Macの魅力喪失は何故?

Macintosh、最近ではMacBookとiMacで、Macintoshという名称の商品はなくなったけれど、以前は、強烈な魅力を発するパーソナル・コンピューティング・ガジェットだった。

かなりの昔、取引先との関係でWindows機を使っていた。もう、10年以上前の話。
そこからさらに遡り、初めてノート型のPCを会社予算で購入して使ったのは、EPSONのPC-286Lシリーズ機だっただろうか。当時はNECのPC9801シリーズという、国内シェアの90%を超えるという化け物がいた。それに対して、完全互換を謳った製品だったと思う。(後日、カーネルのBIOSコードの著作権侵害が判明した。デバッグ用のコードまでデッドコピーしたため、バレたというお粗末。)ラップ・トップ・コンピュータという謳い文句で、新幹線などでの移動中にも仕事ができる、というのは魅力ではあったのだけれども、膝に乗せているとどんな気分か、と言えば、下記のような感じ。

https://www.jiji.com/news/handmade/topic/d4_soc/edt907-keijizufu036.jpg
(https://www.jiji.com/jc/d4?p=edt907-keijizufu036&d=d4_soc

その時代から、とにかくノート機を使い続けた。フルスペックのノート機は重かったけれども、移動中にも仕事ができるのは魅力だったし、最初の「膝のせ」パソコン(石抱責パソコン?)に比べたら、十分に快適だった。

その日もノート型のWindows機で仕事をしようと、わずか30分程度の乗車ではあったけれど、確実に座れて、手を動かしても隣の席に余裕のあるグリーン席のチケットを購入し、座って起動した。さて、仕事するぞ、と。
ところが、電源投入から約1分ほどしたら、「Windowsの更新中」の画面になり、電源を切らないで下さい、ともメッセージが表示された。なぜだ!昨夜は、全くそんな気配がなかったのに!慌てて、携帯電話(スマホ登場前のことです)のテザリング機能をONにして(だったか、Wi-Fiのハブ機能のあるガジェットを持ち歩いていた頃だったか)ネットにつながるようにし、待った。

ただひたすら、待った。そうこうしているうちに、JRの快速列車の少ない停車駅が、一駅、二駅と過ぎていく。到着駅の一駅前を過ぎたあたりで、ようやっと操作できるようになった。すぐにシャットダウンする。マイクロソフトめ、私が支払ったグリーン代を支払え!という気分だった。

そもそも、こういう場面で「いますぐ更新しますか?今夜更新しますか?」と、せめて、その程度の質問を投げてくれないのか。そういう配慮をする、という発想がカケラもないマイクロソフトが、当時は大嫌いだった。(今は、ほとんど日常で使わないので「大」嫌いの「大」がとれた感じはあるけれど、やっぱり、好きにはなれない。)その日、即、まだ発売して数年しか経っていなかった MacBookAirを購入する決断をした。

買った。電源を入れた。操作できるようになるまでに、わずか7秒。もう、大感激した記憶がある。Windowsの時は、シャカシャカとハードディスクが動き続け、とにかく操作できるようになるまで2分とか3分。時には、JRの快速電車の一駅分、ずっとシャカシャカやっていて、全く操作できないことが多かったのに比べて、わずか7秒で操作できるというのは、もう、ずっと使い続ける決定的な理由に思えた。
それ以来、ずっとMacBookを使い続けるようになった。

当時のMacのいいところは、ちょっとした「誤操作」に対して、徹底したトラップや確認があった、ことだろうか。「ついうっかり」という、割とよくやりがちな誤操作などは、Macが気づいて、トラップするか確認してくれる。もう、Macに任せっきりでも安心していられた。使いながら、Windowsだったら、ここでこんなトラブルになっていただろうな、などと思うことは、多々あった。
何よりも、これがMacの強烈な魅力だったと思う。
加えて言えば、Windowsをターゲットとしたウイルスの数と、Macをターゲットとしたウイルスの数、とでは、桁が違うという安心感もあった。
何もかも、AppleのMacは輝いて見えた。

やがて、Macの生みの親とも言えるスティーブ・ジョブスさんが亡くなられた。

そして、今年の5月、悲劇が起きた。MacOSをBig Sur(Version 11.6)に更新しようとした時のこと。

私のMac VMwareの仮想LINUX機とか、かなりの容量のファイルがゴロゴロとしているため、その時のハードディスクの空き容量は10GByteを切っていただろうか。
OSの更新の案内が来たため、5月の連休で、時間の余裕のある時にアップデートしようとした。そうしたら、当然空き容量が少ないため、「容量不足でOSの更新ができません。」的なエラーになった。それはいい。当面使う予定のないファイルで、サイズの大きいものを外付けのハードディスクに退避させてから、再度OSの更新を始めた。

