見出し画像

アメリカ合衆国オハイオ州からの緊急帰国

アメリカ合衆国オハイオ州に滞在中、新型コロナウイルスの影響で帰国したなおさんの体験記です。スキ、シェアをどうぞよろしくお願いします。


2020年も半分が過ぎ、下半期に突入しました。日本では新型コロナウイルス第一波を乗り越えたかと思えたのも束の間、特に都市圏では、第二波の襲来が迫っています。世界中で新型コロナウイルスが話題となり、感染が急増していたころ、私はアメリカ合衆国オハイオ州にいました。後に、約1年間だった留学の滞在期間を切り上げ、日本に緊急帰国をする運びとなります。これは、コロナ禍での私の留学体験記です。長いですが、お手隙の際にご覧いただければ幸いです。



2019年8月14日、私は中部国際空港からアメリカ合衆国オハイオ州へと飛び立ちました。念願の留学に胸を高鳴らせるとともに、どのような生活を送ることになるのか、緊張と不安も感じていました。私はアメリカ人4人とシェアハウスをすることになり、「日本」という仲間意識や「常識」から離れた生活も送ることができると嬉しく感じたのを覚えています。

菜緒ちゃん記事図1

8/19 新入生オリエンテーションに向かう様子


学生生活は、端から全て順調に、とはいきませんが、何とか過ごすことができていました。というのも初めは、クラスメイトが話す中国やサウジアラビア訛りの英語が聞き取れない(もちろん私の話す英語も日本語訛りですが)、ルームメイトと生活リズムが合わない、食事や入浴といった文化の違いが意外にも負担になる、と挙げたらきりがありませんが、それなりのストレスは感じていました。時が経つにつれ、異国生活にも慣れ、英語母語話者(ネイティブ)とも非英語母語話者(ノンネイティブ)とも仲良くなることができ、たくさんの素敵な友人、仲間ができました。週末には互いの家でパーティを催したり、チェコやブルガリア出身の友人とロードトリップをしたりと楽しんでいました。新型コロナウイルスへの恐れを身近に感じたのは、遅くも3月に入ってからのことでした。

菜緒ちゃん記事図2

菜緒ちゃん記事図3

9/22 イリノイ州シカゴへロードトリップ 朝焼けに包まれる高速道路


3月上旬に1週間ほどの春期休暇があったのです。私は友人とカリフォルニアを訪ねる計画を立てていました。実はその前に、アメリカではニューヨーク州とカリフォルニア州で感染が確認されていましたが、私のいた地域は内陸部なうえ田舎であり、余所事のように感じていました。また、旅行は数ヶ月前から企画しており、二度目の機会は無いことから(何をいっても言い訳がましいですが)、予定を決行してしまいました。今考えると恐ろしい行動で、こういうことによって感染が広まってしまうのだと猛省しています。当時は友人に「カリフォルニアに行ってくる」と言っても、「私も行くよ!」「最高だね!楽しんできて!」と軽く返されていました。それでも少しは対策しようと薬局に走り、消毒液のみ見つけることができたので、度々除菌するようにしていました。(日本から持っていったマスクはありましたが、差別を恐れてできませんでした。実際、マスクをしている人は一人もいませんでした。)旅行後、幸いにも私たちはコロナウイルスに感染しませんでしたが、あの時感染していたらと思うと身の毛がよだつ思いです。



2020年3月23日、私は緊急帰国を余儀なくされます。なんとカリフォルニア旅行からたった2週間で事態は急速に変わったのです。


uf mail 改

3/10 留学先の大学から届いた知らせ


皆が知りながらもどこかで他人事だと思っていた新型コロナウイルス、遂にオハイオ州でも感染が確認され、危機感が漂い始めました。驚かされたのは、アメリカの迅速な対応です。市内の学校・大学は直ぐにオンライン授業へと切り替わりました。「感染を徹底的に防ぐ」という強い意志が感じられ、数日後には学生は退寮を推奨されました。留学生は特に帰国を命じられるわけではなく、あくまで「推奨」でした。オンライン授業ならばアメリカにいる意味は無いのではないか、唯一の交通手段であるスーパーへのシャトルバスが無くなったらどう生きればよいのか、友人たちが帰省した後はどうやって出かけたらよいのか、英語を話す機会は、待っていれば元の状況に戻るのか、帰国できる保証はあるのか、と答えの出ない疑問が止めどなく溢れてどうしようもなく不安でした。報道で、日本では消毒液やマスクだけでなく、ティッシュペーパー、トイレットペーパーの買い占めが起きていると聞いていましたが、まだ感染が広まっていないオハイオ州内でも、最寄りのスーパーでは卵や牛乳、カップラーメンなどの非常食が度々在庫切れになるなど、日本と同じ状況に陥る予兆も伺えました。日本人留学生は各大学の対応を待っており、私も県からの知らせを待っていました。結果、一刻を争う状況で、いくら待っても連絡は来ませんでした。現地の教授に言われました。「良くも悪くも日本は縦社会で、今回はその文化、国民性が顕著に表れている。誰も何もわからない、だから上の決断を待っても、上の人も判断できない。君たちは自分で決断すべきだ。」と。


