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【コラム】オシャレってなんでするんだっけ、と相談された

「オシャレする気が失せた。オシャレってなんでするのだっけ・・」

ある日、友人がぼそっと電話口で話した。あんなにオシャレで、色々な服を着ていた元モデルの友人が、何のためにオシャレをするかわからなくなったという。

何のためにオシャレってするの?

話は反れるが、ある日30代半ばの友人が、このように連絡してきてくれた。

「自分の家じゃないからって、食器も家具もいい加減な物ばかり使ってて、私、インテリアを完全にネグレクトしてました。この間お宅に伺わさせていただき、あなたの大事に使われている食器や、収納を常に改善させる作業、北欧の椅子を集めたり、絵を飾ったりなどインテリアって本当に大事なんだなって思いました。」

仮住まいだろうが、持ち家だろうが、与えられた空間を心地よくすることは、強いて言えば自分を大事にすることにつながると思っている。どんな空間も自分が心地よい、と思う場所に自分を置いていなければ、自分を尊重していないと思うのだ。

それは別に人にわざわざ見てもらう必要はない。却って人が見えない場所に時間をかけたり、美しくすることが、自分にとって一番大事だったりするのである。いわゆるダンディズムというものだ。

では定義した問題に戻ろう、何故オシャレをするか、ということである。これは色々な意見があると思うが、あくまでも私の意見である。

先ほどのインテリアの話ではないが、オシャレというものは、人のためにするものではなく、自分のためにするものだと思っている。自分が似合うものや好きな物を着けていると、自分自身が魅力的にみえるようになるor自分自身のこだわりがビジュアルで表現できる=自分自身が心地よくなる=つまり自分を大事にしていることにつながると思う。

モデルを長年続けていた友人は、与えられた服やアクセサリーで、自分を魅力的に”見せる”ことには長けていたが、自分自身が好きなものや自分自身が心地よくなることが見えなくなっていたのである。そして人に見せるということが目的になってしまっていたのである。

この”人に見せることが目的になってしまう”というのは、現代の1つの大きなトラップではないだろうか。

そのモデルの友人は、Tシャツで現れた

その電話を受けてから1か月後、その友人と代官山で待ち合わせした。その日の彼女の出で立ちは、白いTシャツに白いパンツだった。モデル出身の彼女が着るとそれだけでサマになるが、本人にとっては「テキトーな」服だそうだ。

その彼女に、彼女が好きそうなアイテムをプレゼントした。「つけてみてね、私がどう思うかじゃなくて、あなた、きっとこういうスタイル好きだと思うよ。」

彼女は包みを開けてそのアクセサリーを見ると、「わぁ!」と言った。そしてそれを着けた後、鏡を見た彼女は「これ、私に似合うわぁ~。」そして「なんでもない服に、アクセサリーを着けるだけで気分が高揚するのね。そうか・・似合うって、自分が嬉しい気持ちになるのね。オシャレって自分の為なのね。」と、正に正論を自分で話していた。

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