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いつか自分の言葉で伝えたいこと


最近、Netflixを再契約した。
そこで見つけた「生きるとか、死ぬとか、親父とか」を観ている。
原作はジェーン・スーさん。


彼女のエッセイ本には、何度も救われてきた。

どこかモヤモヤしたり、自分にいっぱいいっぱいで苦しい時に手に取ることが多いのだけれど、どんな話を読んでいても、「自分はどうだろうか、何を感じるだろう」と不思議と考える余白を与えてくれる。

「生きるとか、死ぬとか、親父とか」は
スーさんが自身の父について書いたエッセイのドラマ版だ。

そのドラマを見て、私が考えることは、もちろん、私の父親のことだった。


先月、妹の結婚式に参列した。
剽軽(ひょうきん)な性格の妹のことだから、両親へ向けた手紙はきっと面白おかしく濁すのだろうと思っていた。
読み上げると、いつになく真面目な内容に、聞いている私の方が恥ずかしくなりながらも、感じたことがある。

「お父さんへ
お父さんはどんな時でも私の味方でいてくれました。
誰かを否定をしない、絶対に明るく応援してくれる。
そんなお父さんに何度も励まされました。」


うん、よく知ってる。
そう思った。

私も、いつか両親に向けて手紙を書くならば、なんと伝えようかと、29年生きてきて何度も妄想していた。そんな機会はまだまだ訪れそうにはないけれど、父に伝えたい言葉はちゃんとあった。

そして、私がこっそり胸に秘めていた伝えたい内容と、全く同じことを妹が読み上げていた。
「ああ、私たちは同じ人から育った姉妹なのだ」と当たり前のことを感じて涙が出た。

式場では、数年ぶりに再会した親戚に対しても、私はどこか他人行儀で取り繕っていた。気疲れして、情けないことに自分が嫌になっていた。

いろんな人の目に、同じ姿で映ること。
それはとてもとても難しい。

私たち姉妹が見つめる父の姿はちゃんとブレずに存在していた。

父は誰に対しても平等に接する人だ。
それは、つまり、本音で生きていることなんじゃないかと思う。改めて凄いことだ。

そして、そのことを、私もいつか自分の言葉で伝えたいと思った。


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