菜緒ちゃん記事図5

菜緒ちゃん記事図6

3/14 一週間ぶりに行ったスーパーの様子


緊急帰国を決断するまで、日本人留学生と何度も話し合いを重ねました。というより、私が皆を説得し続けました。帰国する場合、一人で帰るよりも、誰かと同じ方が心強いと考えたからです。航空機の減便が進んでいる状況で、空港で当日キャンセルになったら、何かあって途中で引き返すことになったら、と様々な場合を考えました。さらに、当時の日本ではひどく感染が拡大しており、また帰国途中で感染するリスクが非常に高いこともあり、迷いもありました。日々目まぐるしく変わる状況の中で、容易には判断できない葛藤により募るストレスに押し潰されそうでした。そのうちに、アメリカ・カナダ間の国境が封鎖され、アメリカ国民渡航禁止令が出たり、エクアドルが国境を封鎖したため留学生が帰国できなくなったと聞いたりして、「帰国」という選択肢が明確になっていました。



最終的に、友人たちは航空便変更手続きやキャンセルの関係で少し後になり、私は一足早く何とか日本に帰国することができました。


菜緒ちゃん記事図7

3/22 友人が催してくれた最小規模での送別会

菜緒ちゃん記事図8

3/23 別れの日


ここで空港や機内の状況についても記録しておきます。アメリカの空港、機内では、スタッフは全員マスクとビニール手袋を着用していました。また、搭乗する際は一度に10人しか並ばせない、必ず前後1m の間隔ととるなど、ソーシャルディスタンス確保の徹底が行われていました。帰国前日、日本は海外から帰国する渡航者の二週間隔離を検討していると報道されており、当日の機内でも「日本政府の決断によっては、約13時間のフライト中に引き返したり、別の国に留まったりする可能性がある。また入国できても、直ぐに隔離されるかもしれない事を了承してほしい。」と機長によるアナウンスがありました。とにかく無事に帰国できることを祈るばかりでした。さらに私が行った感染対策は、両隣が空いている席を予約する、機内ではマスクを着用し、念入りに手を洗い、消毒液の使用、手袋着用の徹底です。できる限りのことはするように心がけていました。今だから言えることですが、真後ろに座る方が額に冷却シートを貼っており、熱は下がっていたとしても新型コロナウイルスに感染しているのではないかと感じていたのです。もちろん機内で感染する可能性は大いにあり、アルコール消毒で手はボロボロでしたが定期的に手洗い・消毒をすることや顔を触らない事で悪足掻きをしていました。帰国後も、感染を恐れて検温を欠かしませんでしたが、何事も無く1ヶ月が過ぎ、とても安心しました。今も健康に過ごせています。


菜緒ちゃん記事図9

3/23 デトロイト空港



まさかこのような事態になるとは全く考えていなかった留学生活、滞在期間は約1ヶ月半短くなりましたが、授業は日本でも引き続きオンライン受講をすることができました。誰もが苦渋の決断を迫られる中、私は比較的恵まれた環境下で留学を終えることができたのだと思います。

先日、アメリカ政府は留学生に対して国外退去を命じました。これまでアメリカに残っていた日本人留学生も帰国することになります。急遽留学を終えなければならない、また留学に行くことすら叶わない人はたくさんいます。誰も彼もが悔しい思いをしていることでしょう。

しかし、ウイルスや国の決断を恨むのではなく、何か今だからできる事をしてハッピーに過ごしていれば、留学生活と同じくらい充実した日々になるはずです。何気ない日常は当たり前ではありません。皆が幸せに過ごせますように。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

note内マガジン「わたしたちの留学と新型コロナウイルス」では新型コロナウイルスの影響により、留学やワーキングホリデーを切り上げて帰国せざるを得なかった方や現在も滞在先で奮闘されている方の体験談を募集しております。募集用のフォームをご用意しておりますので、ぜひご活用ください。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSd-N8DoBmxHu5Vh0jzlmq5SGFlwPpQlBvNT51ENyirWlRgHQQ/viewform?usp=sf_link

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?