毒親、機能不全家族、などの流行り言葉の裏に隠れて複雑化している問題・誤解

毒親、という言葉が、大分流行ってきている。

しかしながら毒親、というと、親も子供も(当事者達)、受け容れることがなかなか難しい言葉でもある。
私は個人的にもセラピストとしても、非常に使いにくい言葉であるので私自身からは発しない傾向がある(そもそも流行りの言葉を発しない傾向があるのだが。これはごく個人的な話ではあるが以前こんな記事を書いてみたこともある。)。

ついでに毒親、というと、機能不全家族の中での「親」や、非常に支配的傾向を持つ親、子どもを自分の思い通りにしようとする親、逆にネグレクトであったり子供を無視する親、などというイメージを持っている人も多いように感じる。

更についでに機能不全家族、という言葉も出してみたが、これも実のところ、細かく定義があるわけではない。
家族が本来持っているべき機能が著しく機能していない家族のことを機能不全家族というわけで、しかもそれも、表面から見えるものと、内部で実は複雑にそうなっているものと、あらゆるものがある。

さて、ところで、愛着障碍や解離性障碍は、機能不全家族や毒親サバイバーの心の奥底に、なかなか幅広くあらゆる形で根を下ろしていることが多い問題である。
ひとの心の、非常に深いところの不適応問題であり、しかも、解離は人間にとって誰でも当たり前にある現象、日常生活で当たり前のように使っている現象、寧ろこれがなかったら生きていることができないような人の心の通常のはたらきである、それが不適応を起こすものであるので、例えば当たり前にその辺にある空気とは何か、水とは何か、どうして呼吸は意識していなくても24時間勝手にし続けているのか、などを説明することが難しいように、当たり前の現象ほど説明が難しく、本当に説明しようとするととんでもなく複雑になる。(催眠、も、そうである。非常に当たり前の現象なのだが、厳密に定義することはできず、説明しようとすると複雑で難しい)

しかしながら、これはこれも一面的なある角度からの見方にはなるが、愛着や解離は、幼い時に「毒親」の元で育ったり、「機能不全家族」の元で育ったりすると非常に発症しやすい。
説明を加えると、幼い時に、親から存在や意思や言動行動を無視されたり否定されたり、接し方にあまりにムラがあったり(ダブルバインドなど)、家庭内暴力があったり、父親と母親の間が不和であったりなどなどなど、
そしてつまりは、子どもが、「不安」を感じて常に安心して世界(外界)を受け容れることを許されずに育ったり、また、自分自身の存在・アイデンティティを確認することができなかったり(親・養育者は子供の鏡である)、子どもが養育者(親を含む、以下同じ)の安全な守りの中で自分の感覚や感情や自身の言動行動を知りながら育つことができなかったり、何らかの形で子どもが自分の感情や感覚や欲求意見を現わすことができなかったり受け止めてもらえなかったり(どちらにしても受け止めてもらえなかったと子供が捉え解釈する結果が起こっている)、子どもが本来そのタイミングで持つべきではない役割を持たされたり(子供や親の自覚のあるなしに拘わらず)、親の愛情を受け取ることができなかったり(因みにこの能力が育つのは本当に本当に幼い頃。この頃にそれを何らかで身につけることができなかった場合)…もっとさらにあらゆる角度から書いた方がもしかしたらわかりやすいのかもしれないが、同じ結果が起こっていることをあらゆる角度から書けば本当にいくらでも書ける。
とにかく、子どもの中でそのような状態が起こりながら育つと、心の奥底に安全基地を見出すことができず、また、自分の感情や感覚…自分自身を持て余し適切にコントロールする術を学べないまま(過剰コントロールもこれに入っている)、何やらわからないけれども成長してからも人間関係がうまくいかなかったり社会生活や日常生活、心や身体にも不適応症状が出てくる。


…そんなことを説明するために恐らく「毒親」というような表現が流行り出したのではないかとも思うのだが、私は実は別にこの記事で解離や愛着について説明したいわけではなく、その言葉が流行っているがゆえの盲点をひとつ記したかった。

毒親家庭で育つと子供に問題が起こりやすいと言えば確かに簡単ではある。
だが、定義のはっきりしていない言葉を使うのは、よほどの慎重さと責任が必要ではないか。

今回、ふとひとつ言いたいのは、毒親と言う言葉が流行っているがために、「私は毒親だろうか/私は毒親ではないから大丈夫」だとか、子どもの側にも「自分の親は毒親だろうか…いや毒親ではない。では自分は一体…」と、深い葛藤を生んでいる人たちがいる現状。

そして、もうひとつ、社会的に(外側から)毒親だとか機能不全家族だとは見えなくても、寧ろ非常に常識的模範的バランスもとれた親のように見えても、結果的に子どもが上に書いたようなことを抱えて解離や愛着を深く深く根深く持って生きてしまっている場合もあるということである。

