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“比べること”はずっと付きまとう

昨年の4月に婚活を始め、結婚相談所に登録し、今年の2月頃に入籍予定です。ここ1か月は特に怒涛の日々でした。
両家顔合わせや正月挨拶…←これだけ?と感じるけど、これだけでも十分大変でした。
入籍日を決めるにも、自分の好きな日にしていいのか、相手の希望を聞いた方がいいのか。当たり前のことですが、何を決めるにも一人で決められるわけではないので、彼や彼の両親、自分の両親、それぞれの兄弟とのバランスなど、全体のを見回して動かなければいけないことを分かって上で動いていました。その確認作業や気遣いで疲れる一方で、あんなにゼクシィのコラムやネット情報を確認していたにも関わらず、自分の状況に照らし合わせえると100%一緒にものなんてあるはずもなく。つまりは、ネットでいくら検索ワードを変更して探しても、正解に出逢えることもなく、正直、ぶっつけ本番のことも多かったです。

特に、今回の題名にした比べるということはずっと付きまとっていたし、これからもずっと付きまとうのだろうなと実感しました。

婚約指輪は姉や義理の姉はいくらぐらいのものをもらったのだろうか。
ダイヤはついているだろうか。
デザインは似すぎていないだろうか(似すぎていると双方あまりいい気はしないかと)。
結婚式はどこでしたのだろうか。
結婚式の前乗りのホテルを両親向けにどれぐらいのランクのホテルで準備したのだろうか。そして、その基準にどれぐらい合わせるべきだろうか。
新婚旅行はどこに行ったのだろうか(義理の姉がヨーロッパで、実の姉がグアム、そして私たちは国内の予定)。

各イベントごとに、周りを参考にしようとする現代人の癖で(?昔からかな)ネットをあさったり、近しい結婚している人の前例を参考にすると、いいところばかりが見えてきます。

婚約指輪はやっぱりほしいし。
結婚式もしたいし。
新婚旅行は海外に行きたいし。
マイホームは欲しいし。
新品の家電は欲しいし。

いや、全部、欲しいんですよ。
手に入るなら欲しいに決まっているじゃないですか。

でも、費用(これが大きい)や、仕事の都合などを考えると、理想通りにならないことも多いんです。

あれもほしい、これもほしい。

洋服屋さんに行った時と同じ感じかもしれません。
欲しいものはいっぱいあるけど、自分の家のクローゼットを思い出して、今ある服のタイプと被らないか、本当に着る機会が多いかと考えると、本当に欲しいものはシンプルで飽きのこないものに落ち着く。
それは、周りからどう見られるか(服は総じて周りからどう見られるかの物です。着易さはあるけど、デザインを含め、大体は周りからどう見られるかと言う重点をもとに購入するはずです。もしくは自分がテンションがあがるか)を考えつつ、自宅に帰った自分が寂しくなった財布やあふれかえるクローゼットを前に悶えるのと同じ。

結婚において、いや、人生において、誰かと比べることは悪手でしかないということ。
人間は人と比べる性質を持つが、基準を他人に委ねすぎると、最終的に公開するのは自分です。
そして、勝手に比べていたのは自分なのだから、誰かのせいにすることもできない。
全ては”自分”で選ぶしかない。

時間と人の波にもまれながら、やっとの思いで息継ぎできたタイミングを見逃さず、自分を振り返るようにしよう。

結婚しても、自分は自分。

結局は、自分の人生、自分で責任を持つしかないのだ。

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