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古典に触れて思いを馳せる

藤原道長による『御堂関白記』は、自筆本が現存する世界最古の日記である。
『源氏物語』は世界最古の長編小説と言われる。

これらはあくまでも「現存する」最古の作品に過ぎない。
もっと古くに作られたものがあって、しかし現代に至るまでの間に影も形もなくなってしまったかも知れない。

実際、「かつて存在したことは分かっているが、内容は完全に失われて二度と読むことはできない作品」は『更級日記』にいくつか登場する。

本が自分を未知の世界や空想の世界に誘ってくれるのは、古典も全くもって例外ではない。

例えば、源氏物語の最初の一文。

いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやんごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり。

超意訳)いつの帝の御代だったか、多くの女御や更衣がいる中で、取り立てて身分が高くはないが、際立って帝の寵愛を受けた女性がいた。

物語というからにはあくまでフィクションだが、書かれた当時の朝廷には後宮のシステムが存在したであろうことは推察できる。
帝(天皇)の妃、そして皇太子の母親の候補となる「女御更衣」がいっぱいいたと言っているわけだから。
(正確な説明ではないけど。女御、更衣、中宮などの呼称説明はちゃんと調べるのが面倒なので割愛。)

ここで言う後宮とは、皇帝や天皇の子を産み育てる役割を担う場所という意味としておく。
将軍の跡継ぎを得るための、江戸幕府の大奥もこれに当たる。

現代日本と違うのは言うまでもないが、王位継承の考え方の違いなどから後宮システムが歴史的に普及しなかった地域があることを考えると、それが当たり前に存在した世界だったことが冒頭一文から分かるだけで、すでに面白い、古典を読むのが楽しいと思える。

日本の皇位継承スタイルを前提に考えてしまうと、後宮の誕生も必然のように感じられるところもあるが、ヨーロッパの王族同士の婚姻やカペー朝の奇跡を考えると、王朝のあり方も時代や場所によってさまざまだと思い知る。

話は逸れるが、カペー朝について(記憶に基づくので、正確にはお調べください)。
フランスの古い王朝で、後宮システムなどがなかったにも関わらず、直系男子のみで約300年間続いたため、のちに「カペー朝の奇跡」と言われた。

ここでは後宮システムというピンポイントに触れたが、展開としての物語だけではなくて、時代背景だとか、価値観の違いを感じたり、不意に「今もあるあるだなー」みたいな感覚に襲われることもある。
そういう一つ一つの気づきが、楽しさであり醍醐味だ。

「光る君へ」を見てるが、源氏物語をちゃんと読み直そうか、迷っている。
とりあえず「あさきゆめみし」からかな……

なにはともあれ、本はいいぞ。古典はいいぞ。

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