あなたの真実・あなたの本質に繋がるもの

"スピリチュアル"の人たちも、自分たちも実は医療に非常に近いこと・医療の一端を担っていると知ったら、気付けば、本当に心理療法としての意識の深い原理原則や技法を学びたいと思うのではないだろうか、と思う。

彼ら、無自覚では根っこの確信がふわふわ…ゆえに自分達の技法を半信半疑でやっている人が多い。
実は、無自覚では自分の行っているヒーリング法や占いを、実は自分自身で軽い楽しみ程度の娯楽とくらいに過小評価して行っているひとすら多い。そしてその自己過小評価に気付いていないほど、自己否定自己否認の根深いプログラムを抱えておられたりする。

私は何度も記事に書いているが、スピリチュアルは、「ただ言葉の表現法だけわかりやすく言うと」、催眠療法の原理原則がもととなっている(日本におけるスピリチュアルは催眠研究の歴史から派生している)。催眠療法のごくごく薄いここの一部、あそこの一部という風に輪切りにしたものが各スピリチュアルの技法であるので、意識(心身)の原理原則を深く駆使した催眠療法を使うセラピストから見れば、あらゆる種類に分岐しているスピリチュアルの技法、どれを見ても「ああ、ここの輪切り部分を担って使っておられるのか」と原理原則がわかる。

つまり、スピリチュアルは、宇宙にまで繋がる潜在意識・そしてそこに繋がる心身のメカニズムを一貫してすべて駆使する催眠療法をベースとした「ひとの心身を癒し解放し無限の可能性を拓く」根源的で壮大な心理療法、医療よりも医療に近いことを行っている「セラピー」の、一部なのだ。

そして同時に、これは世の多くの催眠療法士や心理療法士にもご自覚のない人が多いと感じるのだが、潜在意識の原理原則を入り口として深遠な個々の個人的無意識と対話をし、更にその奥にある力を借りて本人を花開かせる、一言で言えば「潜在意識を扱う心理療法(身体療法も含む)」は、実は本来の意味でのスピリチュアル(スピリチュアリティ:魂・根源)なのだ。

実はやっていることは同じであり、そして、実質やっていることは医療よりも医療に近い。

これは、かつて中世や古代の医学者たちこそが実は潜在意識や暗示・祈祷(これ自体も実は別角度から言えば暗示の技法であり潜在意識の仕組みに則り”本当の心””本質”と繋がる方法)を行っていたり、中世や古代の医学者たちの方が圧倒的に「医学者」であると同時に天文学者・哲学者・文学者・音楽家・錬金術師などなどでもありすべての「繋がった学問」におけるまさに「博識者」であったこと、古代の医学の方が現代医学よりも圧倒的に実は理論も技術も超高度であったことなども、物語っている。

音楽にしても医学にしても数学、哲学などにしても、あらゆる学問理論や技術を本当におおもとを辿っていくと古代アラビアにあることをご存知だろうか。
そして、彼らはとてつもない膨大な超高度なものを持っていた。
(現代のアラビアの人たちですら、音階を西洋の12音どころか、例えばドとド#の間に何十個も音があることを聞き分けて無数に使い分けて無数の「調性」や「拍子」を駆使するのだ。アラブ音楽のライブの動画でも見ると日本の打楽器奏者は愕然とするだろうと思う、音楽家どころか一般聴衆ですら、たった1回舞台上の打楽器奏者が複雑なリズムを叩き即座に真似させると、大人数のそのリズム復唱の手拍子がぴったりと揃うのだ。日本の音大生がソルフェージュの授業でも苦労するようなリズムを!)
特に先進国と今呼ばれるような地域のひとたちがそれを使おうとするようになってから、彼らのものはあまりに深く膨大で高度過ぎて、あまりに情報量が多すぎて、複雑すぎて、理解できなかった。
ひとの五感の機能と似たようなものである。ひとの五感は、毎秒250万bitともいう膨大な外界の情報量を「脳」で認識処理することができないがために、感覚器(目や耳)で受け取る時点で取捨選択し大変解像度が粗い何十分の一という状態まで落とす。それを、自分達の身体でわかるように翻訳変換を重ねて神経束に送り、それをまた更に翻訳変換を重ねながらまだまだ多いデータ量を粗く粗く削いでは圧縮し、これを繰り返して最終的に脳に到達し、脳もそれではまだそのままの状態では理解できないため、脳のやり方(幼少期に作ったイメージパターン)に当て嵌めて、実はかなり差異のあるものでも「幼少期に見たこれと似てる!これと同じということにしよう!同じだ!」とやることで、初めて外界を認知することができるのだ。

