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勇者になれない僕は、武器屋の親父を目指した。

2019年3月。僕はデザイナーをやめた。

直接のきっかけは職場での肩書きがデザイナーからディレクターに変わったことだけど、ずっと前から向いてないなと思っていた。向いてないと自覚しながら、それでもデザインが好きで好きでしがみついてきた。その結果、何十年努力し続けようと森本千絵や佐藤可士和にはなれないと諦めていた。

このまま業界の片隅でひっそりと生きていくことはできる。でも大好きなデザインという世界で、諦めを抱えたまま一生を終えるなんて絶対に嫌だ。僕は溺れるように“努力”を続けた。だけど僕にできることは僕より上手な人が山ほどいて、欠点を埋めようとしても人並みにも届かない。結果は何も出なかった。

そんな時、Twitterで古い記事がRTされてきた。任天堂の岩田元社長のインタビューだ。

岩田氏:
 好きじゃないけど得意なこともありますし,好きだけど,実はあんまり得意じゃないよっていうことも結構あって。だから,仕事というのは「得意なこと」をやった方がいいんです。好きだけど得意じゃないことに溺れると,仕事っておかしくなることが多いんです。

デザインは好きだけど、向いてない。まさに自分のことだ。そして得意不得意はどうやって見分ければ?という質問に対して、岩田さんはこう答えた。

自分の労力の割に周りの人がすごくありがたがってくれたり,喜んでくれたりすることってあるじゃないですか。要するにね,「それがその人の得意な仕事なんだ」って話で。

過去の記憶を捻り出してみる。誰かの役に立てた、喜んでもらえたことはなんだっただろうか。思い出したのは学生時代。友人たちにイラレの使い方を教えてきたことだった。

変な自慢になるが、イラレの習得で苦労した覚えがない。カチカチいじって1ヶ月も経つ頃には基本的なことはできるようになっていた。そして授業で、サークルで、友人たちに使い方を教える機会が何度もあった。自分にとっては当たり前すぎて意識していなかったが、イラレの知識や教え方を褒められた覚えがある。そうか。これが僕の“得意”なんだ。

そこを自覚してからは速かった。自分の得意と不得意を、デザインという業界にいて自分がやりたいこと、必要だと思うこと。モヤモヤと抱えていた全部がパズルのようにはまった。

デザイナーというのは僕にとって勇者だ。攻撃できて、守りも硬く、魔法も使えて、勇気があり、人徳もある。残念ながら僕には足りないものが多すぎて、それを埋める不断の努力を続ける覚悟もない。

そしてこうも思う。このデザインという世界には、勇者が多すぎる。みんながみんな勇者になりたがっている。ちょっと非効率じゃないだろうか。それ以外の役割を担う人がいてもいいのではないか。だって勇者だけでは世界を救えない。旅立たせる王様がいて、戦いを支える仲間がいて、宿屋があって教会があって、ヒントをくれる賢者がいる。そうして初めて魔王と戦える。その中で僕が担える、僕の“得意”が一番輝く配役はどこだろうか。

僕が選んだのは“武器屋の親父”だった。モンスター退治で忙しい勇者たちの代わりに、イラレという武器を研ぎ、鍛える役割だ。

デザイナーは基本的に多忙な生き物だ。イラレのスキルは持っていた方が良いが、必要以上に学ばなくてもなんとかなる部分だ。だけどその学習の負担を僕が代わりに担うことができれば、今よりいろんなものが良くなるのではないだろうか。僕が勇者として剣を取るより、100人の勇者の攻撃力を上げることの方がずっと有意義で、なによりもワクワクした。


2019年3月。僕はデザイナーをやめた。
そしてTwitterの片隅で、フォロワー300人程度のありふれたアカウントの名前が書き換えられた。

イラレ職人 コロと。


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