Eri

バレエヨガインストラクターです。踊ること、ヨガすること、言葉にふれることが好きです。 …

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バレエヨガインストラクターです。踊ること、ヨガすること、言葉にふれることが好きです。 三科 絵理 http://coruri.info/ レッスンのお知らせはこちら https://ballet-yoga.peatix.com/

最近の記事

葬送第二部を読了して

第一部を始めて読んだ数年前から、途切れたり再読したりと年月をかけ、ようやく第二部の最後まで読み切ることができた。 あらためてこの小説の重みを読み終わった後から生々しく感じている。 ショパンのパリでのラスト・コンサートの日にまた戻りたい。 そう何度も思い返してしまいそうなほど、ロスになってしまう物語であった。 そして、登場人物がみな実在の人間であり、芸術家が幅広く取り上げられている。 ロマンティック・バレエの歴史の始まりに関係していたマイヤベーアとの絡みがあるのは、個

    • その夜は

      その夜はちょっぴり 具合がすぐれなかった 眠りにつけず とぎれとぎれ ふと気づくと 頭をなでてくれている え、やさしい。 やさしいー。 そう言うだけで 精一杯だったけど 永遠に うれしかった

      • 美術館の空気は、迷いの肯定に満ちていた。

        美術館を出ると、なんとも心のすみまでほっとした日があった。 しばしば美術館には来るけれど、その日は後味に大きく立ち上るものを感じた。 喫茶で窓を眺めながら、時が止まったかのようだった。 美しい絵を観られた喜びとはまた違う、リラックスして穏やかになる気持ち。 これはどこから来たのだろう。 その日は、ピカソを観た。 ピカソの表現手法の変遷は、「青の時代」「キュビズムの時代」と言ったように、時代の区切りができるほど潔くあった。 どこか一貫性を持たなければという観念を壊

        • 踊るときのショパンと、文学で経験したショパン。葬送 感想3

          ショパンでバレエの振付をつけた一番最近の作品は、エオリアンハープの楽曲だ。主題のゴッホの星月夜のイメージから、このメロディーが浮かんだ。 葬送 第二部 上巻でついにショパンの久しぶりの生の演奏会の場面がやってきた。 病弱なショパンがコンサートにたどり着くまでの緊張の様子が伝わってくる。 衣装を十二着も試着するなんて想像を絶するが、これがまたチャーミングに感じられる。 私がショパンを聞く時はバレエのレッスンの練習曲か、作品の表現のためであることがほとんどだ。 でも、心を休

        葬送第二部を読了して

        • その夜は

        • 美術館の空気は、迷いの肯定に満ちていた。

        • 踊るときのショパンと、文学で経験したショパン。葬送 感想3

          読書は多冊交互に読む派

          読書する時、本は一冊ずつ読み終えてから次を読むか、何冊も途中途中で読み進めるか、人によって分かれると思う。どちらがいいとかではなく、自分に合ったやり方でいるのが一番だと思うし、本好きとしては「人はどうやっているのかな?」と興味を感じるところでもある。 私は本を複数冊同時に抱え、交互に読み回すタイプだ。なにかの目的で追い込まれているのでもなく、マイペースで手に取っていく結果、何冊かの本を一人で回し読みすることが多い。 今は読みかけの長編小説が複数あるので、特にそうなりやすい

          読書は多冊交互に読む派

          創作している瞬間はどんなに疑っても「今」が持ちうるすべて。葬送 感想2

          創作している時は、昨日、今日、明日の積み上げられることがとても小さく思えて、それが全てなんだよなぁ…。 「葬送」第一部下を読了したところで思ったことだ。 ドラクロワも、ショパンも、自らの芸術と日常の生活を突き合わせて、瑣末なことも消化しながら長い課題に取り組んでいく。 芸術を追いかけているのに芸術から逃れられないのが、芸術家の宿命だ。 自ら選んでいるわけで誰にも文句を言いたいわけではないが、ぶつける先がないからこそ感情に責任をもってまとめ上げることも芸術家の一部になる

          創作している瞬間はどんなに疑っても「今」が持ちうるすべて。葬送 感想2

          「葬送 第一部 上」平野啓一郎

          ショパンは子供の頃のバレエレッスンで体に刻み込まれたメロディーだった。 そんなショパンの展覧会が昔近所の美術館で巡回され、母と観に行った。ショパンの時代の頃の初期のピアノ、ショパンの手(亡くなった後に型取りされたもの)、自筆の楽譜など、さまざまなショパンにまつわる美術品が展示されていた。今思い返すと記憶を確かめたいところも多々あり、タイムマシンに乗りたいと思うが、まだ中学生ぐらいのうちに触れられた経験に感謝している。 ショパンの肖像画で有名なのは画家ドラクロワによる作品だ

          「葬送 第一部 上」平野啓一郎

          「むらさきのスカートの女」今村夏子 芥川賞小説

          「むらさきのスカートの女」という文字がなんとも気になってしまい、書店で手に取ってしまった。 なぜむらさきなんだろう。黒とか白とかピンクだとたぶん読まなかったかもしれない。 「むらさき」の存在感はなんだか本の平積み群からちょっと哀愁が漂っていた。 芥川賞受賞作の今村夏子さんの小説。 ページをめくってみると読みやすい。 でもむらさきのスカートは一体どんな色なのか、柄があるのか、よくわからない。 というより、スカートはどうでもいい。 その女を示すための代名詞でしかないからだ。

