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ほんとうの優しさって何だろう。


例えば、私の欲しい物を与えてくれることが優しさなのか、仕事で傷ついた私の話を聞いて、一緒に愚痴ってくれるのが優しさなのか、あえて干渉せず距離を取ってくれることが優しさなのか.....

私は、その人の「経験」が優しさを決定付けると思います。
接客の仕事を経験すると店員さんに優しくなれるように。
親から与えられてきた優しさや、環境によって経験してきたことが軸になっていると思うので、だから優しさの定義は人それぞれ。

学生時代に、自暴自棄になって遊んでいた私は、私の言動のありとあらゆる噂が学校中に筒抜けになり、完全に孤独になったことがあります。
仲良くしてくれた友達の信用も失い、無視される。完全に自分の失態なので自業自得でしたが、学校というコミュニティーに属している分なかなか堪えるものがあります。

この時期に、私には経験したとこがない「優しさ」を与えてくれた2人の存在を生涯忘れないでしょう。

1人は、一番仲良くしてくれていた友達。
彼女もまた、私とは距離を取りしばらく話すことができなかったのですが、たまたま2人っきりになった時、うわんうわん泣いてしまった私を黙って抱きしめてくれました。

私を育てた母は、よしよしと撫でて抱きしめてくれるタイプではなかったので、その優しさの経験をこの時初めてしました。

もう1人は、私が無視される中で、
「君、なかなか炎上してるみたいだね〜調子どう?」と声をかけてくれた先輩のことをよく覚えています。
「え?何この人?私、腫れ物だけど何考えてるの?」とむしろこちらが拍子抜け。

少しデリカシーがない人でしたが、ヒソヒソ言われるよりも、失敗やダメな感じのことをあからさまに言われた方が、気分が楽になることも知りました。

「....ありがとうございます。完全にやってしまいました。まあ、ひっそりと卒業してみせます。笑」
こんなふうに、自分の失態を可笑しく話せたので、「まあいっか〜どうせ卒業までだし。」という気持ちにもさせてもらえました。

この先、私の前で大切な人が泣いていたら黙って抱きしめてあげると思います。
自分の失敗を悔やんでいたら、なるべく相談に乗ったり共感してあげたい。

それが私が経験してきた優しさだから。


私の行為に対して相手が「優しくされた」と感じなかったり、むしろ「今は聞きたくない、優しくしないでほしい」と拒否されても、自分が優しさだと思うことしかできない。。。

優しさの定義は人それぞれ。
何が相手にハマるかはわからない。
だから、いろんな人の優しさを日々感じて経験していきたいと今は強く思います。

そんなことをぼんやり考えた朝でした

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