今度は、無事にOSの更新が始まった。と思いきや、最初の何ステップかしたところでエラーが出た。以下の記事の方とほぼ同様の症状だった。

https://sutema.net/big-sur-error/

エラーの原因は、どうやら、インストールの途中で判明した「空き容量不足」だった。ギリギリ15GByte(か17GByteか、その辺)程度の空き容量で始めたため、更新ファイルをダウンロードする時点ではエラーにならなかったけれども、古いOSの設定ファイルを上書きしながら?の更新作業の途中で、新しい設定をするための容量がなくなった、ことが、おそらくは原因で、「復旧」させようとしても、既に古いOSのファイルの一部は読み込めず、新しいOSを入れようにも「入れかけのままの残骸」が既に入っているため「まっさらな状態からのインストール」ができない。クリアしてしまうと、バックアップされていないハードディスクの情報が失われてしまう。
なんとか復旧させはしたけれども、新たにそのために購入した「外付けのハードディスク」にOSをインストールしてMacBookをブートし、残骸の中から「これがなくなったら仕事に困る」というファイルを一つずつ拾い上げて、移し替え、再度、MacBook単体でもブートするようにBig Surを入れ替えた。5月の連休が、これでまるまる二日、潰れた。

私の油断もあった。とにかく、これまでの(私の主観では、スティーブ・ジョブスさんが生きていた頃の)Mac OSの更新では、こんなことになる前に、「OS更新のための空き容量が不足しています」と、必ず指摘してくれた。だから、たまたまその2日前にTime Machineにバックアップを取ってはいたけれど、OS領域まで含めてのTime Machineバックアップは作っていなかったし、ある意味で、こんなトラブルは絶対に起きないはずだと、Macを信じ切っていたので、作業直前の「バックアップなどの儀式」をつい、行わなかった、ということがあったと思う。
このトラブル以来、OSのバックアップも、Time Machineバックアップも、かなりこまめに行うようになった。

スティーブ・ジョブスさんは、かなり「うるさい」人だったらしい。商品の魅力を最大にするために、相当に細かいツッコミを入れて、社員は随分と振り回されたらしい。ただ、そのお陰で、当時のMac製品はどれも「細かい配慮の行き届いたもの」だったのだろうと思う。

「ここをこうしなければ、こういう場合にユーザがこういうトラブルになる」という指摘は、ある意味で相当にセンスのある方でないとできない。既にApple社にはそうした人材がいなくなった、ということの証明かも知れない。「作業に必要となる最大空き容量の、事前の確認」などは、ある意味で基本かも知れない、その「基本」がAppleから失われた、ような気もした。

いずれ、Appleから、自分の仕事用の環境は、Ubuntuなど自分で細かい設定ができるところに引っ越しするかも知れない。ただ、「強烈な魅力」は失われたけれども、まだまだMacは魅力のある商品だし、様子見で使い続けるのかな、という気もする。

ここでふと思い出したのは、SONYの衰退である。かつてのSONYには、熱狂的なファンもいた。井深さんや、盛田さんの時代のSONYは、その社名だけでも、びくともしない名ブランドだったと思う。技術の細かいところには、かつてのAppleに共通するものがあった。

どの社長の時に、というのは記憶していないけれども、ある方がソニーの社長になられた時に、取締役会から技術系を一掃した(残っていた技術系出身の役員は、ゼロだったか、一人だけになった)とか、そういう記事を読んだ記憶がある。調べれば確定情報を書けるのだろうけれど、そこに時間はかけたくない。その時に読んだ記事では、前任の社長が「裏切られた」と言ったらしい。その後のソニーは「技術のソニー」というよりも「保険屋ソニー」という感じになっていった、と記憶している。これも、20世紀から21世紀に切り替わる頃のお話で、昔話なので細かい話は覚えていない。
今若い人たちに、メーカーとしての「ソニー」の印象を聞くと、ごく普通の、どちらかといえばマイナーな電気機器メーカーという印象を持っているケースが多く、「ソニー神話」を知っている若い人はほとんどいない。(これは、実際にアンケートをとれば確認できるんだろうけれど、私の主観で書いています。悪しからず。)

ところが、家電製品や、電気機器のガジェットなどについては、同じことが今、世界ではあらゆる「Made in Japan」に起きている気がする。南米ではCasioは電卓の代名詞らしいけれども、ToshibaもHitachiも、Sharpも、それぞれが個性的な輝きを放っていた「日本製品」の魅力が、最盛期の半分にも届かないほどに失われている気がする。

