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COTEN RADIO 視聴007 奇跡のジャイアントキリング!桶狭間の戦いで東海一の弓取り・今川義元を撃破!【COTEN RADIO #191】

信長の若かりし頃の解説には別に真新しいことはないかな。本能寺の変は本能寺の変ではなく「本能寺の普通」だという論には賛成しかねるなあ。今回の動画に全く関係ないけれど、本能寺の変のミステリーは大きく二つ。

ひとつは1万を超える軍勢がどうやって京都のど真ん中に入ったのかということ。記録では前日は雨で、山道を大軍勢が夜中にゾロゾロ歩くというのは、『歴史探偵』やその他のテレビ番組で何度か検証されてきたが、結論としてはギリギリで可能みたいな感じだったはず。ということは、実際はほとんど無理だったはず。なんだかんだで八切止夫の言う通りに、明智軍は信長が呼び寄せた説が有力。明智憲三郎の唱える主上への叛逆説はこの点で弱い。一晩経って御所が軍勢に取り囲まれているという演出をしたければ、光秀ではなく信忠にやらせればよいのだから。

もうひとつは、本能寺の変関係の記録の多くが紛失、破損、あるいはリライトされているということ。他にもそんな例は見当たらないことはないが、本能寺の変に関する記録には不自然な点があまりにも多いことは否めない事実。特に京都や奈良の寺社の日記が黒塗りにされていたり、書き換えられていたり、あるいはその前後だけが紛失していたりというのは、権力者による歴史の上書きあるいは抹消か、もしくは書き手側の忖度、あるいはその両方だとしか考えられない。

閑話休題。桶狭間の戦いについても特に真新しい説は開陳されず。CJはこのジャイアントキリングの真相は、小説家の鯨統一郎が『 邪馬台国はどこですか? 』で提唱したように玉砕覚悟の正面攻撃だったと考える。敦盛を舞って「ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」と謳ったのであれば、死を覚悟したと解釈するのが普通だろう。あと、敦盛は幸若舞であって能ではないはず。頼むぜコテンラジオよ・・・

信長の後継者の秀吉や家康も持ち上げていたが、秀吉はともかく家康の成功のかなり多くは運が良かったからでは?豊臣政権の崩壊の要因としては、秀吉が自分で秀次を殺してしまったという失態や、超有能な秀長が若くして死んでしまったことが大きい。つまりは家康はラッキーだったということ。

大学の新年度開講前という超繁忙期なので、次の更新はいつになるやら・・・

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