すべての領域は繋がっており、それでいて、すべての領域の本質を見ようとすることで初めて、方向性(自分が何をやっているのか、どこに向かおうとしているのか)が見えるようになってくる。
ちなみに子どもに音楽を教えるとき、潜在意識全開である子どもたちは、顕在意識がただただ表面的にわかりやすいがために合理化して後付けしたものを教えることに、とてつもなく苦労をする。例えば先程の12音階。その12音の間にも無数に音があるのに…しかもオクターヴ上がったところで、真ん中のドとオクターヴ上のドは「本当の体感」で感じれば全く別の音だ。「どうして同じドって名前なの?!どうして同じ音って言わなきゃいけないの?!」
…その通りだ。もっともなのである。表面の付け焼刃では、結局本質がわからないままで、自分が何をやっているのか、何をやろうとしてどこへ向かっているのか、わからない。

端折りに端折るが、そんなことが重なってそんなものに囲まれている現代人は、だから「自分は人生で一体何をしているのだろう」「何がしたいんだろう、どこへ向かっているんだろう」と思い悩む人が爆発的に増えている。いや、現代人のもしかしたらほとんどになっている。


本質、というのは、実はすべての領域の本質は同じものである。自分自身、つまり自分自身から自分自身の潜在意識(本質の一部)に繋がりそこから更に、あなたを作っている本当の「源」へ繋がっていく…
これは宗教でもスピリチュアルでもなんでもない。
「宗教」や「スピリチュアル」は、後付けで「顕在意識たち」が表面だけで切り分け名前をつけただけの、「概念」だ。
大きな大きな海を想像してみて欲しい。
あなたはその海のここからここまでを太平洋、大西洋、もしかしたら日本の領海、韓国の領海…などと覚えているかもしれないが、紙上ではなく実際の海を見て、自然界の海にその境界線がどこにあるだろうか?
そして、そこの水は、何か入れ物に小分けにされたかのように「その領域内ごと」の水だろうか?いや、全世界流動して混ぜ混ぜになっている水ではないか。そして、その海は、水深を深めれば深めるほど、すべてがひとつの、静かな静かなまとまった調和と平穏の世界だ。そして、愛と感謝という源の世界だ(しかし一見、表面上の大荒れの世界が当たり前で生きている顕在意識には、「呼吸ができない」だけに本質が見えず、調和や平穏・愛や感謝とは一見にはわからないのだが)。


意味なく「言葉」の上だけで、その言葉の内容もないのに物事を切り分けひたすらあらゆるものに名前をつけようとする現代社会の風潮は加速していくばかりである。
その中では、いつの間にか「本質」を感じられなくなり、生きづらさを感じる人たちがどんどん増えていくだろうと思う。

だからこそ、対人支援(スピリチュアルなども含まれるのだが)、本当に真のある、志のある…どういう言語表現をしたところで語弊があり薄っぺらになるが、ひとたちが必要とされるのだ。

今はなぜだかわからないが、表面的に違うと錯覚するがゆえに「スピリチュアル」は「心理療法」を別物で関係ない領域・寧ろ薄っぺらい信心がないと見做し排除し、「心理療法」は「スピリチュアル」を科学的ではないだとか胡散臭いだとか”本質では実はやろうとはしていること”を見ようとせずに非難排除し、「医療」は心理療法を民間で権威も保証もないから責任問題がどうだと非難排除し、スピリチュアルを医療とまったく関係がない娯楽か一般民衆の惑わし要素だくらいに非難排除する…
いや、これ自体まったく一部の一部の一部なので、いくら言ってもきりがないが。

しかし、だからこそ、どこの領域のひとたちも、見るものを見ませんか。
自分たちの目的意識・方向性を見ませんか。


もし、あなたが、どの領域のかたであろうとも、またどの領域を目指すかたであろうとも、
「ひとの癒し」「いのちの癒し・回復」「生きやすい」といった言葉に関わるを方向性・目的とするならば、

どうか、こちら(同志たちの集まる私の主宰コミュニティ)のお問い合わせフォームから、私にお声を届けてください。
お話しにいらしてください。


また、「ご自身にとってのご自身の本質」に繋がるための道に入りたい、
何かに気付きたい、学びたい、というかたは、こちらから、無料事前個別相談にぜひ一度、おいでください。


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