          「むらさきのスカートの女」今村夏子 芥川賞小説

          無機質なようで人間くさい。村田沙耶香『コンビニ人間』

          均質で、均一で、無機質な印象を与える「コンビニ人間」というタイトル。 予想に反して物語はもっとも人間らしい感情にあふれていた。 なぜ36歳でコンビニのバイトで未婚だと世の中から蔑まされてしまうのかを主人公古倉恵子は読み手に訴えてくる。 古倉の周りの同級生や旧友たちは“ふつうの生き方”をしているように見えて、ぶっきらぼうな言いやりがちょっとえぐい。 仕事をしていて職場に必要な反射神経やリズムや身体の動作を無意識に行ってしまうというのはよくあることだ。 パン屋さんなら早起き

          無機質なようで人間くさい。村田沙耶香『コンビニ人間』

          美は「浄化」でもあってほしかった。 三島由紀夫『金閣寺』

          小説『金閣寺』の主人公溝口は友人柏木と月光の下で尺八を初めて吹く場面がある。金閣寺、尺八、月という芸術的に美しい情景が読者に浮かぶ描写だ。しかしこの主題は「美は怨敵である」という。 『金閣寺』は実際に起きた金閣放火事件に基づき、三島由紀夫が独自に文学で表現した有名すぎる小説だ。 主人公は戦中戦後の禁欲的な禅寺の修行僧として育ち、吃音を恥ずかしく感じている溝口。 内飜足でまっすぐ歩くことができない柏木に大学で出会い、境遇に屈せず道なき道を突き立てる気性に刺激を感じている。

          美は「浄化」でもあってほしかった。 三島由紀夫『金閣寺』

          犯罪か、いっそ愛さなければよかったのか。感想 映画「嘆きのテレーズ」

          せっかく愛を見つけたとき犯罪者にもなる運命がついてくるとしたら、あなたはそれでも愛をとるだろうか?いっそのこと、愛を見つけないほうがよいだろうか。 文豪エミール・ゾラの原作を映画化した「嘆きのテレーズ」を観た。マルセル・カルネ監督作品で、1953年にはヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞している。原作はしばしば現代でも舞台化されているサスペンスだ。 テレーズは病弱で愛のない夫カミーユと、溺愛する義母にうんざりしていた。義母に育てられた恩義に、息子と結婚させられ、リヨンの

          犯罪か、いっそ愛さなければよかったのか。感想 映画「嘆きのテレーズ」

          星が流れる

          数えきれない光の粒。 この目で見るまでは 点々が同じように見えるのかと 思い込んでいた。 色も、大きさも、色も わずかに違う。 一粒一粒の 存在感が大きすぎて、 こちらが見上げているはずなのに 空に吸い込まれそうになる。 はっきり目立つ大きい星もあれば 無数の小さい星が層をなし 奥行きを重ねている。 みんな違う星々が集まって 暗がりの舞台に 光の模様が浮かぶ。 美しいものを見ると 大切な人にも 見てほしい。 物を渡すプレゼントではないけれど わぁっと、感じる心

          星が流れる

          心を浪費しない

          毎日、なにげなくしている行動で その場で結果が見えないものがあります。 それらはちっぽけに思えるかもしれませんが あなたがいてくれるだけで 誰かほかの人の 支えになっています。 それが、すぐに見えないだけのことです。 誰もが、幸せを運ぶ人です。 大切な人のために、そして自分自身のために。 心のエネルギーを無駄にしないために 余計な心配ごとなど 浪費させることからは距離を置き、 本当に大切なこと、大切な人、 そしてなによりも自分自身にこそ、 ありった

          心を浪費しない

          過程を楽しむことが本当の近道

          望むゴールに向かうとき 結果が出るまで ただ辛抱するよりも 過程を楽しむ人になろう 「どうしたら楽しめるかな?」 根性で耐えていたら それだけで頭がいっぱいだけれど 楽しむには あともう一工夫 ゆとりが必要 ステージを一つ上げて 楽しむゆとりを作ること 楽しみという感情は 女神からのギフト。 過程を楽しむ人は 本当の近道を歩んでいく。 今日のこの歩みも、 過程であり 結果である そのことを 知っているから。 #コラム

          過程を楽しむことが本当の近道

          過去の延長ではなく、ほしい未来から引き直した「今」を生きる

          向上心とは、自分自身を輝かせてくれるものです。 「成長したい」 「学びたい」 「自分を変えたい」 レッスンの生徒さんでも、そんな意識を持って向き合っている方がたくさんいます。 成長への道のりには、時には山も谷もあります。 そんなとき、夢を持ち続けることができるか・・・。 あきらめずに、見失わないでいられるか・・・。 それが成長する者の「核」の強さと、成長スピードを決めます。 辛いことにぶち当たった時、過去を振り返れば、言い

          過去の延長ではなく、ほしい未来から引き直した「今」を生きる

          笑った日も、泣いた日も、あなたは美しいひと

          笑った日も 泣いた日も あなたは美しいひと 心あたためる笑顔も こぼれおちる涙も 美しいのだから たとえいつか 悲しいどん底に落ちることがあっても 自分で自分のことが信じられないような 不安に襲われたとしても あなたは美しいひと それは変わることがない もしも あなたがそう信じられなくなっても それは美しさが消えたのではなく ちょっと見えなくなってしまっただけ 誰にも奪われることなく また呼び覚ましてくれるのを 待っているのだ

          笑った日も、泣いた日も、あなたは美しいひと