過保護・過干渉などであればまだわかりやすい。
しかし、これはあくまで例えばであるが、私のこの器(身体)などは、先天性脳性麻痺により、そもそも生後1年弱脳波がゼロの状態であり、何かを感じていたにしても表出できる術がなかった。その後も反応が遅かったり発育が遅く、それでいて両親はとても愛情深く手を焼いてくれ、そして子供の「欲求」に応えようとして、子どもの「欲求」を先回りして何でも叶えようとしていたらしい。子供がうまく表出できないから。

ある意味、先程私が書いていたことと逆説的に見える。
「子どもの欲求が何らかの形で表出できなかったり受け止めてもらえなかった場合」「親の愛情をうまく受け取ることができなかった場合」親子の間の愛着の齟齬が起こり、安全基地が揺らがされると。
この器の場合、愛情は充分だった(少々過多気味だった可能性はあるが)。その上、親は子供の欲求や意見や感情をとにかく知ろうとしていた。知ろうとするがゆえに、そして子供がうまく出せないがゆえに手助けすべく先回りしたのだ。

しかし、あくまで例えばの話だが、これを少し別の角度から見てみると、
親は子供の感情や感覚を先回りできる「はずはない」のだ。
別個体なのだから。
子どもは、まず自分でそれを表出できる力を身につける必要がある。
親が先回りしようとするのは、結果的にそれは、子どもの欲求と「一致しようがしまいが」、親側の「主観」なのである。
そして、子どもの方は、「親がやってくれる」から、自分の感情や感覚や欲求を自分自身で感じたり出したりする能力を開花させるタイミングを逃す。更には、「親がやってくれる」から、それを自分の欲求なのだといつの間にか思い込んでしまうがために、自分の感情や感覚や欲求がわからなくなる。いつの間にか、それは「親が決めてくれるもの」になってしまう。
そのうち、すべての生き方は「その人が決めるもの」と、例えば成長した子供や学生時代には親は子供にやりたいようにやらせているように見えたりしても、子どもの人生脚本としては、「決められたレールを歩くもの」と、主体性を失った状態であったり、水面下でかなり激しい解離(葛藤)が起こっていたりする。

親が何でもかんでも主観で子どもの先回りをしてやってしまって、子どもがそれを「嫌だった」ならまだわかりやすい。が、この時、何も言わないでも親がやってくれていたら、それが嫌でないものであったりしたら、「何も言わないでも人はわかってくれてやってくれるのが当たり前」しかも「勝手にどんどんやってくれる。自分は物足りない」状態になる場合もあり得る(実際に何名か、その人生脚本に会ったこともあるが)。
そして大人になっても、自分で自分の意見はわからない(そしてその自覚もない)のに、他人がやってくれることに全部受身で対応してそれが当たり前、ほんの僅かに予想外のことがあったら適応できなかったり、何をやってもやってもらってもなぜか物足りなかったり、それでおかしなものに手を出して依存したり対人依存に陥ったり、また誰を見ても「誰かや自分に~してやったらいいのに、してくれたらいいのに」などと思ってしまっていたりする、そしてそれらがあらゆる社会的不適応、個人の人生の不適応(生きづらさ)に繋がっていたりする。

そしていずれにしても、自分が本当に何を求めているのか、自分の感情や感覚や欲求や意見が、わからない。

受け止められてい(るように見える状態であっ)ても、起こるのだということ。

そしてこういう場合、本人が例え疑っても、なかなか判明しない。
また、毒親サバイバーや本人が経験者である専門家などには、わかってもらえなかったり、その複雑さをただただ「毒親のはず」に置き換えられたりすることもある。
本人はそれら(毒親サバイバーと関わったり”わかってくれそう”なはずの専門家に縋ること)によって更に孤独感を抱えてしまうことになる場合もある。

結局何が言いたいかというと、纏め方も考えずつらつらと書いているだけなのだが、
とにかく、複雑に水面下で絡んでいる問題なのだ。
そして、「表面的に見えていること」「外側からどう見えていたか、どう見えるか」が問題なのでなく、それによって子どもの中に何が起こっているのか、そこでどのような人生脚本プログラムを創り上げてしまうのか、原理原則から見ていかねば、表面的な出来事や現象に誤魔化され混乱させられ、問題を不要に「複雑化」して見えるようにしてしまう。
その上、子ども時代の中でも本当に、自我があるかないかという、先天性か後天性かという判断もつかないくらいの時期のことなのだ(その時期のトラブルで不適応や症状がうまれ、それを先天性と判断されたりする場合もある。先天性と社会的に言われたとしても例えばその時期に起こったものであるなら、催眠における心理療法などではそこにもアプローチできる可能性がある。)

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