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『大奥』よしながふみ 14~17巻「きっとどの将軍も、ひとりひとり精一杯生きて、悲しみ苦しみとともに、喜びも味わったはず」

江戸時代を男女逆転(+α)で描く『大奥』、徳川の歴代将軍の中でもとりわけ好きなのが13代家定と14代家茂だ(どちらも女性だよ)。作中、天璋院(男性ね)が「どちらも王者の器」と述懐するような、優れた将軍として造型されている。

家定は苦難に折れず独学を重ねる勤勉さと家臣の人品骨柄を見抜く才があり、さらに優秀な部下に権限を与えて責任をとる胆力をもっていた。
家茂に至っては、素直で誠実な性分があらゆる身分・立場の者に愛され、弱冠十代ながら驚くほど聡明。危急の折の判断・行動がすばらしく、もはや欠点すら見あたらないスーパー将軍だ。

私が彼女たちを好きなのは、みずからが苦境にあっても、目の前の人間から遠くまでよく見渡し、人の苦しみに寄り添うあたたかい心をもった将軍だから。
「人々のため」それが政治の要(かなめ)だと知っているから、二人は身分や性別にとらわれず家臣を登用し、開国して新しい社会システムを作ろうとした。

史実のとおり、家定も家茂も若くして命を落とす。
そのころ、作中の世の中は男女逆転の原因になった感染症「赤面疱瘡」が克服されて、「男女逆転」が再逆転。わずかな例外を除いて、政治は男の世界に戻っている。

井伊直弼、水戸斉昭、岩倉具視に西郷隆盛‥‥いずれも油断ならない男たちだ。
徳川のトップに立つ慶喜に至っては、己の体面にこだわる鼻持ちならない男で、旧態依然の身分や政治体制を維持しようとする。

優秀なふたりの女将軍亡きあと、ミソジニックな男の武士や公家、極めつけに狭量で人望のない男将軍が表舞台を跋扈し、大河ドラマ等でもおなじみの
幕末のゴタゴタが繰り広げられる展開は、デビュー以来、ジェンダーの問題を描き続けてきたこの作者らしい皮肉な作劇だ。

はたして、明治維新の立役者は、青二才の最後の将軍(男)か?
薩摩の男尊女卑を内面化した怜悧な西郷(男)か?
家定にも家茂にも先立たれた天璋院(男)?
家茂に惚れ込んでいた勝(男)?
それが、全部違うんだよーーーー!(台パン)

三代家光の時代に始まった、この長い男女逆転徳川絵巻にふさわしい
熱い涙がこみあげるクライマックスについてはあらためて。

家定も家茂も、あたたかい心をもつ優れた将軍だが、その人生は苦労の連続だった。家定は娘時代から実父に犯され続け、毒まで盛られてトラウマと心身虚弱に苦しみ、家茂は国難を背負う過労・心労で生理も止まり、わずか19歳で急逝する。

けれど、それらは不幸な人生だったのか?
家定が、徳川の機密記録をもとに天璋院に語るシーンがある。

「三代将軍家光公は最愛の側室お万の方とついに子をなすことができずに他の三人の側室たちと子を生した
四代家綱公は終生御台所との仲は冷えきっていた
五代綱吉公はただ一人のお世継ぎを亡くした寂しさを
あまたの側室たちを持つことで埋めようとしてそれも果たせず
六代家宣公、七代家継公は将軍の座に就いてのちすぐに亡くなられ、
八代吉宗公はお世継ぎ家重公のお体のことで最後まで悩まれた
そしてその九代家重公は偉大な母の影にいつも怯え続けながら一生を終え
十代家治公は仲睦まじかった御台所との間に子はできず、晩年に突如世継ぎの娘を失って逆縁の悲しみを味わい、みずからも毒殺の疑いのある急死を遂げた
そのように考えれば、数ある女将軍の中で私の生涯は案外幸せなのかもしれぬ‥‥(略)
いや、そのように考えるのは傲慢であるな
きっとどの将軍も、ひとりひとり精一杯生きて、悲しみ苦しみとともに、
喜びも味わったはず。私のように」

長い物語が終わりに近づいていることを示すような、歴代女将軍たちの総括。
”悲しみ苦しみとともに喜びも味わってきた”
読者の私たちは、その言葉に間違いがないことを知っている。

それは、今を一生懸命生きる女性たちへのエール、すでに命を終えたすべての女性たちへのリスペクトであり、作者の人生観なのではないかと私は思う。


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