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無機質なようで人間くさい。村田沙耶香『コンビニ人間』

均質で、均一で、無機質な印象を与える「コンビニ人間」というタイトル。
予想に反して物語はもっとも人間らしい感情にあふれていた。

なぜ36歳でコンビニのバイトで未婚だと世の中から蔑まされてしまうのかを主人公古倉恵子は読み手に訴えてくる。
古倉の周りの同級生や旧友たちは“ふつうの生き方”をしているように見えて、ぶっきらぼうな言いやりがちょっとえぐい。

仕事をしていて職場に必要な反射神経やリズムや身体の動作を無意識に行ってしまうというのはよくあることだ。

パン屋さんなら早起きの体内時計が埋め込まれていて、パンをこねるのも肉体労働だ。
もし「コンビニ人間」ではなく「ベーカリー人間」だとしたら、ここまで見下されないのではないかとも思う。
コンビニのバイトの立場が日本では「誰でもできる」「典型的なアルバイト」「定職ではない」という世論の印象が強いからだ。
私はコンビニ店員をしたことがないが、利便性の恩恵を受けていて、大変なことや苦労も多いと思うし、常連のお年寄りの話し相手になっている姿も見かけると尊敬することもある。

ただコンビニ人間の面白いことは、コンビニがないと人間らしい生活が破綻してしまうこと。つまり食生活もコンビニ、睡眠を健康的に維持できるのもコンビニ、人との会話もコンビニ、自尊心を持って精神衛生を保てるのもコンビニのおかげ。コンビニに依存して生きることで、経済的な安定かは別としても自立した人間になれるという意味で、相互依存のような関係なのが面白い。

スマホにしろインターネットにしろ電気にしろ便利な現代社会の生活では私たちも「〇〇人間」はたくさんありえる。

古倉が謎の男白羽と共同生活していく流れも、あり得ないでしょと思って読んでいたのが、徐々に理屈が通ってくるように感じるのが不思議だ。

コンビニ人間を読んでからは、店員目線のコンビニをおぼろげにも想像しやすくなり、無機質さよりも人間らしさの愛着を感じるようになる化学反応が起こった。

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