いつかの名前欄
アイアトン・ウィリアム・ステングスティンくんは、出席番号1番の座を譲ることはなかった。
四年間、不動のNo.1に君臨していた相内さんも、五年生のクラス替えで、2番に都落ちした。
相内さんの挫折はいざ知らず、僕は新しい担任が、優しいマーヤンコ佐知子先生になったのが嬉しかった。
マーヤンコ先生は、僕らが三年生の時に国際結婚をして“柳岡”から“マーヤンコ”に名字が変わったが、僕たちはその珍しい響きにも、すぐ慣れた。
僕の学校には、高学年になるまで環七を一人で渡ってはいけないという校則があった。
それを口実に、初恋の相手ブズドゥガンさんと、登下校と言う名のデートを楽しんでいた。
たまに、近所に住んでいる、君(クン)くんと三人で帰ることもあった。
君くんとは仲良しだったが、ブズドゥガンさんとの二人きりの世界を邪魔されるのが、嫌だった。
君くんのお母さんは明るい人で、家に遊びにいくたびに、杏か、梅か、おそらくバラ科であろう果実を乾燥させて粉糖を塗した母国のお菓子をくれた。
微かな甘みと強烈な酸味が、子供だった僕の口にはどうしても合わず、バレないように押入れの隅っこに吐き出した。
年末、大掃除で、その残骸をみつけた君くんのお母さんを想うと、胸が痛い。
大人の舌を獲得したいまなら、あのお菓子の美味しさが分かるかもしれないが、それも叶わない。
2037年、外国人禁踏法が可決されてしまったこの国には、もう日本人以外、誰も住んでいない。
不思議な名前の友達が周りにいて、みんなで手を繋いで遊んでいた子供の頃を、懐かしむ日もあるが、
いまはもう、鈴木と高橋ばかりだ。
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