おそらくは、「バブル崩壊」後に、「商品力」以上に「経営基盤の安定」にシフトして来た結果、なのだろうと思う。
たぶん、多くの会社の取締役会などで、「新製品投入」で「大胆な提案」などは根こそぎ却下されてきたに違いない。「企業の寿命は30年」というフレーズを聞いたことがある。「一つの商品の商品力で、会社を維持できるスパンは30年」ということだと、私は理解している。この30年という数字は、ギリギリ「まだ、これでかろうじて食っていける」レベルに落ち込んでいる期間も含めての30年だろうから、一つの商品が「輝き」を持っている間に、次の「キラープロダクト」を生み出さないと、会社は存続できない、というフレーズだと思うけれども、バブル崩壊後、ほとんどの会社が「保守的」になり、新たなキラープロダクトが生まれなくなった、と推測する。
今では、かつての「日本のお株」が韓国や中国に奪われてすらいる。

加えて、1986年に派遣労働に関する法律が成立した後、最初のうちは「一時的な雇用」に限定されていたようなのが、一般的な事務職員など、「永続的に」仕事を任せるようなケースにまで広がった。おそらくは厚生年金保険などの「会社の負担」を減らしたいが一心で、「正規の事務職員」などは片っ端から「派遣」に置き換えるような風潮が広まった。
その結果、現在の日本は韓国よりも「平均年収」が低い、とされている。
そればかりではない、どんな仕事をやっていても「自分の会社」だと思えるか、思えないかで、愛着には相当な違いが出る、ようなk

これだけ「安い国日本」になったのだとしたら、韓国や中国に「製造業の拠点」が流出した流れを逆転できるんじゃないか、とも思うのだけれども、「人件費が安い」だけで「商品力」を生み出せるんだろうか?
やはり、ジョブスさんとか井深さんのように、技術に足場を置きながら「自分のところの商品」に強い拘りを持てる人、がいないと商品は育たない、ただ単に「安い」という価格だけで中国などと争うことになるのかも知れない。

最近の中国製品は、「玉石混淆」の状態で、昔の「安かろう悪かろう」と、「安い割には、こいつはすごいぞ」とが入り乱れている気がする。そうして、「いい製品」は、コンセプトとかセンスで、かつてのSONYや、Apple製品に感じたもののがある、ような気がする。勝ち目がないなぁ。
日本じゃ、できないの?っていうと、そこは「創業者」の思い入れの有無で、「昔からある会社を、無難な経営者が安全運転で維持している」だけだとしたら、ジリ貧じゃなかろうか。

そうとなると、新しい産業、ベンチャーが育たないか、ということにもなると思うんだが・・・

こうやって長文を書いていると、私などはもう「評論家」みたいだけれど、一応はIT系の自営業です。かなりのロートル(老頭児!)だけれど。

若い人たちが、IT系などで再び日本を盛り返す環境が欲しいな、なんて、言いたいのだけれど、最近「またか」のこのニュース。

ひろゆき氏 牧島かれんデジタル相に失望感「ITの世界で日本が浮上することはないなと確信」
https://news.yahoo.co.jp/articles/26049ef1179c43c6b654bc432b34106fd7fed144

保守的、というよりも、官僚組織が現在の日本の危機の原因を理解していない、気がする。

「最近の若者は海外に行こうとしない!」→「お金がないからですよ」 官僚のずれっぷり発言に絶句
https://news.yahoo.co.jp/articles/cd5811798647fd1a151ff4b1c00921489c7a0c58

日本の場合に、絶望的なのは、官僚機構も、政治家も、大企業の経営者も、「新しい流れ」を作らなければ後がない、ということを理解していないということが、まずあるような気がする。

加えて、これは個人の感想だけれども、彼ら全体が「既得権益集合体」のように振る舞って、「安い」労働力を単に「安いだけ」に扱っているだけ、に思える。できれば、適切な所得の分配を行うことで「既得権外」にいる派遣労働、中小零細企業、農林水産業、ベンチャー、などなどを活性化させて、そこから、日本を再生するための「新しい芽」が出る可能性を引き出して欲しい。だけど、そんな「将来のこと」など、既得権層は一切考えていない、ということだろうか。

最近流れてくるニュースは、こうした視点で見ると、ダメだこりゃ、と言えるようなものばかり、という気がする。

加えて、「偽装」ではないけれども、「品質検査」の検査書類を書き換えたりとか、もう「品質」とは対局にあるような話題も、かなり流れてきている。(いくつも、実例記事を出せますけど、面倒なのでやりません。)ダメしようとすると、枚挙にいとまのない日本になってしまった。

SONYや、Appleだけじゃないんだろうな。"Made in Japan"が、安かろう悪かろうの代名詞になるのに、10年もかからない気がする。

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