらえた。
この3日で100000円の売上。
エクアドルに行っていたら200000円くらいかかっていたので差し引き300000円の行動だな。

そんなことを考えていた。

そのお金で高い車を買う、時計を買う、ギャンブルをする、そんなことは全くしなかった。
車は女の子から1万で売ってもらった青いデミオに乗っていたし、時計はしていなかったし、パチンコもやらなかった。

お酒を飲みに行ったり、競馬をちょっと賭けたり、女の子と遊んだり、それなりの事はしていたが毎月200000円くらいは銀行に溜まっていった。

何が欲しい、ということではなく、何となく給料という数字を自分で追いかけていたのである。

なぜ数字を追いかけていたのだろう。
同期は病院でセラピストとしてスキルを磨いている。
私は大学院で研究している風であったが、大学生活をさらに2年エンジョイしたかっただけの選択。

「稼いでいる」
と言う数字だけでも勝とう、という承認欲。

稼いでも稼いでも劣等感を抱きながら通帳という翻訳機が教えてくれる数字を眺めるだけの日々。

「お金を貯めてどうするの?」
よく聞かれた。
「その当時に戻れたとしたら何をする?」
こんな質問をしてきた先輩もいた。

エクアドル行っていればな、そのくらいの後悔は多少あるが答えはこう。

「たぶん一緒のことをする」
なぜならばあの当時、動機はどうであれ、ひたすら収入を求め考えて行動していたから。
時給1800円でも3000円でもどうやったらこの施設の職員さんに気に入られるか、価値提供できるか、リハビリの技術は上がっていかなかったが、施設側の視点としての費用対効果は常に考えていた。

要らない、と言われるのが怖かったのかもしれない。

この3年後、この時の経験がフルに生き、介護コンサルの会社に就職するのである。

しかし、大学院のころからコンサルやろうなんて思っていなかった。

もう一度言う

劣等感、コンプレックスが産んだ行動だった。

その行動が今の私を創っている。

走れ、走りだせ。

点と点は未来で繋がる。


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