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毛沢東時代の新疆旅行

新採用時代の中国旅行。

入国は香港経由、深圳。ダイレクトに入れなかった時代です。

当時、流行りだした「地球の歩き方」一冊をバックパックに。いざ!

西安を通り、ウルムチ、トルファン、というシルクロードコース。たっぷり放射能浴びたかもしれませんw

今だったら不法拘束されるかもしれない危険地帯ですが、当時はのんびりした旅行ができたのです。ホント。

写真はウルムチからバスでトルファンへの途中。トイレ休憩です。後ろに写った白い建物がトイレです。

個室ではなく、穴があって、並んでしゃがんでします。

わぁああああああ。と思うでしょうが、皆がそうしてるので、まぁ、ねw。

ティッシュでお尻を拭くのは私ぐらいのものでした。乾燥してるから。でも、習慣だし、なんか拭かないのはちょっと。異邦人ですから。

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ウルムチの観光案内の女性は、背が高く美人でした。ところが手鼻を噛んだのを見て、ドン引きしました。でも噛んだ後も・・・美人でした。

あっ、写真ですが、子供はそのままです。35年後に全く違う人になっているでしょうから。そしてこの地域の子どもの表情が大好きだからです。

さて。まず硬座で蘭州まで行きました。

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蘭州では炳霊寺石窟に立ち寄りました。

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少年から玉子を買いました。味は・・覚えていません。

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黄河クルーズも楽しみました。

蘭州まで来ると都会とは違います。私の好きな屋台もあります。

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超、激辛のところてんでした。

ここから軟臥車(S寝台車)でいざウルムチへ!

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長旅です。休憩は外へ出て歩かないと。

そして南山山脈がそびえるウルムチへ到着しました。

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なんともいえない人懐っこい大人や子供に囲まれました。

そしてバスに乗って憧れのトルファンへ着いたのです。

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私はシシカバブが大好きで、ビール瓶を片手に持って、屋台をハシゴしました。ホテルのシシカバブよりはるかに美味しいんです。胃腸に自信がない方は、やめたほうがいいかな。それから解体途中の肉がぶら下がっているので、そういうのが平気な私は、むしゃむしゃ食べていました。

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夜はもちろん舞姫たちのイベントがあります。

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ホテルは安モーテルのような外観で、共同シャワー(しかも昼は水)夜遅くシャワーを浴びていると、舞姫たちが仕事を終えて、一緒に浴びます。いい体に思わず見入ってしまいました。向こうも異国の私の裸をを眺めていましたが。異邦人は気にしません。

この旅行にはオチがあります。もっとゆっくりしたかったのに、当局に呼び出され(怖)次の日に上海往きの便に乗れと命令されました。なぜか?

お偉いさんが急遽上海へ行くので、今月の便は明日しかないということでした。わざわざ探してくれたのはありがたいけれど、ワインで酔い潰れる夢のような日々は終えました。

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さて。もう一つの思い出。上海で最後の夕飯をホテルの食堂で、ゆっくり、だらだらと食べていました。すると、業務員が紙を持ってきました。

厨師既走(ちゅうし きそう)?? 笑

中国旅行の利点は、日本人は漢字が書けるし、漢詩も学んでいるという点です。ラストオーダーでした。

若者よ!若いうちにバックパックで旅に出るのじゃ!ははは

ただし。危険な国には行かないこと。残念ながら、お花畑の日本から外に出るときは、十分治安をチェックすることが必要です。



追記;
この記事を書いてから2年ほど経ちました。当時も中国は親日の国ではありませんでしたが、さらに悪化しました。

邦人には身の危険があります。私の旅行を思うと、現地の人々の笑顔に隠れて、大きな動きがあったのは感じませんでした。

私はいい時代に、いい場所に旅行ができたと、いまさらに感じています。もう、この国への安全な旅行はできないでしょうから。



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