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Center of the Room(短編小説)


 新聞紙を敷き詰めた部屋は、油絵の独特の匂いで満たされている。鼻につく匂いは、部屋に入った瞬間にはキツく感じるものの、段々と麻痺してきて、最終的には気にならなくなる。

 絵を描くことを応援してくれている母でさえ、この匂いだけは嫌そうにしていた。だけど私にとってはただただ安心する匂いだった。この匂いに包まれている間は、目標に一歩一歩、近づけている気がする。


 朝の時間は試験のための勉強をすることに決めていた。開かれたカーテンの外から、朝の日射しが差し込んでいる。窓の脇にベッド、反対側に勉強机と本棚、中央に描きかけのキャンバス。


 勉強をしている間、背後にある絵が私を励ましてくれているように思えた。成績は既に十分だったが、油断はできない。目標とする大学に入学するためには、座学でも一定程度の成績を出す必要があった。

 失敗はできない。それも、絵とは直接関係しない座学で。だから私は、例えどんなことが起きようと、高熱を出そうが徹夜続きであろうが、余裕を持って受かることができるだけの学力を身につけようと考えていた。



 それに、来週からはいよいよ夏休みが始まる。

 夏休みになったら、お母さんがパートで貯めたお金で東京の画塾通わせてくれる約束だった。夏にそれほど時間が取れない分、しっかりと今のうちにやっておく必要がある。


 いつの間にか日が昇りきっていた。学校に行く時間だ。

 部屋の中央に座すキャンバスを眺める。良い絵が描けるようになってきた気がする。うちには浪人をするほどの蓄えはない。私立の美大に行く余裕も。だから今年は、私にとって最初で最後のチャンスなのだ。



 学校から帰る。その日の授業の復習をする。余った時間で共通テストの過去問を解く。夜ご飯。犬の散歩に行って、風を浴びる。

 そうしてようやく、待ちに待った絵を描く時間。



 筆はいつも、自由に動いてくれた。私が抱えているイメージが、右手を介してダイレクトにキャンバス上で顕現していく。この瞬間がなにものにも代えられない。気がつくと時計の針は頂点で重なっている。

 明日の朝も早い。もう寝る時間だった。絵の具で汚れた手を見て、小さく頷く。



 絵の具の色を移してしまわないように、パジャマも下着も全部お風呂場に置いてきていた。お母さんやお父さんを起こさないように静かに階段を下りる。

 シャワーを浴びていると、その日に描いた絵のイメージが瞼の裏で踊り始める。明日はどこを描き足していこうか。久々に少し勉強をするのも良いかもしれない。絵を描くためにも勉強は必要だ。

 世間一般のイメージとは違って、絵にも論理がある。私はそれを知ること、解き明かしていくことも大好きだった。






「それじゃ、講評を始めます」


 課題は石膏像のデッサンだった。中学生の頃から、何百枚と描いてきたデッサン。自信はあった。

 東京の学生が私よりもずっと長い期間、画塾に通って腕を磨いていたことも知っていた。浪人生がたくさんいて、そういう人たちの基礎技術レベルが私のような現役世代と比べてはるかに高いことも承知していた。


「嘘だ」


 そういう言葉が漏れていたことに、私は後になって気がついた。

 予想もしていなかったのだ。講評のために教室の前方に並べられた生徒たちのデッサン。どう贔屓目に見たって、私の絵は、1番か2番目に下手だった。

 形はしっかり捉えることができている。陰影や質感も多分、表現できている。なのに、存在感がない。他の生徒たちの絵の間に埋もれている。これが実際の受験だったとしたら、私の絵は審査員である教授の誰の目にも止まらない。



――場違いだ。



「やりたいことをやっていいの」


 お母さんの言葉が耳に蘇る。しかし、やりたいこととは何だろう。私は、私の絵がこれほど酷いものだと知りたくはなかった。高校の美術部では一番だったし、県でもトップの実力があるはずだった。

 帰りたい。一刻も早く、家に帰りたい。あの、中心に私の絵だけが存在する、地方紙によって包まれた部屋に帰りたい。



 その思いが去来するのとほぼ同時に、お母さんがスーパーで働いていたあの姿が瞼の裏に浮かんだ。

 私が中学になって、美術部に入ってからお母さんはパートを始めた。初めは部活が始まって、私のことを家で待つ必要がないからだと言っていた。だけど、私は知っている。

 私が眠ったと思ったお母さんとお父さんが話していたのを、聞いてしまったのだ。お母さんは、私が美大に行きたいと思ったときのためにパートを始めたのだ。そして、お母さんも昔、ピアノをやりたいと願っていたということもその時はじめて知った。


 お母さんの家が貧乏だった、という話は聞いたことがある。お父さんの家もそうだ。だから2人は、私にそういう思いをさせないと決めていた、という話も知っていた。





 東京にいる間は、お父さんのお兄さんの家でお世話になっていた。叔父さんの家。どうやって帰ってきたのかも覚えていなかった。


 帰るか、残るか。


 帰ったとしても、お母さんは何も言わないだろう。お父さんも、きっと笑って受け入れてくれるに違いない。だけどそれで良いのだろうか。


「お父さんの写真だ」


 そういえば、この家はお父さんが大学生の頃に住んでいたことがあると、叔父さんが言っていた。お父さんと叔父さんは、ひと回りも年齢が違う。

 お父さんが大学に進学したとき、お兄さんはもう結婚をして家を手にしていた。そしてお父さんは、その家に最初の2年だけ、一人暮らしをするためのお金を貯めるまでの間、住んでいたらしい。


 写真には野球をしているお父さんが写っていた。バッターボックスに立ち、バットを勢いよく振っている。これが、お父さんのやりたかったことなのだろうか。



 お母さんはピアノをやりたかった。お父さんも野球をやりたかったのかもしれない。だけど2人はお金の問題で、挑戦することさえできなかった。やりたいことをやるための、スタートラインに立つことさえできなかったのだ。

 そう思えば、私の絵が画塾で1番下手だということくらい、なんだというのだろう。



 課題の石膏像を思い出す。スケッチブックを取り出して、私は部屋の隅っこに座り込むと、膝の上で記憶を頼りにデッサンを始めた。


 私の絵と画塾の人たちの絵。何が違うかをまず突き止める必要があると思った。それに、同じ教室にいた人たちの何人かは仲の良いグループを作っていて、そこで私の知らない絵画史や、技法の話をしていた。

 実力だけじゃない。知識も足りないのだ。



 お母さんは、こうなることを予想していたのかもしれない。画塾のお金、往復の交通費、画塾に行っている間の昼食代の他に、お小遣いとして結構な額を渡してくれていた。

 専門書は高い。一度、高校の美術部に入部した時に興味を持ったけれど、高すぎて私のお小遣いでは手が出なかったから、部室にある本を何度も繰り返し読んでいた。だけど、今なら画材のお金を除いても、十分な余裕があった。


 朝から夕方までは絵を描く。描き終わったら本屋に行って、知識を補う。そうやってみてはじめて、私は私の絵を諦めれば良いだろうと思った。



 気がつくと、朝日が登り始める。繰り返し描いたモチーフのデッサンをやめて、今も私の部屋の中心に置かれているであろう、東京に出る前に最後に描いた絵を思い浮かべる。新聞紙だらけの部屋をスケッチブックに描いていく。

 中心に置かれた絵だけは、今はまだキャンバスの輪郭を描くだけにとどめようと思った。



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